国道477号(京都府内)周辺の廃校休校巡り(2018/05/27):後編 | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

国道477号は、大阪府池田市~三重県四日市市を結ぶ一般国道です。
大阪府、兵庫県、京都府、滋賀県、三重県の5府県に跨っており、
延長は約215kmに及びます。

今回は、後編(左京区)となります。

(過去に訪れた校舎や一部現役校舎も含みますが、ご了解ください。)

前編(南丹市~右京区)はこちらをご覧ください。↓

https://ameblo.jp/hiho-haiko/entry-12382532490.html

 

左京区花背地区に入りました。
向こうに見えるのは大布施トンネルです。
この辺りは道幅も広く快適です。

 

大布施地区にある現役の学校です。
沿道に大きな木製の看板が建っています。
但し、校舎は見えません。
急な階段を上った山の中にあるからです。

 

山を切り開いた平地に整備された校庭と現代的な校舎があります。
集落から離れており周りに民家は見えません。

 

花背小中学校(現役)
花背峠以北に存在した別所小学校・八枡小学校・堰源小学校・花背第一中学校・
花背第二中学校・堰源中学校の統合により、2007年(平成19年)4月に
創立された公立の小中一貫教育校です。

 

大布施集落の沿道に花背地区のイラストマップがありました。
地図が描かれた当時は、花背第二中学校だったようです。
ちなみに花背第一中学校は、花背峠方面に7kmほど南下した
別所地区にありました。

 

国道477号か花背峠方面に向かう前に、大布施から府道38号を北上してみます。
学校入口の沿道に残るバス待合小屋は、壁も床もボロボロになっており、
長らく使用されていない様子です。

 

年季の入った石碑には論語の「学如不」
学問に邁進すべき意味でしょうが、無学の小生には難解な言葉です。。
 

校門へ続く坂道
一面に緑の苔が覆っていますが、轍が残っており、
閉校後も車の往来はあるようです。。

 

読み難くなっていますが、往時の表札も残っています。

 

こじんまりとした2階建て校舎です。

 

玄関の表札もかなり風化しています。

 

校舎の前にはバーベキューテラスが見えますが、
閉校後に設置されたものでしょう。


校舎裏の百葉箱
 

こちらの小屋も閉校後に建てられたものでしょう。

⇒ 閉校前からあったそうです。(ゆうきさんご指摘ありがとうございます。)
「八桝校自然センター」という自然体験施設となっていたようです。
 

誰もいない校庭に聳え立つ携帯アンテナ基地局

 

お互いに両手を結びバランスをとるモニュメント
昭和の頃の卒業記念作品でしょう。。

 

シジュウカラのトールペイント
周りは標高700mほどの山々に囲まれており野鳥の宝庫となっています。

 

八桝(やます)小学校(2007年閉校)
全校児童は、1991年度で13名、2006年度で16名と若干増加していますが、
山村留学で外部から児童を受け入れていたのかもしれませんね。。
校地は、夏場はキャンプや学校行事、休憩場所として活用されているようです。
近くには、「山村都市交流の森」という広大な森林公園があり、
トレッキングや木工体験、川遊び、各種スポーツを楽しむことができ、宿泊施設も備わっています。
京都市北部の山間地域(久多、広河原、花背、別所、百井(ももい))を代表する
リゾートとなっています。

 

上桂川の清流(左京区花背八桝町)

 

沿道に廃屋らしき家屋が見えましたが。。

 

生活感がありますので、住人がおられるようです。
今ではほとんど見かけなくなった茅葺の民家ですが、
ここも京都市内(左京区)です。

 

せっかくなので、少しだけ足を伸ばして花背地区の北に隣接する
広河原地区に立ち寄りました。
こじんまりとした鉄筋校舎、そして一段下にプールが見えますね。
沿道から眺めた校舎は8年前に初めて目にした光景と変わっていません。↓

https://ameblo.jp/hiho-haiko/entry-11447142623.html

 

橋を渡り対岸に渡ります。

 

先ほど見た校舎は裏側で、こちらが表側です。

 

