福島県只見町、南会津町、天栄村の廃校休校巡り(2019/10/14) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

只見町は、福島県の最西端に位置し、南会津郡に属する町です。

日本有数の豪雪地帯となっています。

1955年(昭和30年)に合併した只見村と明和村に、

1959年(昭和34年)朝日村が合併して誕生しました。

田子倉ダムを含む只見川は日本有数の水力発電による

電源地帯となっています。

 

南会津町は、只見町と同様に福島県会津地方、南会津郡にある町です。

2006年(平成18年)3月20日 田島町、舘岩村、伊南村、南郷村と

合併して発足しました。

会津地方の中心、会津若松市まで約45km の位置にあり、東北地方の

南の玄関口となる地域です。

町域の92%は森林で占められ、西部地区は特別豪雪地帯に指定されています。

 

天栄村(てんえいむら)は、福島県岩瀬郡にある村です。

1955年(昭和30年)3月31日 牧本村・湯本村・大里村と広戸村の一部

(飯豊・白子・小川と柿之内・高林の各一部)が合併して天栄村が発足しました。

「天栄長ネギ」「天栄米」「天栄ヤーコン」が村の三大ブランドとして特産物と

なっています。

 

新潟県魚沼市から国道252号を東へ進み、福島県只見町に入ります。

県境を越えると朝霧の中に田子倉湖の幻想的な風景が現れました。

ダムによって誕生した田子倉湖は、総貯水容量は徳山ダム(揖斐川)、
奥只見ダムに次ぎ日本第3位の規模を誇ります。

紅葉の頃はさぞかし見応えがあることでしょう。。

 

国道289号を南会津町方面に進み、途中から県道153号を布沢(ふざわ)

方面に直進します。

 

沿道の大きな看板は、明瞭で見過ごすことはないと思われます。

英語やハングル等の表記もありますが、海外からも訪れる人が

いるのでしょうか。。

看板の方向に目を遣ると。。

 

バラスを敷いた校庭の一段上に、目新しい外観の木造校舎が

建っていました。

外壁などキレイに改修されていますが、分校の面影を残し木の温もりが

伝わる校舎です。

 

正面玄関の近景

生憎の雨天のためか人影もなく静まり返っていました。

 

このあたりの集落にもクマが出没しているのですね。。

新潟県長岡市や魚沼市でも同じような注意喚起の看板を見てきました。

壁に掛けてあるカンジキは雪国ならではの必需品ですが、

長靴では歩けないくらい積雪があるのでしょう。。

 

雨天でしたが、カラフルに彩られた庭の花壇を見て、明るい気分に

なりました。

 

屋根の下に「木の化石」と称する岩のようなものが展示してあります。

 

解説板によると、珪化木(けいかぼく)と呼ばれ、 樹木が地中に埋没し、

珪化した化石です。

2008年(平成20年)村人が発見し寄付したそうですが、900万年前のものだそうです。

 

 

明和小学校布沢分校(1982年閉校)

1958年(昭和33年)開校の分校は、明和小学校の分校として、

布沢・坂田集落の子供たちが通う学校でしたが、

過疎少子化による児童減少のため、やむなく閉校となりました。

1995年(平成7年)に村人たちの尽力により、山村暮らしの

宿泊体験施設「森林の分校ふざわ」として再生・開校しました。

1階の元職員室、給食ルームは食堂、厨房に、
2階の元教室(3部屋)は宿泊部屋に改修され、
校庭は、駐車場、イベント会場、BBQなどに使用されています。

なお、2007年(平成19年)から集落の有志の方々により組織された

森林の里応援団により運営されています。

校舎は化石とならずに活用されているようですね。。

 

国道289号に戻り南下、南会津町に入ります。

下山地区に近年閉校となった小学校を見付けました。

銘板も当時のまま残っています。

 

濡れたアスファルトに立つ樹木の奥に、ベージュの鉄筋校舎が見えます。

 

その校舎の先に白っぽい棟が増築されていましたが、図書室などの

特別教室棟でしょうか。。

 

目を引くのは、壁のレリーフです。

豊かな自然の中、子供らが大空へと飛び立っていく姿が躍動的に

描かれています。

蝶も舞い上がり、魚たちも一緒に飛び跳ねています。

楽しそうですね。。

校庭に周ってみます。

奥に校舎が2棟、手前に体育館が1棟、直列に並んだ眺めは壮観です。

 

1972年(昭和47年)完成の校舎は、すでに47年が経過しています。

 

