愛知県半田市「新美南吉記念館」を訪ねて(2020/02/24) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

半田市(はんだし)は、愛知県南部の尾張・知多地方に属する市です。

1937年(昭和12年)半田町・亀崎町・成岩町の合併に伴い誕生しました。

江戸時代中期から本格化した醸造業の成長とともに、港湾都市として発達し、
明治以降は知多半島における行政の中心となています。

「ごんぎつね」「手袋を買いに」「おじいさんのランプ」「でんでんむしのかなしみ」などで

知られる童話作家、新美南吉の出身地でもあり、市内には新美南吉記念館があるほか、

記念館周辺には童話にちなんだ花畑なども広がっています。

中でも「ごんぎつね」は、1956年(昭和31年)から小学4年生の国語教科書に
掲載され、現在ではすべての教科書に採用されています。

皆さんもきっと読まれたことがあるでしょう。。

幼い頃に読んだ物語や童話は、「めでたし、めでたし」といった安堵の結びで

終わるものが多いのですが、アンハッピーエンドの悲しい結末として、

今もなお、小生の心に残っているのが、「ごんぎつね」と「フランダースの犬」です。

今回は、「ごんぎつね」の作者、新見南吉の記念館を訪ねてみました。

 

新美南吉記念館の地図(HPより抜粋)

所在地:愛知県半田市岩滑(やなべ)西町1-10-1
アクセス:車では、知多半島道路、半田中央IC下車、5分
     電車では、名鉄河和線半田口駅から徒歩で20分
開館時間:午前9時30分 ~ 午後17時30分
休館日:毎週月曜日、毎月第2火曜日、年末年始
(祝日・振替休日の時は開館し、その次の開館日が休館)
入場料:220円(中学生以下無料)

 

知多半島道路、半田中央IC下車後、ほどなく記念館に着きました。

「新美南吉のふるさと」というキャッチフレーズと「ごん吉くん」の

イメージキャラクーが印象的です。

 

ステンドグラスで制作した「ごんぎつね」

物語のいろいろな場面が一枚の絵に色鮮やかに描かれています。

シダの茂る森の中に穴を掘って住んでいた一人ぼっちの子ぎつね、ごん。

兵十が捕まえたウナギをわざと逃がすイタズラ好きなごん。

償いのため、拾った栗を兵十の家にそっと置いて帰るが、

再びイタズラをしに来たと勘違いした兵十に鉄砲で撃たれてしまうごん。

青空に架かった虹を渡るごん。

両手には兵十に届ける栗が。。

 

ごんぎつねのブロンズ像

新美南吉生誕100周年記念に寄贈されました。

2013年(平成25年)7月30日建立

 

新美南吉記念館は、1994年(平成6年)6月に、「ごんぎつね」の

舞台となった中山の地に開館しました。

2013年(平成25年)1月には、生誕100年を記念してリニューアル

オープンをしました。

公園のように開放的な広場があり、奥は童話の森が続いています。

 

スロープを下りて館内に入ります。

 

記念館のリーフレット、観覧券、入場料の領収書です。

どれも、きつねのイラストが入っていますね。。

 

館内の様子

 

モノクロの肖像写真

新美南吉は1913年(大正2年)7月、愛知県知多郡半田町

(現在の半田市)に生まれました。

幼くして母を亡くし、養子に出されるなど寂しい子ども時代を送り、

長じてからは健康に恵まれず、初めての童話集を出した翌年に

29歳でこの世を去りました。
「ごんぎつね」は、南吉の代表作で、彼が18歳の時に執筆したものです。

 

南吉童話に登場する動物たちのイラスト

幾つものガラスを重ねてあって、立体的ですね。

動物たちが鮮やかに描かれて躍動感がありますね。。

 

剥製のごん

2014年(平成26年)2月に付近の矢勝川で、住民に発見されました。

すでに死骸となっていましたが、ごんぎつねの舞台となった矢勝川で

見つかったことから、ごんぎつねとの縁を感じた住民が剥製化して

記念館に寄付しました。

童話の中でしか会えなかったごんが、見事によみがえりました。。

イタズラをしてやろうと、びくに手を掛け中を覗こうとする、ごんの様子が

とてもリアルですね。。

 

