奈良県中西部の廃校と梅林(2020/03/12) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

今回は、奈良県中西部の廃校巡りですが、具体的には

上図の御所(ごせ)市で1校、下市(しもいち)町で3校の

計4校の短編となります。

下市町の3校は2012年以来の再訪になりますが、約8年振りに

訪ねてみました。

初回の記事は⇒ こちらへ

 

御所市から五條市へと南下し、吉野郡下市町へと進みましたが、

梅の花が見頃とのネット情報を頼りに、奈良県の三大梅林の

賀名生(あのう)梅林と広橋梅林に立ち寄ってみました。

(残り一つは月ヶ瀬梅林ですが今回は行ってません。。)

 

大阪市内から国道309号(富田林街道)を南下、水越トンネルを

抜けると御所市です。

名柄交差点から県道30号を南下、伏見地区に廃校舎が残っています。

 

沿道の石垣の上に建っていますが、車も停まっており、

個人所有となっているようです。

普通の民家と変わらない外観のため、知らないとそのまま

通過してしまうことでしょう。。

 

側面をみると、補強したトタンは錆びており年季が感じられます。

窓の枠など損傷している箇所は、木板を被せて補修してあります。

 

往時の玄関

入口の扉は金具で打ち付けてあります。

ここまでみると、本当に学校だったのか分かりませんが、

切妻屋根の鬼瓦をよく見ると。。

 

2階には、「小學」の文字が。

 

1階には、「伏見小學校」の文字が確認できました。

 

葛城西小学校(1964年廃校)

かつては、伏見尋常小学校でしたが、戦後は葛城西小学校に改称と

なり廃校を迎えました。

廃校後は、民間に払い下げとなり個人所有物となっています。

現在は物置として使用されているようです。

 

国道24号を南下し五條市に入ると、国道168号を十津川方面に南下します。

奈良県三大梅林の最初に訪れたのは、賀名生(あのう)梅林です。

国道沿いの沿いの擁壁のガードレールに文字看板が見えました。

賀名生(あのう)という地名は南朝時代に付いた由緒あるもので、

周辺には賀名生皇居跡や歴史民俗資料館があります。

 

古びた案内看板

口の千本、見返り千本、奥の千本など梅林の見どころが書いてあります。

約2万本の梅が2月下旬から3月上旬に見頃を迎えます。

一周約5.5㎞とありますが、すべてを見て回るのは、3時間ほどかかる

そうです。

なお、梅林内の車両通行は地域住民のみできますが、一般の観光客は

国道沿いの駐車場に止めて、徒歩にて登らなければなりません。

 

観光客を呼び込む幟もたくさん立っています。

 

道の両側に梅の花を見ながら、登っていきます。

思ったよりも勾配があり、少し歩くだけで汗ばむほどです。

 

丘陵を埋め尽くす梅林

梅林は直下の国道まで広がっています。

 

山の斜面は、淡いピンクや純白の梅花で染まっています。

桃源郷のような幻想的な風景が広がります。

 

急峻な山の斜面にに民家が点在しています。

 

梅林の散策路から望む集落の風景

 

南高、白加賀、林州などの品種があり、6月に収穫期を迎え、

梅酒や梅干し用として出荷されるそうです。

 

枝は横に広がり背の低いのが特徴です。

真紅のしだれ梅も咲いていますね。

 

地元の方に聞いたところ、例年よりも早く、1週間ほど前がピーク

だったそうですが、まだ見頃は続いていました。

 

こちらの白梅はこれから満開のピークを迎えようとしています。

 

梅林を一周するのは断念して国道に降りて、反対側の資料館に来ました。

 

庭園も綺麗に整備されています。

2005年(平成17年)に五條市に合併する前、西吉野村だったこの地では、

村の歴史や文化を伝承するための事業として、「賀名生の里 歴史民俗資料館」の

建設に取り掛かり、2004年(平成16年)7月に完成、9月に開館しました。

 

正面玄関

 

当日は、「西吉野のおひなさま展」の開催期間中ということもあり、

華やかなひな壇が迎えてくれました。

館内には、南朝時代の後醍醐天皇所縁の品々をはじめとする歴史資料や

農耕・林業などの西吉野の村人たちの生活を支えてきた民具や調度品などが

展示されています。

残念ながら、これから先は、撮影禁止のため掲載できませんが、

興味のある方はぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。。

所在地:奈良県五條市西吉野町賀名生5

開館時間:9時~17時(入館は16:30まで)

休館日:毎週月曜日、祝祭日の翌日、年末年始

 

資料館の前には、賀名生の由来を伝える石碑が建っています。

「穴生」⇒「加名生」⇒「賀名生」と変遷した経緯が記してあります。

 

