佐田岬半島(さだみさきはんとう)は、四国の最も西に位置し、
愛媛県伊方町にある半島です。
八幡浜港付近から西南西へ、長さ約40kmにわたって直線的に突き出しており、
北の瀬戸内海(伊予灘)と南の宇和海を隔てています。
先端には佐田岬があり、瀬戸内海国立公園に指定されております。
国道197号の佐田岬メロディーラインは、山桜の名所でもあります。
日本一細長い半島としても知られています。
半島の付け根の北部、伊方越(いかたごし)地区にあります。
伊予灘を見下ろす高台に位置し、見晴らしのよい場所です。
鉄筋2階建て校舎の奥に、アーチ屋根の体育館があります。
周囲に平地は無い為、屋内運動場として使用されていたものと思われます。
車が数台停まっておりましたが、表札は「有寿来漁業組合」とあり、
組合関係の方々の施設として利用されております。
庭先には、校訓を刻んだ大きな石碑の下に、校歌が新旧2題並んでおりました。
戦後間もない中、祖国復興に向け強く民意を鼓舞するもの、
自然を柔らかな表現で詠うものが、時代背景を示唆して対照的です。
佐田岬半島南側の宇和海を眺めながら
尾根を走っていくと前方に水色の屋根の
体育館が見えました。
体育館のある場所に校舎もありました。
パステルグリーンが海の学校に相応しく新鮮な感じです。
宇和海を見下ろす小高い丘の上に建つ校舎は、
閉校記念碑の校歌に刻まれていました。
国道197号を岬に向かって進み、旧三崎町二名津地区にあります。
山に囲まれた中にひっそりと校舎が残っておりました。
正門から見えるのは、薄茶色のラインの入った鉄筋2階建て校舎と
白っぽい体育館です。
そして、右手に隠れていたのは古い平屋建て木造校舎です。
かなり老朽化していて閉校時まで使用されていたのか不明です。
鉄筋校舎の壁には、学校への感謝と巣立って行く生徒らの決意が
込められていました。
国道197号(メロディライン)の四国での終点が三崎港です。
三崎港は、四国の西南西に突き出した佐田岬半島の突端に位置しており、
宇和海に面した四国最西端の港湾です。
晴れた日には、対岸の九州を望むことが出来るほどの近さにあり、
佐賀関へのフェリー航路があります。
国道九四フェリーは、三崎港と大分市の佐賀関港との間を結び、
国道197号の海上区間を成すフェリー航路を運航しています。
航路は、佐田岬半島と佐賀関半島との間の豊予海峡を横断し、
九州と四国とを最短距離(31km)・時間(70分)で結んでいます。
三崎港から港湾に沿って3kmほど進んだ場所にあります。
寄棟屋根のこじんまりとした平屋建て木造校舎です。
他にも校舎はあったと思われますが、この建物のみ資料館として
残っております。
案内の表札には「オリコの里」とありますが、
当地の伝統文化「裂織り」の体験施設となっております。
裂織りとは、縦糸に木綿や麻を使用し、横糸には古着の布をジグザグに裂いた
ものを用いて織りあげた丈夫で独特の風合いを持つ織物です。
この地域では、古くから仕事着や祭りのはっぴ、外出着などに使用されてきました。
現在では、裂織り保存会の皆様が、技術の保存と体験の受け入れなど、活動されています。
それにしても、少し気になったのは、周りの植栽が無造作に伸びてきており、
近い将来建物全体を覆うほどの勢いだったことです。
閉校時の在校生徒は22名でした。
三崎地区から先は、国道は途絶え狭い県道256号に代わります。
四国最西端にある小学校が、この正野小学校です。
正野は、佐田岬まで4kmほどの場所に位置する小さな集落です。
メロディラインが完成するまでは、陸の孤島であったに違いありません。
村の少し奥に入ったところに、古い木造校舎が残っておりました。
深い灰色の瓦屋根とほぼ同色の板張りの平屋建校舎は、
下町の長屋のようなの懐かしさを覚える建物です。
ただ活気はなく、ひっそりと佇んでいます。
正面玄関ポーチもしっかりとした造りで、白い破風が黒っぽい校舎に
映えます。桜のマークに「正小」の文字を入れた校章も誇らしげにみえます。
玄関には、原付スクーターが2台停まっており、校舎の奥には
もう一つ民家のような建物がありました。
青く塗った庇と板壁にポストと自転車があり、校舎と違って生活感のあるものです。
奥の建物は、閉校後に個人所有として使用されているようです。
佐田岬灯台までは入口から徒歩20分ほどかかります。
入口付近では、地元のお婆さんが伊予柑と海藻を売っていました。
少し高かったのですが、お婆さんの熱心さと、
「みんな食べながら灯台まで歩いて行くよ。」との言葉にのせられて
一つ買って食べ歩きしました。
途中に皮を捨てるゴミ箱が10箇所くらい設けてあり、多くの観光客が
のせられたことを知りました。
でも、甘くてとても美味しかったです。
山を降りた場所にキャンプ場がありました。
傘を半開きにして浜辺に挿したようなテント群です。
季節的にまだ早いのか人影はありませんでした。
やっと、四国最西端に辿り着きました。
佐田岬(さだみさき)は、佐田岬半島先端にある、四国最西端の岬です。
九州の佐賀関半島と向かい合い、豊後水道の最も狭い部分である
豊予海峡を形づくっています。
海上交通の要所ですが、付近には黄金碆(おうごんばえ)をはじめとして岩礁が多く、
難所として知られています。
なお、九州本島最南端の佐多岬(さたみさき)と字や読みが似ているため、
混同されることがあります。
佐田岬灯台を後にして折り返す途中に、閉校舎を見つけました。
正野小学校の次に岬に近い学校です。
ピンクの屋根のモルタル平屋校舎とその左手に2階建ての白い
鉄筋校舎です。
沿革史をみると、昭和37年(1962年)をピーク(265名)に減少していったようです。
1991年度の在校生徒は50名でしたので、閉校時は1学年10名も満たなかったのでは
ないかと思われます。