クリエイティブなことがしたいしたいって言うけど、
クリエイティブって一体なんだ? クリエイティブ=創造的な仕事?
それじゃイメージがつかないや。
僕にとって
クリエーティブなことをする、というのは、面白さ/ワクワクを提供すること。
面白さ/ワクワクを提供する方法は2つあって
1つは、"面白いこと"をする。(what)
そしてもう1つが、"面白く"する。(how)
いずれにせよ、ひらめきや運なども確かに重要かもしれないけど、それに頼ってるうちは出来ない気がする。
また、面白いことって何だろう?
メーカー志望の就活生の大半が言うであろう、新製品の開発を意味するのか?
僕もそう思ってました。
だけど、howに着目すると、実はもっと"面白く"することの応用範囲は広い気がしてきたのです。
そのひとつがプロセスの革新。例えば生産ラインをこれまで通りの固定観念から捉え直すことで、2つの行程をひとつにまとめたりできるようになったりするのかもしれません。
そう考えると、配属されてテンションが下がる部署なんてないかもしれないなぁと最近思い始めています。(現実を知るのが怖かったりもしますが笑)
とはいえ、コンセプトなしでは何も始まらない気もします。だって、行き先を決めずに走ってる状態ですもんね。(コンセプトが大事なのは、行動の動機が「無理だと決めつけられているものを出来るようにする」では、一過性のただの「反例のひとつ」になりかねない気がするからです。)
クリエイティブとかイノベーションって言葉は横文字でカッコイイ。
だけど、まったく実感が湧かないものでもある。
どれだけイメージできるようになるか。どれだけ自分のものにしていけるか。
ん~まだまだです。
実例を知ることも大事。
勉強して知識を得ることも大事。
もっと外の世界を知ることも大事。
でもホントにそれで出来るようになる?
結局は自分が気付けるかどうかによってると思う(しかしこれは最初の一歩に過ぎない)。そのためには、常にキーワードを意識しておくことが大事なのかな。そうすることで、他の何かと繋がったりするんじゃないかな。
それが、いわゆる「捉え直す」「定義し直す」ということなんでしょう。
今僕はどのようにして面白くするかということに関してのアプローチとして、
「捉え直す」ということ(すなわち考え方)に興味津々です。
世の中がもっと楽しく"見える"なんて最高じゃないですか!
そう言えば、以前松本人志がこう言っていました。
「緊張の緩和が笑いを生む。」
逆を考えるってことかな?
そういう考え方のツールってやっぱりあるんですね。でもまずは自分のバイアスに気付くことからかなぁ。
ちなみに、数年後はおそらく「どうやって他人を巻き込むか」について悩みながら考えているんじゃないかな、非常に勝手な妄想ですが笑
正月実家にいたときに新聞で見かけたことわざです。うさぎは前足と後ろ足の長さが異なり、坂を登るのが早いんだとか。今年はこのことわざのようになるといいですね!
そして僕はふと「山」を想起しました。
高くなればなるほど、道は険しくなり花なども存在できなくなっていく。
素晴らしい景色、たとえば雲海を見る為には少なくとも雲よりも高い場所まで登らないといけない。
呼吸することすら辛いかもしれない、そこまでして登る意味は何なのか。

一方、丘のような小山であっても、楽しむことはできる。高い山以外はダメだという話ではない。
綺麗な花もいっぱい咲いている、のんびり過ごすにはもってこいだ。
気軽に登るにはちょうどいいかもしれない。

ーーー
小学生の頃までは、よくおとんに山登りに連れられていたのを覚えています。
意識朦朧で崖から落ちたこともあったり。(おとんが僕をロープで結んでいたので今生きています!)
