本日、福岡市中央区の福岡城跡の藤棚を見に出かけた。


どうして、今日に藤棚をと思ったか?というと、


前回、訪れたのは、4月15日であった。









そろそろ満開ではと気にかかっていた。











藤棚は少し盛りを過ぎていたようだ。


しかし、藤の房が長いものも見られた。


やはり、平年よりも10日くらい早く咲いたのでは?と思う。


本日のアメブロ友の「芳根杏子日記」の俳句のお題が「藤の花」だった。









この中で、福岡藩城主の黒田家の家紋が藤の花であることは、前回の記事で説明した。


黒田官兵衛が有岡城に囚われていた時に、官兵衛は外に咲く山藤に元気をもらったのだと云う。


次のコメントを書き込んだ。


ハイジャン男さん

おはようございます。福岡市は曇り、気温17℃です。杏子さんのお題「藤の花」。そろそろ満開でしょう。今日の行き先は、福岡城跡ですね。黒田官兵衛が幽閉されていた有岡城の牢屋の外に咲いていた山藤の花。福岡城跡にも大木の山藤があります。藤は樹齢千年にもなるらしく、官兵衛もこの山藤を見たかもしれません。有岡城で官兵衛を世話していた門番頭の加藤重徳の息子は、官兵衛の養子となり、黒田一成と名乗り、三奈木藩の城主となります。加藤重徳は、官兵衛の世話か?小西行長の家老となります。関ヶ原で小西行長の加わる西軍が負けて、留守居の加藤重徳は、熊本を追われて、博多で暮らします。

山藤の取り持つ天下取りの秘話

官兵衛が秀吉に天下を取るように勧めましたが、加藤重徳が官兵衛を保護してなかったら、、?』


ハイジャン男の親類に、加藤重徳の弟に当たり、

黒田一成の家老となった加藤家がある。


加藤家の家紋は、やはり藤だという。


万人に手を差し伸べる藤の花

ハイジャン男


藤棚を歩いていると、藤の花が手を差し伸べてくれているように感じた。