伯耆町(ほうきちょう)は、鳥取県の西部に位置する町です。
鳥取県西伯郡岸本町(きしもとちょう)と日野郡溝口町(みぞくちちょう)が
2005年1月1日に合併して誕生しました。
「伯耆」とは、旧国名「伯耆国」のなごりで、現在の鳥取県中西部と島根県東部の一部を
含む地域では今でも多くの「伯耆○○」という地名や旧跡が残っております。
その中でもとりわけ有名なのが「伯耆富士(ほうきふじ)」「伯耆大山(ほうきだいせん)」です。
同町出身の有名人には、イモトアヤコ(お笑い芸人)等がおります。(旧岸本町出身)
日野町(ひのちょう)は、鳥取県西南部に位置し、その境を岡山県、江府町、伯耆町、日南町に接しています。
藩政時代には、福田氏による自分手政治が行われ、宿場も形成されて、
新田開発など農業も生産拡大がはかられました。
また、山砂鉄の採取とたたら製鉄は、明治時代に近代製鉄が台頭するまで、
この地域の重要な産業でした。
日南町(にちなんちょう)は、鳥取県南西の内陸部にある町で、日野郡に属しています。
裏日本型気候区の中国山地型気候で、平均気温は標高490mの地区で約11度、
降水量は年約2,000mmで、冷涼多雨な気候です。
降雪期間は12月から3月で、多い地区で1.0m~1.5mの積雪があります。
中国山地のほぼ中央に位置し、西は島根、南は岡山、南西部は広島と3県に接し、
山陰・山陽を結ぶJR伯備線の要路となっています。
日光小学校旧校舎(1996年移転に伴い閉校)
伯耆町の大山に近い場所にありますが、旧校舎は森林に囲まれており
伯耆富士を望むことはできません。
黒ずんだコンクリートの校舎と赤い屋根の体育館兼講堂がL字型に
並んでいます。
人影もなくひっそりとした佇まいです。
1996年(平成8年)新校舎ができるまで使用されていました。
移転後の新校舎は、秀峰大山をのぞむ高地に位置し、
素晴らしい自然環境にあります。
小学校の自慢は、冬季の積雪と広大な斜面を利用して
クロスカントリースキーが手軽にできることです。
体育の時間には、玄関からスキーをはいてコースにでかけ、
放課後も毎日、教師と子ども達が一緒になってスキー練習を
楽しんでいるとのことです。
伯耆町山間部の添谷地区にあります。
道に迷いそうになりましたが、何とか辿り着きました。
校門から校庭に続く両脇にに生い茂った桜の木々や銀杏の大木が
歓迎してくれました。
その奥に、味わい深い平屋建ての木造校舎が見えました。
山奥の分校ですが、程よく手入れされており、集会所として利用されているようです。
2010年休校となり現在に至っておりますが、経緯を調べたところ以下の通りとなっております。
平成2年 添谷分校、児童不在のため休校する。
平成4年 休校中の添谷分校、在籍児童1名により開校する。
平成12年 鳥取県西部地震(10月6日)による被害で、分校が使えなくなり、
分校児童は本校で学習する。
平成22年 添谷分校、児童不在のため休校する。
このように、休校と開校を繰り返してきたのです。
過疎化によりこの数年は休校になっておりますが、いつでも再開できるよう
綺麗に維持されていることに、地元の方々の熱い思いが感じられます。
再開になれば、桜の木々もきっと温かく迎えてくれることでしょう。
JR伯備線伯耆溝口から県道46号を南下した福岡地区にあります。
沿道から、「上代」と書かれた青や白の幟が見えました。
こちらで造られたどぶろくの名称ですが、
表札には農家食堂上代学校とあります。
たこ料理とそばが楽しめる廃校を利用した農家食堂です。
地域活性化を目的とし、地域住民で出資した株式会社上代により
管理運営されています。
校舎は改築されており、青く塗られた板張とベージュのRCが同居した構造です。
1991年度の在校生徒は10名でした。
矢倉峠を越え、日野町に入り、国道180号(日野街道)を
西へ進み程なく見えてきます。
体育館は近年建替えたのでしょうか、新しくしっかりした造りです。
その隣に切妻造りの茶色い建物がありましたが、校舎にしては
小さすぎますが、これも建替えたようにみえます。
入母屋風の屋根が付いた、こじんまりとした建物です。
後日調べたところ、校舎の跡地に建替えた「菅福食文化伝承館」という名の
地域施設でした。
食文化伝承館では、豆腐やコンニャク、味噌などの農産物加工品を作って販売
しているそうです。
この地域は、昔からたたら製鉄が盛んな場所でした。
上菅地内の人向山には、宝暦年間(1751年~1763年)から明治末期までの間、
約160年間たたら製鉄の繁栄を極めたたたら跡があります。
たたら製鉄は鉄原料として砂鉄を用い、木炭の燃焼熱によって砂鉄を還元し、
鉄を得る方法です。
校庭の入口には、学校跡の石碑が鎮座していました。
日南町に入り、国道183号生山(しょうやま)から県道8号を南下し、
途中から県道211号を走って次の目的地を目指します。
福塚地区に差し掛かると、太陽も沈みかけて最後の西日を放っておりました。
沿道から坂道を上っていくと高台に薄い水色の木造校舎がありました。
照り返しが眩しく光っていました。
陽射しに翳りがみえ、校舎の輪郭が浮かび上がります。
程無く太陽が沈み、校舎の裏側は影に包まれしっかりと
見ることが出来ませんでした。
帰路のことを考えると、時間も無くなってきたので
後日改めて来ることとしました。
3日後に再訪して撮った続きです。
校舎の裏側に回ると、広大な草原が目に飛び込んできました。
芝生の緑が山裾までずっと続いています。
思わず深呼吸してしまうほどの美しい光景です。
再訪した甲斐がありました。
巨大な門柱がオブジェになっております。
裏から見た校舎は、表とは違った顔をしていました。
胸を張って広大な校庭を見下ろしているようです。
満開のツツジも誇らしげです。
2日間ともに何枚も写真を撮ってしまうほどに
魅了されてしまいました。
何年も通った生徒達はこの場所の素晴らしさに
気が付いていたのでしょう。
平成9年度の卒業記念に描いた絵には
手を繋いだ子供、杉の木、羽ばたく白い鳥、そして
山を背にした水色の大きな校舎がありました。
鬼林山の麓に長閑な田園が広がる
日南町中石見地区にあります。
高台にあるのですが、校舎の見える場所に行くまでの道が
判り難いです。
西日の射す中で撮りました。
こちらは、福栄小学校とは対照的に近代的な鉄筋校舎です。
日南町では、2009年に日野上、山の上、多里、石見東、石見西、福栄の
町内6校が統合し誕生した、日南小学校が唯一の小学校となっております。
福栄小学校から県道11号を西へ進んだ、日南町多里地区に
あります。
入り口は、ちょうどハナミズキが見頃でピンクの彩りを添えていました。
校門の表札は「まなび宿たり」とあります。
瓦屋根のごく普通の建物ですが、その奥には巨大な海亀のような
円錐形の建物が目を引きます。
非常に個性的な形状をしております。
建築年は2004年ですから、もう10年になるのですね。
閉校後に改築されたものと思っておりましたが、
5年間は現役校舎だったのです。
生徒達は、この立派な校舎でもっと過ごしたかったことでしょう。