子供ですから、「山登りがしたいから連れてってくれ」とせがんだ訳ではないです。
つまり、上述の「なんで辛い目して登らなあかんの?」と考えていたかもしれません。
しかし、実際は雑念を通り越してほとんど無心で歩き続けていたと思います。空腹を我慢できないときは泣いて休憩を要求したことも。
頂上まで登っても、頂上から景色を眺める時間なんて一時。たしかに登った直後は清々しい気持ちでした。ただ余韻に浸る感じではなかったかなぁ。
結果、足早に下山します。下山の記憶なんてないほど、あっという間に地上に着きます。
ーーー
最近よく、「山」と過去の登山の記憶を仕事やキャリアと捉えて考えてみています。
少なくとも僕にとって、楽しい/嬉しいとはまた別の"快"として重要なのかなと考えていることは、下の3つです。
・「あの山に登ったんだ」という自信、自慢。
・無心で歩き続けること。
・地面ばかり見て歩き続けたことを一瞬で忘れさせる、周りの景色。
デジカメなどなかった時代でしたので、自分の目でみた景色のイメージは意外にもはやく消え去りました。
でも、それでいいと思うんです。たとえ絶景でなくとも。
僕はこれはメリハリだと考えています。飽きないように「中断」させることが大事なのかもしれません。高い山ばかりだと飽きてくるのかもしれません。
また、高い山は大勢で登るのは適していないように感じます、個人との戦いのイメージです。
どの山がいいか、ということではないと思います。高い山を登りたいならストレッチしておこう、要はそういうことだと思います。
定期的じゃなくてもいいんだけど、たまには「攻めようよ」、そんなスタイルが僕には合ってる気がします。
高い山を登ることが僕の目的ではないようです、なんだか面白い気付きだな~
photo from here, here
そして僕はふと「山」を想起しました。
高くなればなるほど、道は険しくなり花なども存在できなくなっていく。
素晴らしい景色、たとえば雲海を見る為には少なくとも雲よりも高い場所まで登らないといけない。
呼吸することすら辛いかもしれない、そこまでして登る意味は何なのか。

一方、丘のような小山であっても、楽しむことはできる。高い山以外はダメだという話ではない。
綺麗な花もいっぱい咲いている、のんびり過ごすにはもってこいだ。
気軽に登るにはちょうどいいかもしれない。

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小学生の頃までは、よくおとんに山登りに連れられていたのを覚えています。
意識朦朧で崖から落ちたこともあったり。(おとんが僕をロープで結んでいたので今生きています!)
子供ですから、「山登りがしたいから連れてってくれ」とせがんだ訳ではないです。
つまり、上述の「なんで辛い目して登らなあかんの?」と考えていたかもしれません。
しかし、実際は雑念を通り越してほとんど無心で歩き続けていたと思います。空腹を我慢できないときは泣いて休憩を要求したことも。
頂上まで登っても、頂上から景色を眺める時間なんて一時。たしかに登った直後は清々しい気持ちでした。ただ余韻に浸る感じではなかったかなぁ。
結果、足早に下山します。下山の記憶なんてないほど、あっという間に地上に着きます。
ーーー
最近よく、「山」と過去の登山の記憶を仕事やキャリアと捉えて考えてみています。
少なくとも僕にとって、楽しい/嬉しいとはまた別の"快"として重要なのかなと考えていることは、下の3つです。
・「あの山に登ったんだ」という自信、自慢。
・無心で歩き続けること。
・地面ばかり見て歩き続けたことを一瞬で忘れさせる、周りの景色。
デジカメなどなかった時代でしたので、自分の目でみた景色のイメージは意外にもはやく消え去りました。
でも、それでいいと思うんです。たとえ絶景でなくとも。
僕はこれはメリハリだと考えています。飽きないように「中断」させることが大事なのかもしれません。高い山ばかりだと飽きてくるのかもしれません。
また、高い山は大勢で登るのは適していないように感じます、個人との戦いのイメージです。
どの山がいいか、ということではないと思います。高い山を登りたいならストレッチしておこう、要はそういうことだと思います。
定期的じゃなくてもいいんだけど、たまには「攻めようよ」、そんなスタイルが僕には合ってる気がします。
高い山を登ることが僕の目的ではないようです、なんだか面白い気付きだな~
photo from here, here
本日実家から帰ってきました。
僕は実家だと、パソコンを触らなかったり、口調が変わったり、ずーっとダラダラ過ごしてしまいます。
やはり、まともな生活をする/まともな人間になる、には一人暮らしが良いのかもしれません。(自分ですべきことすらしなくなるんで・・)
それにしても2010年は面白みに欠けるエントリーだったなぁ、もう少し上手く書けるようになりたいところです。
2011年は環境がころころと変わる年になります。それだけ刺激的であっという間の一年ではないかと予想できます。
とりあえず、
健康。オープンマインド。楽しみ。
おみくじでは末吉だったのですが、この3つは持ち続けれるよう精進したいと思います!
