富山県南砺市(旧平村、利賀村)の廃校休校巡り(2014/09/28) | haiko-riderのブログ

haiko-riderのブログ

2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

南砺市(なんとし)は、富山県西部に位置する市です。

2004年11月1日:東礪波郡の福野町、城端町、平村、上平村、

利賀村、井波町、井口村と西礪波郡の福光町が合併し誕生しました。
平野部と五箇山を中心とした山岳部で構成されます。
世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」と演劇祭のある旧利賀村を擁しています。
砺波平野から五箇山地方まで、起伏の激しい地形が続いていますが、

市西部はほぼ山間部で過疎地域です。

平村(たいらむら)は、北と東は利賀村に、西は城端町および上平村、

南は岐阜県 白川村と境を接している村落であり、一般には五箇山として知られています。
平氏の落人が住み着いたと伝えられており、ユネスコの世界遺産にも登録されている

合掌造り集落で有名です。


利賀村(とがむら)は、かつて富山県東礪波郡におかれていた村です。

村名は、加賀藩の初代藩主である前田利家に由来しています。
また、演劇の村として知られています。

2004年11月1日に周辺町村と合併、南砺市の一部となりました。
富山県の南西部に位置し、岐阜県に接しています。

標高1,000mを越える山々に囲まれた村域は南北に細長く、
庄川の支流である利賀川、神通川の支流である百瀬川が縦断する村です。
非常に急峻な峡谷地形であり、河川の間は険しい山塊に遮られています。
同じ村内でも別流域間のアクセスは困難であり、新楢尾トンネルにより村としての

一体性が保たれています。
村外へのアクセスも峡谷を抜けるために困難で、県内で唯一アクセスが

困難な自治体です。


庄川上流の景色1


庄川上流の景色2
岐阜県から富山県へ国道156号を庄川に沿って

北上していきます。

上流、中流域は急峻な峡谷となっており、高い崖から川を遠方に

臨む感じです。

紅葉の頃は、絶景でしょうね。


菅沼合掌集落1


菅沼合掌集落2


菅沼合掌集落4

菅沼合掌集落3
菅沼合掌集落

旧平村菅沼地区にあり、素朴な合掌集落です。

実は、前年11月にも訪れブログにも掲載しております。

http://ameblo.jp/hiho-haiko/entry-11711297957.html

また見たくなり、沿道から撮ったものです。

朝霧に包まれた集落は、一足早い晩秋の気配が漂っていました。


東中江小学校3


東中江小学校4


東中江小学校1


東中江小学校5

東中江小学校2
東中江小学校(1999年閉校)

五箇山和紙の里(道の駅たいら)周辺の高台に体育館が残っています。

校舎は姿を消しており、体育館と改築された建物が連なっていました。

表札には、「たいら マウンテンスクール」とあります。

調べたところ、、「そば打ち」や「とうふ作り」「パン作り」「創作和紙」など、
五箇山にこだわった体験のできる施設となっております。

広場の入口に、黒御影の石球を載せた学校跡記念碑や創校百周年記念碑が

鎮座しておりました。

1991年度の在校生徒は31名でした。


東中江小学校杉尾分校1


東中江小学校杉尾分校2




東中江小学校杉尾分校3
東中江小学校杉尾分校(1972年廃校)

2度目の訪問になりますが、気になって立ち寄りました。

ピンクの木造校舎という印象は、前回と変わっていませんでした。

現在も、自然体験施設として利用されているのでしょうか。

建物は、普通の民家のような感じです。

前回は見かけませんでしたが、熊出没注意の立て看板がありました。

今年は、木の実が不作なのか、熊が民家付近まで下りてくるそうです。

ゴリラでなく熊に気を付けなければならない場所です。。


大牧温泉渡し舟1

大牧温泉渡し舟2
大牧温泉への乗船桟橋

庄川の辺に桟橋があり、大牧温泉への渡船が往来しています。

大牧温泉は、船でしか行けない秘境の温泉で 山の中の静かな佇まいの一軒宿です。

機会があれば、訪れたいと思います。

ここからは、温泉宿は見えませんでした。



国道156号をさらに北上し、砺波市に入ると国道471号に入り

南下していきます。

利賀村は、南北に細長い村で、道路は庄川沿いにありますが

急峻な山峡に阻まれており、東西に横断するルートが限られています。

そのためこのように迂回しなければなりません。

国道471号は、国道156号より狭い道幅で、起伏に富んだ山肌を縫うように走ります。

民家も少なく閑散としています。


利賀小学校高沼分校1


利賀小学校高沼分校3

利賀小学校高沼分校2
利賀小学校高沼分校(1978年休校、1996年廃校)

高沼集落は、バス停こそありますが、山間部の超過疎集落です。

民家は、バス停にある一軒のみです。

草むらに囲まれ、朽ちかけた廃校舎は、長らく手入れもされていないようです。

廃校後は、集会所として利用されていたようですが、過疎化により住民も激減した

現在では廃墟同然となっております。


利賀小学校北豆谷分校3


利賀小学校北豆谷分校2

利賀小学校北豆谷分校(1968年廃校)