銘板もしっかりと確認できました。
堰源は「えんげん」と読みます。
 

桜のマークに「堰」の文字をハンコのように丸く埋め込んだ校章

 

朽ちかけたトーテムポール
卒業記念作品でしょうが、制作年は不明です。


草木の陰で勉学に励む二宮尊徳

 

沿道からは気が付きませんでしたが、下段に校庭がありました。
 

堰源(えんげん)小学校(1990年休校、2007年閉校)
久多地区と並び京都市最北部の広河原地区にあった学校です。
こちらも小中一体型の校舎だったようです。
しばらく休校だったのですが、新設の花背小中学校への統合に
伴い閉校となりました。

 

再び大布施に戻り、別所川に沿って国道を南下して行きます。

 

別所集落の緩やかな坂道を走行途中に、閉校舎の横顔が見えました。

 

脇道に入ってみると樹木の陰に2階建て校舎が建っています。

花背を最初に訪れたのは2010年6月のことですが、

時間は止まったままです。。

当時は、門柱の傍にトーテムポールが立っていましたが

切株となっていました。。。

https://ameblo.jp/hiho-haiko/entry-11447679397.html

 

クリアファイルに綴じ込まれた移転案内図は滲んでヨレヨレになっています。

 

英語やハングルの地名と現在位置を示した地図

海外からも京都市の秘境と言われるこの地域まで訪れる方がおられるのでしょうね。

設置時は、別所小学校と花背第一中学校が併設されていました。

 

門扉越しに撮った校舎は樹木の陰に隠れてしまいました。

裏に回ってみると、校舎の表情が変わって見えます。

増築したテラスはBBQに使用されるのでしょうか。

 

別所小学校(2007年閉校)

京都市中心部から20kmほどの北に位置し

山深い小集落にあります。

近くに京都市の野外活動施設「花背山の家」があり

夏は市街から訪れる人も多いそうです。

冬場の厳しさも格別で積雪は2m、気温はマイナス10度以下に

なることもあるそうです。

かつては、学校の裏山を登ったところにスキー場があり、

(花背スキー場 営業期間:1929年~1989年)

最盛期は5万人が訪れ、別所界隈はスキー客目当ての民宿が並び

大変賑わっていたとのことですが、現在は錆びたリフト設備が

残るだけです。

主産業であった林業の衰退とともに活気が失われ

過疎集落は危機に直面しています。

全校児童の推移をみても、1991年度は7名、閉校時は3名と

20数年前から一桁となっています。

 

さらに南下し花背峠を越えて行きます。

案内板にある左京区北部の山間5地域(久多、広河原、花背、別所、百井)は、

林業を主な生業としてきましたが、燃料革命による国内需要の低迷により

人々は山を下り都心部へ流出、過疎少子化により各地区にあった学校は

統合により閉校となってしまいました。

残った数少ない子供たちは、広河原、花背、別所校区は花背小中学校へ、

百井校区は大原小中学校へ、久多校区は県境を越えて滋賀県大津市

葛川小中学校へ通学しています。。

 

近年は、豊かな自然、伝統、文化を再認識し、「ふるさと森都市」として位置付け、

人々が共に触れ合い、定住できるよう復興に向けた取り組みをされています。

 

花背峠

花背峠は、標高769mの国道477号上に位置し、花脊別所町(北側)と

鞍馬本町(南側)の境界となる峠です。

杉並木の中を縫うように続くヘアピンカーブを減速しながら

ゆっくりと下りて行きます。。

センターラインもガードレールも無い酷道ですが、

路線バス(大型)が毎日運行しているから驚きです。

 

ほどなく、百井(ももい)別れの分岐路に近づいてきました。

 

反対(南)側からみた百井別れ

 

国道はV字に曲がっており、乗用車は切り返しをしなければなりません。

路線バスは当然ながら通行不能、手前の府道を鞍馬方面へ直進します。

 

バス停はありますが、周囲に民家もない秘境ですから

乗降されるのは主に登山者ではないでしょうか。。

当日も人の気配はありませんでした。

犬小屋のように見えるのは、融雪剤の設置箱です。

冬場は凍結するでしょうから注意深く運転する必要があります。

 

