本宮町(ほんぐうちょう)は、和歌山県南部の町です。東牟婁郡に属しておりましたが、
2005年(平成17年)5月1日の市町村合併で、田辺市など4市町村と合併し、新市制の
田辺市の一部となりました。
本宮町は、奈良県十津川村と接する県境の町でもあり、古来より大和国や伊勢国より
熊野本宮に到る参拝路の終点でもありました。
本宮は、熊野本宮大社の神明町として、古代からの歴史を持つ、修験道や権現信仰の故地です。
本宮は熊野本宮大社に奉仕し、また参詣者に宿を提供する神明町として発達しました。
本宮町の中心集落である本宮の名も熊野本宮大社に由来します。
現在では、林業と観光が主産業ですが、交通の不便な山間部にあり、過疎化と、若年人口の流出による高齢化が進んでいます。
中辺路町(なかへちちょう)は、かつて和歌山県西牟婁郡にあった町です。
富田川上流域と日置川の最上流域を含み、北側は奈良県に接して果無山脈の南半分を含む地域でした。熊野古道の主要部分(滝尻-近露-大坂峠)を含む地域でもあります。
2005年(平成17年)5月1日に田辺市・龍神村・大塔村・本宮町との合併により、現在は田辺市中辺路町となっております。
龍神村(りゅうじんむら)は、かつて和歌山県日高郡に存在した村です。
同県の中央東部に位置し、龍神温泉の村として知られていました。
2005年5月1日に田辺市、中辺路町、本宮町、大塔村と合併し、新・田辺市になりました。
村の約70%を標高500m以上の山岳が占め、日高川が村内の主要な地区を流れております。
国道168号を南下し、奈良県十津川村から
七色高架橋を快走し和歌山県に入ります。
本宮町の中心地である本宮町役場付近にあります。
役場裏の急な坂道を上った、民家の密集した中にあるので、
見付けにくいかもしれません。
校舎は当時のまま残っておりました。
ベージュの壁面には、「よいことば」とありましたが、
何か抽象的なことばでもありました。
中庭の植栽も手入れされており、地元の方によって大切に
維持・管理されてるようでした。
請川(うけがわ)小学校(2006年統合により、本宮小学校へ)
本宮小学校は、この地に移転し新・本宮小学校としてスタートしました。
これに伴い、請川小学校の校名は消えました。
かつては、中学校もあったようです。
校歌を刻んだ石碑が残っておりました。
川湯温泉街へ続く道
熊野川の支流である大塔川に沿って、旅館や食堂、共同浴場が見えました。
川湯温泉の由来は、川原を掘れば温泉が湧くことからきているようです。
川の流れの中にも湯が湧いており、川底から気泡が上がるのが見えました。
当日は、鯉のぼりが吊り下げられていました。
県道241号を大塔川に沿って南下した静川集落にあります。
小奇麗な平屋建ての木造校舎です。
薄いピンクの建物は講堂でしょうか。
互いに渡り廊下で結ばれておりました。
静川集落
山間部の長閑な集落です。
こちらも新・本宮小学校への統合に伴い閉校となりました。
湯の峰温泉へ向う途中で川辺に下りた場所にあります。
一部は建替えられ老人ホーム「下湯川苑」となっておりますが、
残った校舎は当時のままでした。
国道311号を中辺路(なかへち)方面へ向い、皆地集落にあります。
緑に囲まれた美しい白壁の木造校舎です。
校庭も綺麗に整備されておりました。
現在は、「いきものふれあいの里」という施設として利用されております。
当日は、正門前に藤の花が咲き清楚な雰囲気を醸し出しておりました。
国道311号武住トンネルを出てほどなく右手に入った場所にありました。
屋根や壁は改修され小奇麗になっておりました。
今は、集会所として利用されているようです。
移転前は、中学校と併設された場所にありました。
山を切り開いた自然溢れる場所に広大な校庭とピンクのお城のような
メルヘンチックな校舎がありました。
中辺路町近露地区にある、青い屋根の平屋建ての木造校舎です。
2012年度の在校生徒は13名でしたが、当時3年生の5名が
修学旅行先の東京で、地元の世界遺産の熊野古道などを紹介した
自作のチラシを配ったとの記事がありました。
台風被害から復興を願う地元の為に生徒らが計画したという美談です。
急峻な山岳を縫うように曲がりくねった道が続く。
龍神村に入り、国道425号から県道735号に進んだ殿原集落にあります。
小さな集落ですが、校舎は重厚で立派なものでした。
国道425号沿いの龍神村宮代地区にあります。
沿道からは、リサイクル品や廃材が置かれた場所し見えませんが、
裏に回ると綺麗な校舎がありました。
とても閉校した校舎には見えません。閉校後に改築されたものと思われます。
正門と二宮尊徳像は当時のまま残っておりました。
現在は、「宮代きずな館」という交流センターとなっております。