国道168号を南下し城戸(じょうど)から県道20号を丹生(にう)川に

沿って下市町方面に進みます。

 

対岸は淡いピンクと山吹色で飾り付けされています。

調べてみると、啓翁桜(けいおうざくら)とサンシュユです。

 

啓翁桜は、冬に花を咲かせる桜です。
しなやかな細い枝にたくさんの花が咲きそろう姿がとても華やかです。

サンシュユは、江戸時代に朝鮮半島経由で伝来し薬用植物として

栽培されましたが、現在は鑑賞用として庭木などに利用されています。

日当たりの良い場所を好むそうです。

穏やかな春の日差しを浴びた、ピンクと黄色の優しい競演に

心が和みますね。。

 

県道138号に入り、西へ進むと吉野郡下市町です。

西山地区の沿道に古い木造校舎が残っています。

正門の表札は抜いてありました。

 

3棟の建物が並んでおり、右手前から体育館、講堂、校舎です。

 

白壁の半切妻屋根の体育館は、地区のコミュニティ体育館としても

活用されています。

中央の講堂は、1階に理科室、音楽室、資料室、用務員室が

あったようです。

 

やはり目を引くのは木造校舎です。

1948年(昭和23年)に建てられ、すでに70年以上経過していますが、

取り壊されることなく現存しています。

(解体の費用の捻出が困難な事情もあるそうです。。)

 

前回も訪ねましたが、周りの自然に調和し、優しく懐かしさを感じる

木造校舎です。

 

下見板張りの壁、木枠の窓に郷愁が漂います。。

 

正面玄関の近景

前回訪問時(2012年5月)より老朽化が進行しており、

天井や壁の一部は崩壊しています。

校舎の周りは規制ロープが張られていました。

 

校庭の様子

前回来たときは、地元のご老人たちがゲートボールを楽しんで

おられましたが、今回はグランドゴルフに興じておられました。

 

錆びた遊具(雲梯)

校庭にレールのような影を落としています。

 

錆びた遊具(ジャングルジム)

上段、中段、下段から成り立っており、それぞれ黄色、赤、青で

塗られていましたが、ペンキが剥げ落ち、錆び付いて全体的に

茶色になっています。

 

丹生(にう)小学校旧校舎(1988年閉校)

1951年(昭和31年)下市町に統合されるまでは、丹生村だった地域です。

校舎は、1988年(昭和63年)に新校舎への移転に伴い廃校舎となりました。

その後、山口智子さん主演のNHK連続ドラマ「純ちゃんの応援歌」ロケ地に

なるなど脚光を浴びました。(放送期間は1988年10月3日~1989年4月1日)

桜の名所としても知られ、「木造校舎と桜」をテーマに多くのカメラマンたちが

訪れるそうです。

閉校時の全校児童は18名でした。

 

後日、桜の咲く頃に訪れました。(2020年4月11日撮影)

 

やはり、木造校舎と桜はよく似合いますね!

 

県道138号を西へ進み丹生(にう)地区に入ります。

丹生川を渡り、国道309号を左折してほどなく、長谷集落に着きました。

手前の鉄筋の建物は、下市町山村振興センターの表札があり、

学校とは関係ありませんが、左手奥の木造校舎はかつて分校だった建物です。

 

正面玄関の近景

戸口にはブルーシートの塊が放置され、雑然としています。

 

反対側から撮った校舎

縦板張りの壁に、パステルピンクの窓枠が美しい木造校舎です。

前回来た8年前は、壁に「丹生川漁業協同組合事務所」の看板が

ありましたが、取り外してあります。

現在は事務所としても使用されていない様子です。

 

丹生小学校長谷分校(1967年閉校)

特に閉校記念碑も分校跡を示す石碑もありませんが、

中央に3基のバットレスで補助した重厚感ある校舎は健在です。

聞けば、かつては地区(大字)単位で分校があったそうです。

長谷集落もその一つで、40世帯ほどの集落の子弟が学んでいたそうです。

 

国道309号を引き返す途中で、丹生川の対岸に体育館が見えたので

集落の中の狭い脇道を入っていくと校門と校舎に辿り着きました。

さきほど訪れた丹生小学校が移転した新校舎です。

 

右側の門柱には、丹生小学校の表札。

 

左側の門柱には、丹生幼稚園の表札が残っています。

 

1988年(昭和63年)完成の新校舎ですが、少子化による児童減のため

1998年に閉校となりました。

わずか10年しか使用されなかった鉄筋校舎は、下市町民俗資料収蔵庫として

活用されています。

下市町は、吉野地方の林業の集積地として、また箸や曲物、桶など木地物の

産地として栄えた町であり、特に割り箸発祥の地で知られています。

 

