和歌山県熊野本宮大社と周辺の廃校休校巡り(2024/04/07、04/28) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

熊野本宮大社は、紀伊山地の東南部、田辺市本宮町にある神社です。

熊野速玉大社・熊野那智大社と共に、熊野三山を構成しており、
ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の1つに

なっています。

平安時代には、皇族・貴族の間に熊野信仰が広まり、京都から

熊野古道を通って上皇や女院の一行が何度も参拝に訪れました。
室町時代には、武士や庶民の間にも熊野信仰が広まっていました。

男女や身分を問わず、全ての人を受け入れる懐の深さから、

大勢の人が絶え間なく参拝に訪れる様子は「蟻の熊野詣」と

例えられるほどでした。
熊野本宮大社が、各地からの参詣道の終点となっていることが

上図から良く分かります。

 

今回訪れた廃校休校は上図の通りですが、一部現役校も含みます。

なお、前回から約13年振りという久しぶりの訪問となりました。

過去の記事はこちらをご覧ください。↓

奈良県、和歌山県、三重県境の廃校休校巡り(2011/05/05)

和歌山県田辺市(本宮町、中辺路町、龍神村)の風景と廃校休校巡り(2011/05/07)

今回は、大阪府内から国道168号(十津川街道)を南下するルートを

選びましたので、その順に掲載しております。

 

国道168号を南下、田辺市本宮町伏拝(ふしおがみ)地区に

ある現役校です。
コンクリート塀に表札が確認できました。

花壇に並んだチューリップ、新春の入学式を思い出します。。

 

校舎の全景

校舎と校庭を囲むように桜が咲き誇っています。

沿革をみると、

1876年(明治9年)2月27日 伏拝小学校開校。
1941年(昭和16年)4月1日、三里国民学校と改称。
1947年(昭和22年)学制改革により、三里小学校と改称。

1987年(昭和62年)全校児童91名

2017年(平成29年)全校児童43名 
2023年(令和5年)全校児童24名

少子化により児童数は減少傾向にあります。

 

伏拝地区で見かけた桜

 

伏拝から発心門王子にかけては、熊野古道中辺路ルートになっており、

当日も多くの外国人観光客が歩いておられました。

 

その途中の水呑王子(みずのみおうじ)に立ち寄ります。

道標、水呑王子跡の解説板、押印所が並んでいます。

 

 

石畳の歩道の先にBBQテラスのような施設があります。

これは前回訪問時にもあったので覚えています。

 

歩道の左側に白壁の木造校舎です。

 

校舎の近景

 

前回(2011年5月撮影)は、玄関は赤い配色でした。

柱は太い円柱で、屋根は朽ちて崩れていましたが、

周りの植栽は豊かで緑が溢れていました。

 

現在の玄関は、植栽も伐採されて簡素な感じです。

 

校庭の様子

プール

閉校後は釣り堀に利用されていたようです。

 

校舎(2011年5月撮影)

以前はこのように森の中に佇む味わい深い校舎でした。

三里小学校三越分校(1973年閉校)

切妻屋根の平屋木造校舎は変わりませんが、残念ながら魅了する

ほどではなくなっていました。

後日調べたところ、2014~2015年に校舎の壁が白く塗り直された

ようです。

1876年(明治9年)創立

1959年(昭和34年)全校児童36名

1973年(昭和48年)本校への統合に伴い閉校

 

三越川に沿って伏拝まで戻ると、熊野川と合流する場所に

出ます。

 

そこに「道の駅奥熊野古道ほんぐう」があります。

丸太をイメージした独特の看板です。

 

付近の案内図もあります。

 

平安後期から鎌倉時代にかけては、上皇の熊野参詣が慣例になり、

都を出発して熊野三山に参詣し再び都に着くまで平均25日を

要しました。一行は近臣から荷役まで総勢200人に達したと

考えられています。

構内には、後鳥羽上皇御幸の随員として、生涯ただ一度の

熊野参詣を果たした藤原定家が書いた「熊野御幸記」をもとに、

往復道中の様子を解説したパネル展示があります。

 

熊野地域の地酒も販売しています。

その他、、名産品も豊富に並んでいました。

 

道の駅周辺の風景

熊野の山々に抱かれ、穏やかな熊野川。。

遠方に架かるのは三里橋です。

 

熊野本宮大社の入口は国道168号沿いにあります。

季節柄、眩しい新緑が迎えてくれますが、奥は暗い杉木立です。

 

