平城京右京のマイナー古代寺院めぐり(前篇) | 日出ヅル處ノ廃寺

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古代寺院跡を訪ねて

あるとき、ネットで奈良市内の古代寺院情報をリサーチしていたら、「奈良の古寺院 平城京右京の寺院跡と遺跡」というドキュメントが掲載されていることを知りました。

 

奈良県が公開している「奈良県文化財ウォーキングマップ」の一つで、PDFの地図に寺院跡や遺跡の簡単な解説が添えられており、コースまで示してくれているという、廃寺めぐりを趣味とする私にはまさに願ったり叶ったりのもの。

 

 

奈良の古寺院 平城京右京の寺院跡と遺跡」(ウォーキングマップ6)には聞いたことのないような古代寺院跡がいくつか記されていて、これを使わぬ手はない! ということで、今回はこのマップをベースに平城京右京の古代寺院めぐりをしてみます。

 

奈良市役所1階にある平城京模型で再現されている、当時の寺院の様子なども交えながらご紹介していきましょう。ではレッツラゴー!

奈良市役所の平城京模型。右京とは内裏(奥の方)から見た右側で、写真では左側の区域になります

 

 

  殖槻寺跡(うえつきじあと)

奈良県大和郡山市植槻町

訪問オススメ度 

 

今回の起点は、近鉄橿原線の近鉄郡山駅。城跡と金魚で知られる街で、かつての城下町の名残をとどめる町並みは、風情があって楽しい場所です。駅を出て、近鉄線に沿うように北上して植槻八幡神社(うえつきはちまんじんじゃ)に来ました。ここが殖槻寺跡です。

 

植槻八幡神社は近鉄線のすぐ脇

 

神社の境内を見渡しても古代寺院の痕跡は特段見当たらず、案内板もありません。実際のところ古代寺院跡は神社の西北のあたりにあったようですが、詳細は不明。場所や規模はよくわからないものの、殖槻寺の名は「日本霊異記」や「今昔物語」などの文献に登場しており、藤原氏とも関係が深かったとも考えられているようです。

 

境内の様子

 

現在、西ノ京の薬師寺講堂に安置されている弥勒三尊像は、もともとこの殖槻寺の本尊だったともいいます。この三尊像は郡山城築城の際に掘り出されたとの話があるとのこと。廃寺になって土に埋もれていたのでしょうか? 戦乱を恐れて信者が埋めていたものでしょうか? そのあたりの事情はよくわかりません。

 

同じく「西ノ京破れ鐘(われがね)」との愛称がある現在の薬師寺鐘楼の鐘も、殖槻寺から来たものだとか。こうやって見てみると古代寺院としてのポテンシャルは結構高かったように思えますね。

 

殖槻寺は平城京模型ではこぢんまりとした寺院で再現されていました。塔もありませんね。

 

平城京模型で再現された殖槻寺

 

 

  観世音寺跡(かんぜおんじあと)

奈良県大和郡山市観音寺町

訪問オススメ度 

 

次は東に向かって移動。ハローワーク大和郡山の少し北の八幡神社一帯にあったという観世音寺跡にやってきました。

 

八幡神社境内

 

現在は周辺一帯に残る「観音寺」という地名と、八幡神社のすぐ隣の平安期の十一面観音像を祀る「観音堂」が観世音寺の痕跡をとどめているのみ。ここも案内板はなく、礎石などの遺構も特に見当たりません。

 

八幡神社に隣接する観音堂

 

しかし、ここでは見つけましたよ、布目瓦らしき破片。いつものことですが、瓦片一つで古代寺院の存在がぐっと近くに感じられるようになります。

 

布目跡がばっちり

 

「日本霊異記」によると、観世音寺には塔があったとの記述がありますが、平城京模型ではそもそも観世音寺が存在したらしい位置には寺院跡は再現されていませんでした。これはどういうことでしょう? 平城京模型の製作時(1977年)には認知されていなかったということでしょうか? 

 

平城京模型の解説板より。観世音寺は位置的には羅城門の左側。先ほどの殖槻寺は載っていますね

 

ちなみに観世音寺から出土した瓦は、2018年にオープンした平城宮跡歴史公園の「平城宮いざない館」で展示されていましたよ。

 

 

観世音寺の出土瓦

 

 

平城京の遺構めぐり

 

ウォーキングマップでは、観世音寺跡からは古代寺院からいったん離れ、平城京右京の遺構めぐりになります。

さらに東に移動して、平城京の正門ともいうべき羅城門跡にやってきました。

 

橋の手前、左(西)側の堤防が羅城門の跡


といっても、遺構は現在の佐保川の堤防と重なっているようで、道路の橋脚脇に案内板があるのみです。川を挟んで反対側には「平城京羅城門跡公園」があり、万葉歌碑などがありますが、そこが羅城門跡ということではありません。

 

橋脚脇の羅城門跡の案内板

 

橋の上からはるか彼方の朱雀門や大極殿が見えるというので、目をこらしてみますが私の肉眼では無理。カメラの望遠レンズで撮影すると....おお、写っていますね。距離にして約3.8km先になります。

 

半分樹木に隠れていますが、写真の中央やや上の部分に屋根が見えます

 

この後、ウォーキングマップに従って、富本銭(ふほんせん)の出土した「平城京右京八条一坊十三・十四坪」「西市跡(にしいちあと)などをめぐります。

 

富本銭の出土した九条公園。入り口に案内板がありました

 

公園内の富本銭出土地の標識柱

 

西市の船着き場跡

 

西市跡の碑

 

平城京には東西二つの官営市場が設けられていました。西市はおおよその場所は判明しているものの、正確な規模などは諸説あって確定していないようです。平城京模型ではこんな形で再現されていました。

 

広場の周囲に建造物、一角に倉庫群らしきものがありますね

 

ここまでやってくると、薬師寺の両塔も視界に入ってきました。

(前篇)はここまでにします。ウォーキングマップの残りの行程は(後篇)で。

 

西市跡から薬師寺の双塔を望む

 

(後篇)に続きます

 

[訪問日]2023.4.16