三朝町(みささちょう)は、鳥取県の中央部にある町で、東伯郡に属しております。
鳥取県において2番目に大きな町で、国宝の三佛寺投入堂(三徳山)や名勝の小鹿渓があり、
世界一といわれる高濃度のラジウム温泉が噴出する三朝温泉街を有する町です。
江府町(こうふちょう)は、鳥取県西部の大山の南麓に位置し、
岡山県との県境にある町です。
過疎地域に指定されていますが、町の中心部にはJR伯備線・国道181号・
米子自動車道が通過しており、交通は便利な町です。
両町とも岡山県境と隣接しており、山間部に廃校休校が多く見られます。
移動途中に、県境を越えて岡山県に入りましたが、そちらの廃校も一部追加しております。
三朝町の分校に行く前に立ち寄りました。
倉吉市中心部から小鴨川に沿って国道313号を南下し、
支流の広瀬川沿いの山間集落にあります。
過去の資料では休校でしたが、近年再開したようです。
2013年度の在校児童は3名となっております。
掲示板には、5月の行事が丁寧に書かれていました。
軒下の花壇や植込みも綺麗に手入れされており、整然とした感じです。
校舎はこじんまりとしておりますが、しっかりとした造りで
壁はコンクリートを下見板張風に加工されています。
過疎化少子化により、休校から廃校になる場合が多いのですが、
再開するのは珍しいことです。
地元の方々の熱意と喜びが伝わってきます。
辺境の集落に活気が戻り、再び「山峡のともしび」が灯りました。
倉吉市から三朝町に入った山間集落の福山地区にあります。
県道38号は、この先は行き止まりになっており、最果ての集落でもあります。
沿道にプレハブ風の小さな校舎が見えました。
一部木造の壁もあり、高さや材料の異なる建物を継ぎ合わせた歪な校舎です。
表札はありますが、かろうじて判読できるほど風化しておりました。
敷地の隅には、木造の小屋がぽつんと立っていますが、教員住宅だった
ものでしょうか、非常に簡素で物置のようでした。
休校時の生徒は僅か1名でした。
先生一人生徒一人の山の分校だったのでしょう。。
立ち去ろうとした際、一陣の風が通り抜けました。
ちょうど新緑が最も鮮やかな季節でした。
途中、県境を越えて岡山県に入りました。
国道482号を軽快に走っていきます。
前方に見えるのは蒜山高原(ひるぜんこうげん)の山並みです。
蒜山高原は、岡山県真庭市北部の蒜山地方に位置する高原です。
標高500mから600m程度の高原地帯であり、西日本を代表するリゾート地の一つです。
関西(中国)地区の軽井沢とも呼ばれています。
また、日本最大のジャージー牛の牧場などもあり、
週末やシーズンには京阪神・中国地方・四国地方方面からの
観光客で大変賑わうところです。
一帯は大山国立公園の一部を成しています。
蒜山高原の麓、岡山県真庭市蒜山下長田地区にあり、
沿道から見えます。
田園の広がる中に、赤屋根に白壁の綺麗な建物です。
廃校後に校舎を改装したそうです。
構造はそのまま受け継いでおり、裏に回ってみると木造校舎の
面影が残っておりました。
現在は、学生服の縫製工場として使用されております。
蒜山高原を眺めながら、国道482号を走る続けて程無く
真庭市福田地区にあります。
平屋の木造校舎ですが、現在は「蒜山郷土館」として利用されております。
訪れた日は閉館しておりましたが、館内には蒜山の民俗資料等,450種を展示しているそうです。
少し離れた沿道に、「学びのふる里」と書かれた大きな石碑がありました。
基礎には福田校の沿革が刻まれており、明治10年にお寺の一部を借りて開校とありました。
多くの場合がそうであるように、寺子屋が前身だったようです。
国道482号を西へ進み、再び県境を越え鳥取県に入って
ほどなく、こじんまりとした校舎があります。
新築したばかりの邸宅のように立派な建物です。
下見板張風に見せたコンクリートの壁は薄紫色で高級感のある仕上がりです。
