痛みを痛みと思わなければ、それは痛みではない。苦しみを苦しみと思わなければ、不幸を不幸と思わなければ、それは苦しみでも不幸でもない。
誰かの言葉だったのか、私が自己防衛のため生みだした言葉なのかはもう覚えていない。
もしかしたら、思い出す必要も無いのかもしれない。どちらにせよ私は、生きている。死ななければどうとでもなる。例えどうにもならない人間だったとしても。そうでしょ先生。
先生は、人を神様だと思ったことはありますか。私は宗教じみた話をしたいんじゃないんです。ただ、少し気になっただけで。ええ、今の私にとっては先生が神様みたいなところがあるんですけどね、しばらく前までは別に居たんですよ。
なんて言うか、その人は鮮やかだったんです。自由でとても鮮やかだった。色も温度もない、作り物みたいな姿な先生とは真逆でしたね。ああ、貶してないですよ。私思ったことはすぐ言っちゃうんです。だからこれは只の感想ですね。
私は人ではない先生のことを人だと思うように、人である彼を人ではないと思った。どんなに綺麗な言葉を使おうとも偶像化してただけなんです。
先生褒めてくれないんですか。私は上手に自分の気持ちを分析して言葉にしたのに。結局のところ許されないんですよ。ええ、分かってます。私はただ先生に懺悔したいだけなんです。
何故でしょうか。先生、私女の声が聞こえるんです。彼女は私に対して「お前は懺悔しなければいけない」と言うんです。先生分かりますか。私は、まるで何かに脅迫されているような感覚に陥るんです。思い込みだってことは頭ではわかっているんです。女は言います。「お前は自分を異常者だと言いたいだけだ」と先生聞えますか。聞こえないならそれでいいんです。
私が一番危惧しているのは先生にこの声が聞こえることなんです。わかりますか先生。私は、「自身が狂っている」という自覚のない人間と生活していたんです。先生、私は狂気の中で生きている人間が狂気に飲まれても可笑しくない話だと思うんです。
先生叱ってください。お前は間違っていると、生きている価値がないと、ただその言葉さえいただければ私はそれ以上は望みません。いつだって私の望みはシンプルなものなのです。先生は分かりますか。私はわかります。いつだってそんなシンプルな望みは叶えられないのです。分かりますか。
先生、深淵はそこにあります。『深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。』です。ニーチェの有名な言葉です。いいですか、私の話を聞いている時は決してこの言葉を忘れてはいけません。これは私の望みを叶えることや私を救うことよりも大切なことなのです。先生わかりますか。
狂気に陥った人間はそこにいます。それは私かどうかはわかりません。そこにいることは間違いありません。いいえ、そうではないんです。『私にとって』それは『間違いないこと』なんです。分かりますか。先生、私が言ってることがわかりますか。
大切なのは、先生が見えようと見えまいと私は見えているのです。あるいは見えていると思い込んでいるのです。だから私は、はなから先生が私のことを理解してくれるなんて思ってないで。先生何故私がこの言葉を何度も唱えてるか分かっていますか。私にとって『先生は私を理解してくれない』ということが大切なことなのです。
理想と現実は違います。皆、理想が叶えばいいと思っています。でも、本当は叶わない方が幸せなんです。望まなければ、ええ、望みなんてなければ、心なんてなければ私は生きていけます。分かりますか先生。先生、聞こえていますか。きっと聞こえていませんね。でも私はまるでネジの外れたロボットのように話し続けます。何故でしょうか、何故でしょうか、何故なんでしょうか。狂気はそこに居ます。深淵はそこにあります。あなたを覗いています。分かりますか。分かりますか。分かりますか。