僕は実家だと、パソコンを触らなかったり、口調が変わったり、ずーっとダラダラ過ごしてしまいます。
やはり、まともな生活をする/まともな人間になる、には一人暮らしが良いのかもしれません。(自分ですべきことすらしなくなるんで・・)
それにしても2010年は面白みに欠けるエントリーだったなぁ、もう少し上手く書けるようになりたいところです。
2011年は環境がころころと変わる年になります。それだけ刺激的であっという間の一年ではないかと予想できます。
とりあえず、
健康。オープンマインド。楽しみ。
おみくじでは末吉だったのですが、この3つは持ち続けれるよう精進したいと思います!
英語勉強で、新発見がありました。
twitterやfacebookでやりとりしたり、Lang-8で添削もらったりメッセージのやりとりをしたり。
多くの人というよりは、少数の方と色んな話をしました。(ちなみにLang-8は日本発で社長は25歳!!)
それで思ったこと。(少なくとも僕は)
・英文の学び方ー「習うより慣れろ」の実践
「こういう時どういう風に言うの?」といった質問をあまり僕はしませんでした、いや、英語でそれを質問出来なかったのかも知れません。海外旅行に行った際に困ったことを掘り起こして質問したことはあります。(店に入ったときレジでオーダーするのか、テーブルに着いてからウェイトレスにオーダーするのか、分からないんだけど?みたいな内容。)
学習開始当初は想像がつきませんでしたが、やってみて、意外と教えてもらって学ぶというよりは、自分で調べて文章を絞り出すことばかりです。つまり報われるのは、こちらの意図が相手に伝わり、会話が進展するときだと思います。だから、会話を進めば進むほど、たとえ英語に問題があったとしても、自信を持てばいいのではないかと僕は考えています。
・一回読んで分かる文と全く分からない文に、二分される。
単語が分からなくても、なんとなく悪い意味だとか、こういう意味でしょ?ってのが分かったとき、すごく嬉しい気持ちになります。しかし、単語は簡単だけれども、文章の繋がりとかを考えてみても、しっくりこないっていう文も多々あります。そういうときは、どういう意味?って聞きまくりますw 向こうの方がめんどくさいって思うかな~とか悩むときもありますが、文面でのやりとりで流したくなかったので聞きました。おかげで「thank you」を使う機会も増えますしね!
・文面でのやりとりでは、速く読む力はつきにくい。
これ途中で気付きましたが、かなり精読してます。自分が送ったメッセージを読んで、受け取ったメッセージを読んで。それで返信を試みる。すべてにかかる時間は相当です。本当に時間がかかります。返信(すなわちライティング)は返信回数によってかかる時間は短縮されるんじゃないかな。しかし、速読力はまた別のアプローチが必要だなと改めて思います。
・自分の中で「型」ができつつある感覚を味わえる。
日本語の表現も多岐にわたるように、英語も同じだと思います。その中で、自分で調べて練り上げた文章や、現地の方が使っている用法をマネてみたりする中で、「こういうときはこう言おう」というのが確立されつつあります。こうして熟練していくのかな。メールを読み返したりすると、「あぁほんまに僕が書いたんだ」と思ってしみじみしたり。(現在、ほんとにそういう中の下のレベルなんです。。)
しかし、スピーキング/リスニングとはまた別だと考える必要がありそうです。こちらも実践あるのみでしょう!
・日本語とは別の思考回路
よく言われることですが、他言語を操る人は別の思考回路を有しているそうです。僕はその感覚がまだ持ててるとは思いませんが、ほんと~になんとな~~くではありますが、体感しました。
はじめてそれを体感したのは、海外のファッションスナップサイトを見ていたときでした。
スナップ投稿者の女性が、写真と共にこうコメントしていたのです。
"i didn’t how to associate this bolero i hope it’s not bad"
僕はこの文を見た瞬間に「あ、かわいいな」と感じたのです。この感覚がすごい嬉しかった。
僕の頭の中では、「このボレロの合わせ方、自信ないんだけど悪くないといいな。」みたいな風にパッと入ってきたんです。
よくよく見れば、didn't の後ろに動詞が抜けてるからどういう意味か分からん!ともなり得ます。だから僕は運良くこの感覚を味わえました。
正直、あまり勉強している感覚はありません。それがいいことなのかどうかは分かりませんw
これからもこういう喜びや楽しさを味わえたらいいな~。
twitterやfacebookでやりとりしたり、Lang-8で添削もらったりメッセージのやりとりをしたり。
多くの人というよりは、少数の方と色んな話をしました。(ちなみにLang-8は日本発で社長は25歳!!)
