全国の城郭建造物「御殿(居館)シリーズ」をお届けしています。

 

御殿については、「はじめに」の中で、軽く触れましたのでどうぞご覧ください。

 

全国「御殿」を巡る”はじめに” ↓

 

今回は、「根城」の木造復元「主殿」をお届けします。

 

根城」(青森県八戸市

1333年に、南朝方の重鎮「北畠親房」の息子である「顕家」が、「後醍醐天皇」の息子「義良(のりよし)親王」に従って奥羽へ下向した時に、同行した「南部師行(もろゆき)」がここに城を築きました。「南朝方の根本になる城」との願いをこめて「根城」と命名されたそうです。

 

その後「師行」は京まで上りますが、北朝方の「高師直(こうのもろなお)」と戦い戦死してしまい、弟が家督を継いで「八戸南部家」はこの地で統治します。

 

「豊臣秀吉」が東北支配を治めた際には、盛岡城の「南部利直」が八戸周辺の支配権を接収して、「八戸南部家」は遠野へ移しました。それに伴って「根城」は1627年に廃城となりました。

 

 

根城」の「本丸」には、1994年に発掘調査に基づき、城主が居住と政務を行う「主殿の常御殿」が木造復元されています。中世城郭の主殿の再現は初めてです。

 

「主殿」は、特別なお客と会ったり、様々な儀式を行ったりした所です。また、南部家に伝わる重宝が納められ大切に管理されていました。

 

「主殿」(裏側、中馬屋から) ↓

「主殿」と「工房」 ↓

 

部屋は、儀式を行う一番格の高い部屋である「大広間」、続いて「二の間」「祈祷の間」が続き、更に廊下沿いに「控えの間」「茶の間」、そして一番奥に来客の応対をする人が控える「詰の間」が配置されています。

 

その他に大きなスペースを取った「重宝の間」や「台所」も併設されていました。廊下沿いの扉は、「吊り上げ戸」になっていました。

 

「主殿内の部屋構成」 ↓

「主殿」入口部分と「廊下」 ↓

「主殿」廊下と「吊り上げ戸」 ↓

「主殿二之間」と「広間」がある部分 ↓

「主殿二之間」と「広間」前の廊下 ↓

「主殿広間」(南部家の武運長久祈願の為に行った正月十一日の儀式を再現) ↓

「主殿二之間」 ↓

「主殿茶之間」 ↓

「主殿詰之間」 ↓

 

 

 

 

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