入口の大鳥居

鳥居をくぐると158段の石段が続きます。

 

鳥居の額の「熊野大権現」は熊野に鎮座しておられる神様の

総称であり、熊野本宮大社は、全国に約3,000社ある熊野神社の

総本社となっています。

 

熊野本宮大社のキャッチフレーズ

八咫烏(やたがらす)は、神武天皇を、熊野から大和橿原まで

先導したという伝説があり、「導きの神様」とも呼ばれています。

2011年のFIFA女子ワールドカップ では、なでしこジャパンを

勝利へ導いたと云われています。

八咫烏は、JFA財団法人日本サッカー協会のマークになっており、

現在も多くのサッカー関係者が必勝祈願に訪れています。

 

八咫烏の「八咫」とは大きく広いという意味です。
太陽の化身で三本の足があり、それぞれ天・地・人をあらわす、

といわれているそうです。

 

境内の社殿の配置はこのようになっています。

 

神門

 

拝殿(黎明殿)

 

参拝の仕方と順番の解説板

お参りの仕方
二礼二拍手一礼(二回お辞儀、二回手を叩く、一回お辞儀)

 

右手前から御本殿(証誠殿)、相殿(中御前、西御前)、

参拝もこの順番です。

当日は、厳かな儀式が執り行われていました。

 

社務所前にあるご神木の下に、黒い八咫烏ポストが設置されて

います。

赤ではなく黒いポストは異様に映りますが、黒はすべての色を

合わせた尊い色で、神の使いである八咫烏の色です。

 

参拝後、杉林を抜けたところにも鳥居があります。

階段を登らずに参拝する方は、近くに駐車場があるので、

そこからこの鳥居をくぐって参拝することも出来ます。

 

旧社地、大斎原(おおゆのはら)は国道168号の入口から徒歩5分、

熊野本宮大社から国道を跨いで徒歩10分ほどの場所にあります。

 

細い石畳の参詣道を進みます。

 

参詣道は一直線に田園地帯へ続いています。

見えてきました!

大鳥居です。

鉄筋コンクリート造の日本一高い大鳥居は、高さ約34m、

幅約42mあります。2000年(平成12年)建立。

実際に目のあたりにすると迫力があり、厳粛な気持ちになります。

鳥居の額には黄金の八咫烏です。

田園の水鏡に映る大鳥居

 

世界遺産登録20周年を祝う横断幕

 

柱の基礎も重厚で大きさは相当なものです。

 

手水舎に鎮座する黒い球が目に付きました。

「魂」と刻まれて注連縄が巻いてあります。

パワーストーンのようなものでしょうか。。

 

世界遺産の記念碑

 

大鳥居建立の意義についての解説板

 

大鳥居から先は高い杉木立の間を進みます。

自然と神聖な気持ちになります。

突き当りから先は熊野本宮大社旧社地、大斎原です。

1889年(明治22年)の大洪水で流失するまで、熊野本宮大社の

社殿があった場所です。

境内は撮影禁止なので撮れるのはここまでです。

 

大鳥居へ向かっていた途中、国道方面の集落の中に、

赤い屋根の大きな建物が見えました。

 

ズームアップすると、やはり校舎のようです。

 

近付いてみます。

国道168号沿いの民家と民家の間に、古い校門と石段が続いて

います。

 

苔生した校門には、「町立本宮小学校」とあります。

 

石段の右端に石碑が建っています。

その位置は、水害による最高水位を示しています。

手前が、2011年(平成23年)9月4日紀伊半島大水害(台風12号)
奥が、1953年(昭和28年)大水害によるものです。

 

石碑を見ながら、当時の様子を想像すると、足取りは重く

なりました。。

石段は右に折れてさらに続いており、三つ目の石碑が建って

いました。

1889年(明治22年)大水害

先ほど訪ねた大斎原の熊野本宮大社の社殿が流失したのも

この水害によるものです。

民家の屋根をはるかに超えており、想像を絶するほどの洪水に

見舞われたようです。

 

石段の陰に咲いたツツジ

 

石段を上がると先ほど見た校舎がありました。

木造2階建校舎です。

前回訪問時にも見た「よいことば」

想像するに、「おはよう」「ありがとう」「ごめんなさい」

といった日本語の美しい言葉、大切な言葉を指しているのでしょう。。

小生も小学生の頃、担任の先生が、離任時に同じ趣旨のことを仰って

おられたのを思い出します。。

 

