河合曾良は、松尾芭蕉の奥の細道に随行した芭蕉の門弟である。
標題にある「曾良と曽良-どちらが正しい?」のきっかけはハイジャン男のブログに曾良の墓を訪ねた記事があったはずなのに、その記事が出て来ないのだ。
もしや、曽良としたのか?と検索すると出て来た!
実は、河合曾良は、江戸幕府の壱岐•対馬の巡見使の随員となり、壱岐を訪れた。
そして、いざ、対馬に渡ろうとしていた時に病に倒れた。
そして、壱岐市勝本町で亡くなったのである。
曾良の墓は、従って壱岐市にある。
ハイジャン男が「曽良」を使った理由はこの立て看板案内図に従ったためである。
この案内図を書き直してもらうために壱岐市役所に手紙を書きたいものだ。
何故、この話になったのかというと、アメブロ友の芳根杏子さんの「芳根杏子日記」に芭蕉と曾良のことが書かれていたからである。
今日のハイジャン男のコメントである。
『ハイジャン男さん
おはようございます。福岡市は曇り時々晴れ、気温27℃です。本日の杏子さんのお題「蝉」。昨日のブログでクマゼミが羽化した時、羽が緑に見えることを記事にしました。いろんな反響がありました。神戸の研究室の先輩に聞きました。「クマゼミの羽が緑に見えることはみんな知っているが、その緑の実体は何か?は解明されていない。」という話でした。さて、杏子さんのお話に芭蕉と曾良の話が出て来たので、一つ質問!芭蕉と曾良の墓は何処にありますか?偏差値65の問題です(笑)。芭蕉は調べれば直ぐに分かるし、曾良のWikipediaでそら分かるさ!です(笑)。曾良の墓は何と、長崎県壱岐市の勝本にあります。曾良は旅慣れているので、江戸幕府の壱岐対馬の両藩の巡遣使の随員として雇われました。壱岐の仕事を終えて、対馬に向おうとしていた時に病に倒れ、ここで客死しました。地元の名士の墓地にお墓が、あります。私は二度訪れたことがあります。
曾良の墓早も鳴きたる法師蝉
7月の後半に訪れた時に、法師蝉が鳴いていました。壱岐は玄界灘に浮かぶ島ですから、少し季節が早く動くのか?いや、よくお参りに来てくれたと曾良が法師蝉になってくれていた?(笑)』