新潟県上越市、出雲崎町、弥彦村の廃校休校巡り(2020/08/11) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

上越市は、新潟県南西部(上越地方)に位置する都市です。

2005年(平成17年)1月1日付で市域周辺の13町村を編入合併し、
市域は合併前と比較して面積が4倍となり佐渡市を超えました。

近年は少子高齢化により人口減が顕著となっています。

戦国時代には長尾景虎(上杉謙信)に代表される長尾氏(上杉氏)が

春日山城を居城としたため城下町として栄えました。

 

出雲崎町は、新潟県の中越地方にある日本海に面した町です。

良寛の出生地で知られ、松尾芭蕉の奥の細道にも登場しました。

江戸時代には幕府直轄の天領地となり、北前船の寄港地、

佐渡島からの金銀荷揚げの地として栄えました。

 

弥彦村は、新潟県西蒲原郡にある村です。
弥彦山、弥彦温泉、彌彦神社などがあり、観光業が盛んです。
また、弥彦競輪場も重要な集客施設となっています。

 

今回は、上越市で2校、出雲崎町で1校、弥彦村で1校となります。

 

北陸自動車道、柿崎IC下車後、県道25号、61号、524号と南下し、

吉川区赤沢集落に入ります。

赤い屋根が見えたので、側道から脇道を上ります。

 

赤沢東のバス停が目印です。

 

スロープを上ると2棟の木造校舎が横たわっていました。。

 

左側が教室棟です。

1階の窓は雪囲いの羽目板で塞いであります。

 

玄関になっている部分は渡り廊下のように繋がっていたのでしょう。

 

右側が体育館です。

こちらも壁面の下半分はトタンで打ち付けてあります。

 

現在は、地区の公民館、「勝穂分館」として使用されているようです。

 

校庭側から撮った体育館

校庭側から撮った教室棟1

裏側と表情が異なり、たくさんの窓が開放的で明るい雰囲気を醸しています。

1階の部分は雪囲いが施してるのですが、草木に覆われ隠れています。

校庭側から撮った教室棟2

このアングルが立体的で見栄えが良いですね。。

 

赤いトタン屋根、白ペンキの格子窓、縦板張りの壁にトランペットスピーカ。

すべてが懐かしさを感じる顔ぶれです。。

 

校庭側から撮った2棟の校舎

 

校庭の様子

一部はゲートボール場として整備されています。

時折、地元の方々が来られるのでしょう。。

 

校庭の隅に佇む遊具

 

周りの樹木と同化していくトーテムポール

 

鳥か蛙?のオブジェ

詳細不明ですが、卒業記念の制作でしょう。。

 

学校跡記念碑

1913年(大正2年)4月創立

1989年(平成元年)3月閉校

75年の歴史に幕を閉じました。。

勝穂小学校(1989年閉校)

赤沢集落から500mほど進んだ丘の上に建つ木造校舎です。

ほぼ往時の原型を留めており見応えのある校舎です。

勝穂という地名はありませんが、校舎の位置する赤沢の他、周辺の泉、

伯母ケ沢(おばがさわ)集落を総称して勝穂と呼んでいるそうです。

1987年(昭和62年)の全校児童は30名でした。

 

県道61号に戻り南下、県道241号に折れて吉川区東田中集落に入ります。

沿道に往時の正門が残っていました。

 

明瞭な銘板がハッキリと校名を表示しています。

 

アスファルトで固めた敷地の奥に木造体育館が建っています。

校舎は解体されたようです。

赤いトタン屋根に下見板張りの壁、窓はサッシに変わっています。

羽目板で閉鎖している部分は校舎と繋がっていたのでしょうか。

 

木板の表札をみると、地区の公民館「東田中分館」として使用されているようです。

 

校地の周りは、田園が広がって長閑な風景です。

 

裏側から撮った木造体育館

 

往時から咲いていたのか、ピンクの百日紅が草むらに見えました。

 