それで思ったこと。(少なくとも僕は)
・英文の学び方ー「習うより慣れろ」の実践
「こういう時どういう風に言うの?」といった質問をあまり僕はしませんでした、いや、英語でそれを質問出来なかったのかも知れません。海外旅行に行った際に困ったことを掘り起こして質問したことはあります。(店に入ったときレジでオーダーするのか、テーブルに着いてからウェイトレスにオーダーするのか、分からないんだけど?みたいな内容。)
学習開始当初は想像がつきませんでしたが、やってみて、意外と教えてもらって学ぶというよりは、自分で調べて文章を絞り出すことばかりです。つまり報われるのは、こちらの意図が相手に伝わり、会話が進展するときだと思います。だから、会話を進めば進むほど、たとえ英語に問題があったとしても、自信を持てばいいのではないかと僕は考えています。
・一回読んで分かる文と全く分からない文に、二分される。
単語が分からなくても、なんとなく悪い意味だとか、こういう意味でしょ?ってのが分かったとき、すごく嬉しい気持ちになります。しかし、単語は簡単だけれども、文章の繋がりとかを考えてみても、しっくりこないっていう文も多々あります。そういうときは、どういう意味?って聞きまくりますw 向こうの方がめんどくさいって思うかな~とか悩むときもありますが、文面でのやりとりで流したくなかったので聞きました。おかげで「thank you」を使う機会も増えますしね!
・文面でのやりとりでは、速く読む力はつきにくい。
これ途中で気付きましたが、かなり精読してます。自分が送ったメッセージを読んで、受け取ったメッセージを読んで。それで返信を試みる。すべてにかかる時間は相当です。本当に時間がかかります。返信(すなわちライティング)は返信回数によってかかる時間は短縮されるんじゃないかな。しかし、速読力はまた別のアプローチが必要だなと改めて思います。
・自分の中で「型」ができつつある感覚を味わえる。
日本語の表現も多岐にわたるように、英語も同じだと思います。その中で、自分で調べて練り上げた文章や、現地の方が使っている用法をマネてみたりする中で、「こういうときはこう言おう」というのが確立されつつあります。こうして熟練していくのかな。メールを読み返したりすると、「あぁほんまに僕が書いたんだ」と思ってしみじみしたり。(現在、ほんとにそういう中の下のレベルなんです。。)
しかし、スピーキング/リスニングとはまた別だと考える必要がありそうです。こちらも実践あるのみでしょう!
・日本語とは別の思考回路
よく言われることですが、他言語を操る人は別の思考回路を有しているそうです。僕はその感覚がまだ持ててるとは思いませんが、ほんと~になんとな~~くではありますが、体感しました。
はじめてそれを体感したのは、海外のファッションスナップサイトを見ていたときでした。
スナップ投稿者の女性が、写真と共にこうコメントしていたのです。
"i didn’t how to associate this bolero i hope it’s not bad"
僕はこの文を見た瞬間に「あ、かわいいな」と感じたのです。この感覚がすごい嬉しかった。
僕の頭の中では、「このボレロの合わせ方、自信ないんだけど悪くないといいな。」みたいな風にパッと入ってきたんです。
よくよく見れば、didn't の後ろに動詞が抜けてるからどういう意味か分からん!ともなり得ます。だから僕は運良くこの感覚を味わえました。
正直、あまり勉強している感覚はありません。それがいいことなのかどうかは分かりませんw
これからもこういう喜びや楽しさを味わえたらいいな~。

今日クーリエという雑誌を買ってみた。
フランス人の幸せの価値観について、というのが興味を引いたからです。
その中に心に引っかかる言葉がありました。
脱成長。
脱成長とは、大量消費/消費社会の次のステージを意味していると思われます。
例えば、クルマから自転車へ。とか、不必要なものは買わない、自分で作れるものは作る、などなど。
がんばりすぎないこともこれに含まれるのかな。
なるほどなるほど。
僕にとって脱成長という言葉は、
「膨大な選択肢をもつ生活から、ベターなものを選択するにはどうすればよいか。
1つは選択肢を減らすこと。
もう1つは、意思(目的)を持ち選択すること。
要は、自分の選択に責任と意思を持ちましょう。」
っていう風に感じました。
とても大事なこと、忘れないようにしたいです。
photo from here