国道471号を南下し、北豆谷地区にあります。

雑草の茂る校庭の奥にこじんまりとした校舎と体育館があります。

共に連結され一体化した建物となっています。

校舎は3階建て鉄筋校舎ですが、経年劣化により外壁は黒ずみが目立ちます。

大きな球状のものが2個ほど壁に埋め込まれていますが、

窓でもないようですが、意味不明です。

体育館は赤いアーチ屋根が印象的で、校舎よりも若干新しく感じられました。


利賀小学校北豆谷分校1
利賀小学校北豆谷分校旧校舎

50mほど離れた沿道にあります。

鉄筋校舎に移転する前は、この建物が校舎だったそうです。

地元の方に教えていただきましたが、現在は民宿となっております。

改装はされていますが、木造校舎の面影は辛うじて残っています。

いつ移転したのか詳細は不明です。



利賀小学校百瀬川分校5



利賀小学校百瀬川分校4
利賀小学校百瀬川(ももせがわ)分校(1989年休校、1996年廃校)

利賀村中心部から新楢尾トンネルを抜けて百瀬川地区に入ります。

桃瀬川に沿って北上し程無く校舎が見えてきました。

薄い水色のこじんまりとした鉄筋校舎です。

さきほど見た北豆谷分校と校舎のデザインは少し異なりますが、

全体的な形状や規模は良く似ています。

体育館のアーチ屋根は、こちらはグリーンです。


百瀬川分校旧校舎5


百瀬川分校旧校舎1


百瀬川分校旧校舎3


百瀬川分校旧校舎2


百瀬川分校旧校舎4
利賀小学校百瀬川分校旧校舎

移転前の木造校舎が100mほど北の対岸にあると

地元の方に聞きました。

「マタタビ酒造」という酒屋の倉庫として利用されていました。

校舎や講堂の壁は改装されていますが、木造校舎としての

面影を十分残しています。

特に講堂2階部分は、往時のままの木枠の窓です。

分校にしては大きな建物ですが、往時は多くの生徒が

通っていたのしょうか。

近くで見ると迫力がありました。


利賀小学校上百瀬分校1


利賀小学校上百瀬分校3

利賀小学校上百瀬分校2
利賀小学校上百瀬(かみももせ)分校(廃校)

百瀬川地区の南に隣接する上百瀬地区にあります。

いつ廃校になったのか不明ですが、少なくとも1991年度では

休校となっております。(実質的には、廃校と思われます。)

廃校後は、建設会社の資材倉庫として使用されているようです。

百瀬川分校と校舎と体育館の配置が反対ですが、建物の形状は同じです。

体育館の屋根が色違い、こちらは赤です。


坂上小学校7


坂上小学校1

坂上小学校2

坂上小学校6


坂上小学校3


坂上小学校4

坂上小学校5
坂上小学校(1996年閉校)

再び新楢尾トンネルを潜り抜け、利賀村中心部から

県道34号を利賀川に沿って南下します。

利賀村坂上地区にあり、村内では比較的大きな校舎です。

例の如く、校舎とアーチ屋根の体育館が隣接しています。

こちらは、分校より一回り大きな建物で、アーチ屋根は黒色です。

現在は、「スターフォレスト利賀」という宿泊・研修施設として利用

されています。

「星がきれいな森林の宿」がキャッチフレーズだそうです。

庭先に男女生徒のブロンズ像がありました。

遠くを見つめていましたが、女子生徒が指差しているのは

夕空に輝く一番星でしょうね。

1991年度の在校生徒は23名でした。


坂上小学校千束分校3


坂上小学校千束分校1


坂上小学校千束分校4
坂上小学校千束(せんぞく)分校(1984年休校、1996年廃校)

県道34号をさらに南下していくと、沿道に3階建ての鉄筋校舎が

見えました。

かなり老朽化しておりますが、建設会社の車両が数台停まっており

事務所兼資材倉庫として利用されているようです。

表札の校名は、剥がした跡がくっきり残っていました。


坂上小学校大勘場分校2


坂上小学校大勘場分校1
坂上小学校大勘場(たいかんば)分校(1976年休校、1996年廃校)

利賀村大勘場地区の南端にある分校です。

かつて、奥大勘場分校と称していました。

ここから先は土砂崩れのため通行止めになっていました。

最果ての集落と言える場所です。

コンクリートで固めた庭先に、洗濯物が干してありましたので

廃校後は民間利用されている模様です。

冬季は積雪も多く、陸の孤島となってしまうため

夏季のみ住まわれているそうです。

五箇山羽馬家1


五箇山羽馬家2


五箇山羽馬家3
羽馬家

平村上梨集落の庄川対岸にあたる田向集落の中心地に建っています。

五箇山民家の古い遺構の一つとして、かつ、後世の改造も少なく、

当初の姿を最もよく残していることで標本的価値が高いといわれています。


五箇山村上家
村上家

約400年前の建築当時の様式を伝える貴重な合掌造り家屋で、
民族資料なども展示しています。
五箇山地方の民家のうち、古い時代の形式を改造されずに
残している建造物がこの「村上家住宅」です。


帰路に五箇山の合掌造り家屋を撮りました。

スマートではないですが、歴史の重みと

力強さを感じました。合掌。


コスモス他6


コスモス他4


コスモス他5

コスモス他2


コスモス他1


コスモス他3
コスモスや薄は、秋の風物詩ですが、

他にも色鮮やかな花が沿道に咲いていました。