閉校記念碑

1892年(明治25年)創立

1989年(平成元年)閉校

95年の歴史に幕を閉じました。

「趣意」の題字には、閉校への無念が込められているように

感じられました。

 

裏面は校歌が刻まれていました。

 

東田中小学校(1989年閉校)

正門と木造体育館、閉校記念碑が残るだけです。

沿革をみると、

1892年(明治25年)上吉川村立東田中尋常小学校が開校。
1947年(昭和22年)吉川村立東田中小学校と改称。
1955年(昭和30年)町村合併により吉川町立東田中小学校と改称。

1987年(昭和62年)の全校児童は83名でした。

 

国道116号を北上し、小木番場交差点を右折し林道を小木ノ城址方面に

進みます。

迷路のような道程で、どこを走っているか分からず、不安になりかけた頃、

林道の終点を示す標柱を見付けました。

 

別ルートの林道常楽寺線との合流点です。

 

周りを見ると、樹木に囲まれた中にグリーン屋根の建物が

視界に入ってきました。

 

坂道を下りて近付いてみます。

 

夏場しか人の出入りは無さそうですが、庭は手入れされており

テーブルや椅子が置いてあります。

椅子の後方に墓石のような閉校記念碑が建っているのですが、

アップで撮り忘れました。。

 

廃校後は「小木ノ城山荘」として使用されているようです。

 

西越小学校相田分校(1971年閉校)

1962年(昭和37年)新築した校舎です。
ネットで10年前の校舎をみると、赤い屋根にオレンジ色の壁でした。

外装は何度か塗りなおしている様子です。

鬱蒼と茂る樹木の陰に佇む分校は、人影もなく静まり返っていました。

 

相田集落の様子

分校付近は数件の家屋が残っていますが、ほとんどが廃屋です。

閉校と同年に廃村となった集落は、夏場に別荘を訪れる人以外は

往来もない様子です。

 

弥彦村に入り、県道2号を北上、麓(ふもと)地区の路地を進むと

2階建の木造校舎が姿を現しました。

 

木柱には「弥彦村ふるさと学校」の案内があります。

こちらは校舎の裏側と気が付き、矢印の方向に進みます。

 

逆光で眩しい中、視線の先に一対の門柱が見えました。

 

レンガ造りの立派な門柱の表札は、「観山荘」となっています。

片方の表札は「老人憩いの家」とありましたが、往時の正門だったようです。

 

正門の左側、敷地の奥に見える校舎は、裏側とは異なり

立体感のある豊かな表情です。

(老人憩いの家は正門の右側にあります。)

 

寄棟瓦屋根、パステルブルーを基調にした落ち着いた雰囲気の玄関。

周りは椰子や松等の樹木に囲まれ涼し気です。。

 

松の木の傍では、読書に余念のない二宮尊徳

 

玄関の近景

閉校後は、公民館麓支館となっています。

ふるさと学校は公民館の中にあります。

7月末までは新型コロナウィルスの影響で閉館していましたが、

8月からは開館しているそうです。

 

まなぶ部屋

館内は「はたらく」「まなぶ」「くらす」の3つのテーマに分かれて

往時の様子を再現しています。

 

狭い机は二人掛け。。

お尻や腰が痛くなりそうな椅子。

かつては当然のことでしたが、今考えてみると

長時間の授業には耐えられそうにない代物ですね。。

 

くらす部屋

展示されている道具は実際に手で触れることもできるようです。

 

廊下の様子

 

階段の様子

麓小学校(1970年閉校)

1956年(昭和31年)に建てられた、県内で数少ない現存木造校舎です。

かつては他に校舎があったのですが、取り壊した後、1972年(昭和47年)に

老人憩いの家を建てたとのことです。

現在は公民館および弥彦村ふるさと学校(民俗資料展示室)として利用されています。

皆様も一度足を訪れてみてはいかがでしょうか。

弥彦村ふるさと学校
住所:新潟県西蒲原郡弥彦村麓7045
電話:0256-94-4311
開館時間:午前9時~午後4時30分
観覧料:無料