岡山県美作市、鳥取県智頭町・岩美町の廃校休校巡り(2012/05/27) | haiko-riderのブログ

haiko-riderのブログ

2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。


美作市(みまさかし)は、岡山県の北東部に位置し、兵庫県および鳥取県と境を接する市です。
2005年3月31日に勝田郡勝田町、英田郡美作町・大原町・作東町・英田町・東粟倉村の

5町1村が合併して発足しました。

また、県内の市の中で最も人口が少ない市です。(30,498人/2010年度)
また、氷ノ山・後山・那岐山国定公園など多くの郷土自然保護地域があり、
吉井川の支流である吉野川、梶並川が地域を流れ、豊かな緑と清流などの

美しい自然と景観に恵まれています。



智頭町(ちずちょう)は、鳥取県の南東部に位置し、南と東は岡山県に接しています。
面積の93%を山林が占めており、周囲は1,000m級の中国山脈の山々が連なり、

その山峡を縫うように流れる川が合流し、千代川となり、日本海に注いでいます。
智頭林業の植樹の歴史は、350年以上といわれ、
町内には「慶長杉」と呼ばれる樹齢300年以上の人工林が残り、
吉野・北山に並ぶ歴史ある林業地として、全国的にも高い評価を受けてきました。



岩美町(いわみちょう)は、鳥取県の最東北端に位置し、東は兵庫県に、

西は鳥取市福部町、南は鳥取市国府町に接し、
北は日本海に面しています。

町の中央を、蒲生川が、「氷ノ山後山那岐山国定公園」
に指定されている扇ノ山山麓から15キロメートルにわたって貫流し、
日本海に注いでいます。

川の周辺に農地、集落などが形成されていますが、
全体的には山林が多く、北に面して地勢が傾斜しています。


福山小学校2


福山小学校3


福山小学校7


福山小学校5


福山小学校6

福山小学校4
福山小学校(1999年閉校)

姫路市街から国道179号を只管西へ進みます。

美作市山間部の万善地区にあります。

校庭を囲むように、鉄筋2階建て校舎と薄いピンクの校舎があります。

後者は、赤い瓦屋根に時計塔が印象的なモダンな建物です。

表札には、「作東 山の学校」とあり、簡易宿泊・研修施設として

利用されているようです。

鉄筋校舎の1階部分には、生徒達の四季折々の活動の様子が

躍動的に描かれていました。

木の枝に吊り下げた手作りの風鈴が春風にカラカラと音を鳴らして

回っていました。(アルミ缶に切り込みを入れて器用に作れるものですね。)

なお、学校跡記念碑から幼稚園も併設されていたことが判りました。

1991年度の在校生徒は31名でした。


豊野小学校5


豊野小学校3


豊野小学校6


豊野小学校2


豊野小学校4

豊野小学校1

豊野小学校(1998年閉校)

国道179号から県道5号に入り北上します。

美作市豊野地区の高台にあります。

鉄筋2階建ての校舎と体育館が残っています。

体育館にプレハブ風の建物が連なっていますが、

1階が吹き抜けになっており、農機具の倉庫として使用されていました。

福山小学校と同様に、四季折々の活動の様子を描いた絵が

見えました。

卒業記念碑と思われますが、一部文字が剥がれた校章の下に

7名の生徒の名前が書かれています。

閉校時の卒業生は7名だったのでしょう。

ここも、幼稚園が併設されていたようです。

1991年度の在校生徒は39名でした。


吉野小学校1


吉野小学校3

吉野小学校2
吉野小学校(2008年閉校)

美作市五名地区にあります。

ただし、校舎は姿を消しており巨大な体育館のみ残っていました。

学校跡記念碑からみると、こちらも幼稚園が併設されていたようです。


久賀小学校4


久賀小学校2

久賀小学校1

久賀小学校3
久賀小学校(1992年閉校)

県道5号から国道429号を経て、県道7号に入り

梶並川に沿って北上します。

途中の旧勝田町久賀地区の高台に学校跡記念碑があります。

残念ながら、校舎はすでに無く更地となっており、緑色の八角屋根の塔を

2棟繋ぎ合せたようなモダンな建物が新築されていました。

「カントリーハウス」というコミュニティセンターに使用されています。

1991年度の在校生徒は15名でした。


東谷小学校1


東谷小学校4

東谷小学校3

東谷小学校2
東谷小学校(1984年閉校)

梶並地区から県道357号に入り東谷地区に進みます。

「みどりの学校」なるカラフルな表札が目に入りましたが、

建物は何も存在せず、広場に数本のトーテムポールが立っているのみです。

卒業生の記念作品でしょう。

年季の入った学校跡記念碑からは、歳月の重みが伝わってきました。


鳥取県境沿道の風景1

人通りも少ない沿道に愛くるしく咲いていたマーガレット。

春風にそよぎ、両手を一杯振っているように見えました。


鳥取県境沿道の風景2
鳥取県境へ向う県道7号の風景(美作市真殿にて)


右手小学校1


右手小学校2

右手(うて)小学校(1991年閉校)