童話のイラスト

母親を亡くし、一人ぼっちになった兵十。

イタズラで逃がしたウナギは、病気の母親に食べさせるものだったと知り、

反省したごんは、来る日も来る日も、森で拾った栗や松茸を裏の戸口に

そっと置いて帰ります。

 

最終ページ

イタズラに来たと勘違いした兵十に撃たれたごん。

 

ジオラマ模型も展示されています。

イタズラをして兵十を困らせるごん。

 

最後の場面

「ごん、お前だったのか。いつもくりをくれたのは。」
 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなづきました。
 兵十は、火なわじゅうをばたりと取り落としました。

青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました。(おわり)

 

兵十が使っていたのと同じタイプの銃が展示されていました。

戦国時代にヨーロッパから伝来し、江戸時代末期まで使われました。

 

南吉のことば

亡くなる一年前に記したものです。

 

晩年に記したことば
 

他にも代表作「手袋を買いに」のジオラマもありました。

母きつねと子ぎつねが、町へ手袋を買いに行く途中、

何か話しているようですね。。

 

「おじいさんのランプ」のジオラマです。

電灯が主流になり、時代遅れとなったランプを木に吊り下げた

おじいさんは、泣きながら石を投げつけランプに別れを告げ、

ランプ屋を廃業するのです。

 

館内には、カフェ&ショップもあります。

カフェでは、オリジナルコーヒー「権(ごん)ブレンド」が楽しめます。

 

ショップは、絵葉書、絵本、ごんのグッズなどでいっぱいです。

 

次に向かったのは、南吉の生家です。

家の手前に建つのは、南吉生い立ちの地を示す石碑です。

 

昔の街道だった傍にひっそりと建っています。

新美南吉(本名新美正八)は、1913年(大正2年)7月30日、
父渡辺多蔵、母りゑの次男としてこの家に生まれました。

 

道からは一階建てに見えますが、裏にまわるとニ階建てになっています。

正面から見て左が継母志んの下駄屋、右が父多蔵の畳屋です。

引き戸をガラガラと開けてお邪魔します。。

 

下駄屋の様子

木製の陳列ケースに赤い下駄や草履が並んでいました。

 

壁には、小学校の卒業写真、代用教員だった頃のお気に入りの写真など

掲げてあります。

 

生家の解説板

 

生家は、半田市の景観重要建造物に指定されています。

 

下駄屋の奥は居間になっています。

 

隣の畳屋の様子

 

鉤や針などの道具類が展示してあります。

 

ちょっと狭いですが、地下へ降りていきます。

 

階段の下は勝手場となっています。

おや、釜の中に栗や松茸が入っていますね。

きっと、ごんが届けてくれたものでしょう。。

 

左手に小間(小部屋)がありますが、

こちらで家族が食事をしていたそうです。

 

右手は物置です。

 

再び外に出てみます。

 

生家の右端に南吉の句碑が建っています。

「冬ばれや 大丸煎餅 屋根に干す」

隣家はせんべい屋だったようです。

屋根に干したせんべいを見上げる南吉の姿が目に思い浮かぶようです。

 

生家の駐車場に咲いた梅が満開でした。。

【新美南吉の生家】
所在地:半田市岩滑中町1-83
最寄り駅:名鉄線河和線「半田口」駅下車、西へ徒歩3分
休館:無休(年末年始は休館)
入館:無料

近くには、「ごんぎつね」の舞台となった中山、矢勝川、村の墓地、

権現山、花畑などがあり、南吉の童話作品を思い描きながら

散策するのもよいでしょう。。

 

最後に、「ごんぎつね」の全文をリンクします。(岩滑小学校HPより抜粋)

⇒ こちらへ

幼くして母親を亡くした南吉は、自身の境遇をごんに重ね合わせていたのでしょう。

自身も29歳という若さで逝ってしまいました。

夭折の児童文学作家が残した代表作「ごんぎつね」はこれからも多くの人々の

心に生き続けることでしょう。