明るい配色の校舎(南側)は幼稚園だったのでしょうか。。

 

壁にモザイクのように貼ったタイルアートが飾ってあります。

体育祭の様子でしょうか。。

 

さきほどの校門(左側)の裏に隠れるように佇む石碑。

傍を流れる丹生川のせせらぎが聴こえてくるようです。

 

裏面には、閉校10周年を記念して再会したことが記されて

ありました。

そのため、比較的新しい外観なのですね。

懐かしい顔ぶれに話が弾んだことでしょう。。

丹生小学校(1998年閉校)

校庭側(北側)に周ってみると、落ち着いた感じの鉄筋校舎が

横たわっていました。

一枚の写真に収まらないほどです。

往時はそれなりに多くの児童が学んでいたと思われますが、

1991年(平成3年)の全校児童は27名でした。

 

国道309号を北上し広橋地区に入ります。

広橋トンネルを利用せず、旧道を走ります。

広橋峠付近の坂道、擁壁の高台に校舎群が見えました。

 

丘には、いっぱいに枝を広げた梅の花が咲いていました。

 

坂道を登った場所に「広橋峠」のバス停があります。

 

校舎の全景

何度か来ましたが、校舎は石垣を見上げる高い位置にあるので、

向かいの梅林へ向かう坂道からでないと、全景が撮れないのです。

2階建ての木造校舎と平屋の講堂が繋がっています。

 

講堂側から撮った校舎

 

パステルピンクの窓枠や鏡板が印象的です。

手前は改修されシャッターが設置されていますが、

閉校後は倉庫として使用されていたのでしょう。

 

校舎の前に軽トラが2台停まっていますが、人影はありません。

 

校舎の壁面

壁から突き出した黒い煙突は、近年取り替えた様子です。

 

前回(2012年5月)訪問時に無かったのは、正門前の木製の門と、

「よしの広橋スマイルヴィレッジ」の表札です。

校舎内部にリフォームを加えてコミュニティー施設として活用

されています。

ネットでみると、カフェなど寛ぐスペースがあり、コンサートや

各種イベントが催されているようです。

 

門標はまだ残っていました。

 

正面玄関の近景

 

戸口左側の下駄箱

往時も使用していたのでしょう。

 

中央の柱には、児童欠席数を記す縦長の小さな黒板が掛かっています。

 

校舎の奥に進むと青いペンキで塗られた手洗い場がありました。

 

奥まった場所に平屋校舎がひっそりと建っています。

 

表札は、廣橋幼稚園。

幼稚園はこちらに併設されていました。

 

丘の上にさらに上った場所に校庭がありました。

ご老人たちがグランドゴルフを楽しんでおられました。

近年は、ゲートボールよりグランドゴルフが主流になってきているようです。

 

再び校門まで戻ります。

 

落ち着いた表情の二宮尊徳像

 

小学校・幼稚園の閉校・閉園記念碑「学びの跡」

 

裏面には校歌と沿革が。

一、峯ひかる わがふるさと

山なみの空 ひろびろと~

1874年(明治7年)5月 広橋小学校創立

1953年(昭和28年)6月 広橋幼稚園開園

1999年(平成11年)3月 広橋小学校・幼稚園、閉校・閉園

 

広橋小学校(1999年閉校)

旧道にあるので、交通量は少なく静かな佇まいです。

下市小学校への統合に伴い閉校となりました。

1982年(昭和62年)の全校児童は38名でした。

 

小学校前の道路を挟んだ向かい側に、広橋梅林への案内看板が

出ています。

 

せっかくなのでアスファルトの坂道を登っていきます。

 

最初に遭遇したのは、ピンクの枝垂れ梅です。

 

1週間ほど前がピークだったそうですが、青空に舞い降りる柳花火

のようです。

 

隣には休憩所が設置されています。

こどもの人形が出迎えてくれました。。

 

擁壁の上から梅林へ向かう小生を励ましてくれるようで

何だか嬉しい気持ちになりました。

梅林と集落の風景

賀名生梅林のように、山の斜面に民家が点在していました。

 

白梅

遠く葛城山系の稜線が連なっています。

 

広橋梅林は、広橋峠の北側斜面、約25ヘクタールにわたって

約5,000本の梅が植栽されており、2月下旬から3月下旬が見頃だそうです。

今年は暖冬のため、例年より満開になる時期が早かったそうです。

 

アスファルト道から狭い脇道を歩きます。

 

近道になっているようです。。

 

再び舗装道路に出ました。

どこまで続いているのか分からないのと、賀名生に続き

急こう配を歩き続けてきたので、この辺りで折り返すことに

しました。。

 

こちらでも、呼び込みの幟が西吉野の冷たい風に揺れていました。。