美作市の山間集落の右手地区に学校跡記念碑のみ残っています。

こちらも幼稚園が併設されていたようです。

そして、ブロックを積み重ねた1979年(昭和54年)の卒業記念作品が

ありました。

当時の卒業生は4名だったようです。

小椋の姓が多いのは、かつて木地師の里だったためと思われます。

木地師とは、山中深く分け入り、とち、ぶな、けやきなどの木を伐り、

お椀やお盆などの素地を 作り出す職人さんのことです。

木地師は、発祥の地である滋賀県東近江市蛭谷から

全国に伝播していったのですが、この地もその一つだったに違いありません。


木地師の里
少し行くと、木地師の里であることを伝える館がありました。

調べたところ、梶並川の上流、木地山地区には約450年前から

木地師が住み始め、自然木を加工して生活用品を製造、販売していたそうです。

右手峠
右手峠

ここから先は鳥取県智頭町です。


山郷小学校8


山郷小学校1


山郷小学校2


山郷小学校3


山郷小学校6


山郷小学校5


山郷小学校7

山郷小学校4
山郷(やまさと)小学校(2012年閉校)

右手峠を越えて行くと国道373号にぶつかりますが、

その合流地点の福原地区に学校があります。

木目を活かした美しくモダンな 校舎です。

2階のテラスには横文字で歓迎の文字があります。

海外からも生徒を受け入れていたのでしょうか。

窓にも華やかな飾りが付けられています。

閉校後は、「R373やまさと」という複合施設となっており、

教室は、レストランやお菓子工房、木工製品の展示・販売に

利用されています。

山形小学校1

山形小学校10


山形小学校2
山形小学校8

山形小学校9


山形小学校6


山形小学校4

山形小学校3
山形小学校(2012年閉校)

国道373号を北上し郷原地区にある2階建て木造校舎です。

沿道の校門や玄関あたりに然したる特徴もありませんが、

裏側に回ってびっくりしました。

校舎の壁一面にカエデなどの葉っぱの落書がされています。

でも、良く見ると音譜が並んでおり、

板張りの繋ぎ目がちょうど五線譜のようになっています。
♪あ♪き♪の♪ゆ♪う♪ひ♪に♪~

小学校の頃に良く歌った童謡の「紅葉(もみじ)」です。

懐かしさのあまり、つい口ずさんでいる自分がいました。。

校舎の壁に童謡が描かれているのを見たのは、これが初めてでした。

きっと生徒達も、喜んで歌っていたことでしょう。

廃校にありがちな心無い落書と違い、微笑ましく懐かしさを覚える素晴らしい落書でした。


富沢小学校3


富沢小学校4



富沢小学校2



富沢小学校5


富沢小学校7

富沢小学校9

富沢小学校6



富沢小学校8
富沢小学校(2012年閉校)

智頭町中心部から新見川に沿って県道6号を上流へと進んだ場所にあります。

山郷、山形小学校とともに、智頭小学校に統合され2012年に閉校となりました。

訪れた日は、地区の行事が開かれており多くの車が停まっていました。

校舎中央の一本立ちのフェニックスと、青く平たい屋根の重厚な正面玄関に

少し違和感を覚えましたが、下見板張りの壁に木枠の窓は、

さすがに見応えのある味わい深い木造校舎です。

内部も開放されており、地元の方に勧められて見学しました。

古い学校写真や表彰状、生徒達の描いた作品が玄関や廊下に展示されており、

展覧会のような雰囲気です。

個性溢れ出る作品の中には、薄命の童謡詩人「金子みすず」が詠んだ言葉がありました。

「みんなちがって みんないい」


智頭小学校板井原分校1



智頭小学校板井原分校3
智頭小学校板井原(いたいばら)分校(休校)

智頭町中心部から辺境の山村集落に向います。

板井原トンネルを抜けて突き当たりの板井原集落に着きました。

駐車場に2階建ての古民家のような建物がありますが、

これが板井原分校です。

校名を刻んだ石柱も確認できましたので、間違いないと思います。

いつから休校になったのか不明ですが、20年以上は経過しているようです。

普段は寂しい過疎集落ですが、当日は多くの車が停まっており、

家屋群を見学したり、絵画に納めたりする人々で賑わっておりました。



板井原集落の風景1


智頭小学校板井原分校2


板井原集落の風景3


板井原集落の風景2
板井原集落の風景

板井原集落は、日本の原風景の残る伝統的建造物群保存地区となっており、

牛伏山や海上山など周囲の山々の間に沈みこんだ集落には
平家落人の隠れ里の伝説が残る風情のある場所です。
明治以前の建物は茅葺でしたが、養蚕の盛んになった大正時代以降は

杉皮葺のものが多くなり、昭和になるとトタン葺屋根に変えられるものが多くなりました。
昭和30年代の日本の風景を今に伝える集落です。

本庄小学校2

本庄小学校1

本庄小学校3

本庄小学校4
本庄小学校(2001年閉校)

智頭町から国道53号を北上、国道9号を東へ進み、

本庄地区にあります。

JR山陰本線を跨いでほどなく美しい木造校舎が見えます。

実は、この8ヶ月ほど前にも来たのですが、再訪したくなり

立ち寄りました。

手入れの行き届いた凛々しい姿は変わっておりませんでした。

何度でも行きたくなる木造校舎です。


元岩井小学校1


元岩井小学校5

元岩井小学校4

元岩井小学校2

元岩井小学校3
元岩井小学校

国道9号をさらに東へ進むと、ほど無く岩井温泉の看板が

見えてきます。

奇習“湯かむり”で有名な岩井温泉は、蒲生川沿いに古くから開けた温泉です。

鄙びた温泉街の一角に非常に古い木造校舎が残っています。

かなり老朽化しており、いつ崩落してもおかしくないほどです。

校舎は、1982年(明治25年)鳥取県最古の擬洋風建築です。
2階バルコニー、玄関ポーチ、軒飾りなどが特徴で、
作家尾崎翠の父がこの学校に勤務していたことから、
映画「第七官界彷徨─ 尾崎翠を探して」のロケ地にもなりました。