中央は少しへこんで平板な壁となっており、通用口があるのみです。

職員室だったのでしょうか。。

校舎に比べると、どっしりとして頑丈そうな体育館

 

校庭の様子

 

玄関の貼り紙

統合先の南郷小学校は、約8㎞南方の山口地区にありますが、

元は南郷第一小学校があったところです。

 

南郷第二小学校(2012年閉校)

南郷第一小学校とともに、南郷小学校への統合に伴い閉校となりました。

(南郷小学校の校舎は第一小学校のものを転用しているようです。)

現在は使用されていませんが、過疎・中山間地域へのオフィス立地を促進するため

里山オフィス事業の候補物件となっており、貸与・譲渡先を探しているようです。

1987年(昭和62年)の全校児童は117名でした。

 

南会津町の中心、田島地区から国道121号を南下、中荒井地区の

集落に古い木造校舎が建っています。

国道から脇道に入っていくので、沿道から見付けるのは難しいと思います。

 

柳に赤い校舎が風流ですね。。

 

近付いてみると、窓はサッシに変わっているものの老朽化が

進んでいました。

平屋の長い建物ですが、どれくらいの児童が学んでいたのでしょう。。

 

簡素な玄関

扉はなく、シャッターが取り付けられ倉庫として使用されているようです。

 

赤ペンキの板壁は火事で焦げたように黒く変色しています。

長らく手入れもされていない様子です。

校舎の裏側

こちらが表側より新しく見えました。

隣に建つお堂は子安地蔵堂です。

江戸時代初期に、この地を訪れた皇族が地蔵菩薩を心から祈った

ところ安産のご利益を授かったので、お堂を建てて子安地蔵菩薩として

安置してあるそうです。

 

目を引くのは、分校のシンボルツリーです。

 

柳の木ではなくて枝垂れ桜でした。。(^^ゞ
高さ10m、樹齢115年の名木です。

 

板壁に掲示された分校の沿革

1872年(明治5年)創立

1959年(昭和34年)廃校

その後は企業の生産工場、倉庫などに活用されました。

 

荒海(あらかい)小学校中荒井分校(1959年廃校)

最後に新築されたのは1926年(大正15年)となっていますので、

現存する校舎は、築93年ということになります。

大正、昭和、平成そして令和とおよそ1世紀の間、まさしく時代の荒海に

耐えてきた校舎なのですね。。

2016年(平成28年)3月1日、南会津町景観重要建造物第一号に

指定されましたが、枝垂れ桜と同様に、今後も大切に保存されて

いくことを願います。

 

南会津町から国道121号を北上、下郷町を経て国道118号を進み

天栄村に入ります。

羽鳥湖に近い沿道で校舎らしき建物を見付けて立ち寄りました。

閉校後は木工房に使用されていたのでしょう。。

「めばえ工舎」と書かれた古い木板が入口に立っています。

 

往時の門標も確認できました。

校庭の奥に、平屋の校舎や体育館がL字型に並んでいます。

 

体育館

 

何とか判読できましたが、壁の切文字は剥がれてしまっています。

 

赤や白の屋根に青い壁がカラフルな平屋校舎です。

 

壁から突き出たストーブの煙突

冬場の厳しさが伝わってきます。。

 

正面玄関の近景

 

玄関の窓越しに見た標語

 

校舎前には小さな庭や池があったのでしょうが、長らく手入れも

されていない様子です。

 

白鳥のモニュメントも寂しそうです。。

 

懐かしい逆上がりの補助板

 

ブランコや登り棒

 

廻旋塔やシーソー

小学校跡記念碑

元は湯本小学校辰目沢分教場でしたが、村人たちの念願であった

昇格独立を成し遂げ、1965年(昭和40年)4月に羽鳥小学校として

スタートしました。

 

ポストカードの貼り紙は、最初に見た看板「めばえ工舎」の移転通知でした。

2015年に山梨県富士川町へ移転されたようです。

 

羽鳥小学校(2002年閉校)

村人の願いが叶い独立した小学校も、児童減により再び湯本小学校へ

統合となり、37年の短い歴史に幕を下ろしました。

閉校後2004年から2014年まで「めばえ工舎」という木工房、ギャラリーとして

使用されていましたが、2015年移転後は特に何も使用されていないようです。

2019年2月26日には、NPO法人の企画で地元民の協力のもと、校庭に

バケツかまくら500個を作成して点灯、幻想的なイルミネーションで

過疎少子高齢化で元気のない村民の心にも灯をともしました。

1987年(昭和62年)の全校児童は23名でした。