百井別れからの道程は酷道の真骨頂を体感できます。

急勾配、アスファルトが破れて継ぎ接ぎだらけのデコボコ道、狭隘で離合困難な悪路です。

ガードレールもありません。。

 

静寂に包まれた百井集落への道

一面に広がる杉木立の中を走っていると、幻想的な世界に

迷い込んだような気持になります。。

両側は杉並木のカーテンで日差しが遮られ、涼しく快適な道程です。

 

少々不安な道程でしたが、百井集落の入口に来ました。

右折すれば大原地区です。

国道から少し外れますが、一旦左折し分校跡に立ち寄ります。

 

百井集落(京都市左京区大原百井町)の中心部です。

百井町の案内板も掲示してあり、ほっと一安心です。。

 

こちらは広域のマップです。

太い黄色の線が国道です。

百井地区にとって国道477号は鞍馬・大原方面に出るための欠かせない

生活道路となっています。

 

石垣のスロープの奥に薄いピンクの校舎が見えます。

廃校マニアには有名な分校です。

 

手前(右側)が校舎、奥が講堂です。

 

頑丈な造りの講堂ですが、木製の扉は朽ち破れ、ベニヤ板で補修

されています。

 

教室と職員室が一体となった平屋木造校舎です。

 

木板の表札

 

前庭のような狭い校庭

遊具は見えませんでした。。

 

送信と受信が分別された手造りのポスト

 

コンクリートブロックに描いた卒業記念作品

制作年は不明、描いたのは牛でしょうか?

 

大原小学校百井(ももい)分校(1991年休校、2018年3月廃校)

人口30数名の秘境、百井集落に残る分校です。

20年以上休校でしたが、大原小、中が小中一貫の義務教育学校に

移行するのに伴い廃校となりました。

 

「小さな谷間の小さな学校

小さななグランド、小さな講堂

もちろん 教室も小さいけれど

みんなの心は大きいぞ

人口減ってもくじけない

未来へはばたく子どもたち

未来へはばたく百井分校」

 

校歌には、都会の学校には負けまいという気概が感じられます。

休校時の児童は2名でした。。

 

百井集落からさらに奥に10分ほど走ると、未舗装の砂利道となります。

大見集落に着きました。

廃屋が散見されますが、定住されている方はおらず冬季無人集落とのことです。

 

沿道の高台に校舎らしき建物が見えます。

集落の墓地に隣接しており、不気味な雰囲気が漂っています。。

 

鬱蒼と茂る木々の中に埋もれそうな校舎

 

窓ガラスも無く、入口はトタンやブリキで塞がれています。

 

こちらはモルタル校舎ですが、壁や窓はトタンで打ち付けてあります。

なにしろ、一帯は森林の陰で湿気が多く苔が繁茂しカビ臭いので

長居は出来ません。

 

荒野(かつての校庭)に立つ百葉箱

足組はしっかりしてますが、箱の上部は崩壊し雑草が茂っています。

 

見落としそうな年季の入った石碑

「ふじだな 四十六年度 卒業記念」と刻まれていますが、

昭和46年(1971年)であれば、当時の卒業児童は還暦に近い年齢になっています。

残念ながら、周りに藤棚は見られませんでした。

 

樹木がジャングルジムを貫通して伸びています。

木の芽が幹となり、ここまで大きくなるのに何年経ったのでしょうか。。

 

遠い昔に役目を終えて、枯れ葉の上に横たわるトランペットスピーカー

 

群生したシダに埋もれる古タイヤ

 

大原小学校尾見分校(1973年休校、2018年3月廃校)

最近まで休校だった分校ですが、外観を見ての通り

実質的には廃校状態でした。

取り壊されるか、このまま朽ち果ててしまうか分かりませんが

校舎にとってもこの地は墓場となりそうです。。

 

先ほどの百井集落まで引き返し、さらに進むと大原小出石町で

国道367号にぶつかります。

国道477号は左折し県境を越え途中口交差点まで重複区間として

続いていますが、記事はここで終点となります。

前編と後編にわたり記載しましたが、

酷道と廃校のコラボはいかがでしたでしょうか。。