「よいことば」の下はトンネルのようになっていて、裏側へ

出入りできるようになっています。

黒板と椅子が向かい合わせに置いてありました。

 

木板の表札が残っています。

 

校章は3羽の八咫烏を模しています。

 

校舎の裏側

狭い路地になっています。

校舎の裏側の端部

 

スロープを上がると体育館があります。

 

校庭の様子

手入れされているようです。

 

無造作に置かれた整地ローラー

本宮小学校(2006年移転)

1987年(昭和62年)全校児童64名

2006年(平成18年)四村川小学校、請川小学校との統合により

校舎は使用されなくなりました。

新校舎は、旧請川小学校舎を使用し新・本宮小学校(本宮町耳原499)

となりました。(現在はたんぽぽ保育園となっています。)

移転後の旧校舎は倉庫として、体育館は公民館として利用されて

います。

 

旧校舎からさらに高台に上がった場所に現・本宮小学校があります。

2006年に移転した本宮小学校(本宮町耳原499)ですが、

2011年の紀伊半島大水害や2018年の台風で校舎が浸水するなど

大きな被害を受けたため、水害の恐れのない当地へ再移転となりました。

2023年(令和5年)5月に完成した新校舎です。

 

小学校が移転する前、2012年から本宮中学校がこの地に

建てられていましたので、併存することとなりました。

表札も小学校、中学校の両方があり、入口は共用されています。

手前が小学校校舎、奥が中学校校舎、どちらも近代的な校舎です。

 

小学校校舎

 

中学校校舎

 

中学校校舎の玄関

2012年(平成24年)4月、三里中学校と統合し新・本宮中学校と

なりました。

 

校庭の様子

 

整理整頓された一輪車

 

中学校の玄関前の石碑

 

熊野川の支流、大塔川の清流(本宮町耳打)

2006年に移転した本宮小学校はこの近くにありました。

川沿いに県道241号を進めば、川湯温泉に行けます。

 

透明度の高い綺麗な水ですね。。

 

国道168号をさらに進み、新宮市に入ると、北山川に沿って

三重県境を北上します。

熊野川町九重(くじゅう)地区の沿道にパン屋とカフェの

吊り看板が目を引きました。

 

そこには前回とおなじ平屋木造校舎が建っていました。

アスファルトの駐車場に車が数台ほど停まっています。

 

校舎の近景

窓から突き出たストーブの煙突をみると、冬場でも

寒いのでしょうね。。

 

壁にも沿道で見た看板が貼り付けてあります。

訪れた当日は、本屋兼カフェは休み、石窯パン屋はオープンして

いました。

玄関は右端にあります。

 

構内の案内図

 

廊下の様子

右手にパン屋「むぎとし」、左手にカフェ、本屋があります。

 

教室の様子

 

カフェのメニュー

 

パンむぎとしの入口

 

もみほぐしのお店「POPO」もありました。

 

児童の版画作品

 

1980年(昭和55年)版画カレンダー
 

九重小学校(1991年休校、2005年廃校)

九重中学校は1972年(昭和47年)に廃校となりました。

九重小学校は、近隣の熊野市紀和町花井(けい)地区や奈良県

十津川村竹筒(たけとう)地区から児童を受け入れ存続を

図っていましたが、児童数の減少を止めることは出来ませんでした。

1987年(昭和62年)全校児童は11名まで減少、

1991年休校、2005年廃校となってしまいました。

その後、2011年(平成23年)9月3日から翌4日にかけて

台風12号が紀伊半島を襲い(紀伊半島豪雨災害)、校舎は浸水の

被害に遭い取り壊すことが決定していたそうですが、移住して

きた若者が校舎の活用を行政側に提案した結果、元職員室や教室を

リノベーションし、2013年(平成25年)11月9日に

「ブックカフェ九重」の開店を実現させました。

同時期に「パンむぎとし」もオープンしました。

今ではもみほぐしのお店「POPO」も入っています。

機会があれば、是非訪れてみてはいかがでしょうか。。

施設名:bookcafe kuju & パンむぎとし
所在地:和歌山県新宮市熊野川町九重315
営業時間:bookcafe kuju 11:00-18:00
     パンむぎとし 12:00~18:00(売切れ次第終了)
営業日:bookcafe kuju 土日祝
    パンむぎとし 土日祝