中を覗くと、建物の半分は吹き抜けで屋内運動場のようになっておりました。
これから児童が入る予定があるのか不明ですが、
休校となった校舎としては近代的な建物でした。
下蚊屋集落から農道を南下し、県道113号を俣野川ダム方面に
向います。
交通の不便な場所でもあり、気が進まなかったのですが、
やっとの思いで辿り着いて見たのは、高原ロッジ風の美しい木造校舎でした。
屋根に突き出た5箇所の通気口は建物を装飾し、時計塔の上には風見鶏が
回っています。
2階には木製のベランダが取り付けられています。
山間集落にしては、とても立派な校舎で驚きました。
校庭の隅には、閉校記念の植樹がありました。
その奥には、大きな石がころがっており「俣野川湖底の石」とありましたが、
果たしてどうやって運んできたのでしょうか。
それともこの場所が湖底だったのでしょうか。
江府町武庫地区にあります。
白っぽい校舎と青っぽい体育館は、プレハブ風の簡素な建物です。
2階の教室の窓の一部に「頑張れ」との抽象的なスローガンがありましたが、
もっと大きく具体的な文言を、横断幕にして打出せば良かったのにと勝手に思いました。
校庭の周りの遊具は、木々や雑草に埋もれつつありました。
地味な校舎や体育館とは対照的に、桜やツツジが彩りを放ち、校庭には無数のタンポポの
純白の種が柔らかい風に揺れていました。
付近に線路(JR伯備線)が通っており、赤い列車(特急やくも)が
駆け抜けていきました。
季節毎に色を変えていく神秘的なカシの木です。
訪れた日は、黄金色に輝いていました。
教室から見える山腹にあり、生徒達も興味深く眺めていたに
違いありません。
橋の向こう側の建物は、江府中学校です。(現役)
国道181号を北上し米子自動車道を跨ぎ、再び国道482号に出ます。
大山に近付くように急斜面の道路を上って行き、江府町美用地区に
校舎があります。
鉄筋3階建ての重厚な建物ですが、白亜の校舎が青空に映えます。
この辺りは、南大山高原に位置しており、肌寒いほどの冷たい風が
吹いておりました。
学校の一番の自慢は、雄大な大山を近くに望むことができることです。
大正7年より開墾が始まり、今は整然と田園が広がっております。
大きな石を乗せた沿革碑から先人の苦労が偲ばれます。
この地域で収穫されるお米は県下で一番美味しいと言われているそうです。
きっと水が清らかで美味しいからでしょう。
江尾(えび)小学校貝田分校(1999年休校、2005年廃校)
貝田集落の中に、年季の入った小さな木造校舎があります。
グリーンの入母屋風の屋根のお寺と隣接して立っています。
校舎は錆びたスレート屋根に下見板張りの味わい深い建物です。
1991年度の在校生徒は12名でした。
貝田集落から大山に向ってさらに北上し、大河原集落にあります。
田園の奥にポツンと老朽化した木造校舎が2棟ほどL字型に並んでいます。
廃校時期は不明ですが、1970年代と思われます。
近付いてみると、かつて校庭だったであろう場所は草むらと化し、
校舎は建築資材や農機具の倉庫となっておりました。
錆び付いた遊具には蔦が絡まり、子供に代わって遊んでいるように見えました。
大河原集落から大山を望む
山頂付近に雲が掛かっておりましたが、迫力がありました。
大山(だいせん)は、鳥取県のおもに大山町にある標高1,729mの火山です。
鳥取県西部の旧国名・伯耆国の名称を冠して伯耆大山(ほうきだいせん)、
伯耆富士(ほうきふじ)とも呼ばれます。
古来より日本四名山に数えられ、登山家 深田久弥選出の日本百名山の一つでもあります。
日本百景にも選定されています。
大河原分校から程無く、同じ地区にあります。
校舎は、下蚊屋分校を大きくした感じで、壁はコンクリートを
下見板張風に仕上げられております。
思った以上に近代的な校舎と体育館ですが、周りには人家一軒もなく
どこから児童が通っていたのか不思議です。
1991年度の在校生徒は11名でした。