6回に亘って滋賀県東近江市と日野町の「お城紀行」を投稿しましたので、スタートアップを宣言した城郭建造物「御殿シリーズ」は、冒頭から中断してしましました。
今回から、お城(陣屋)内の「御殿」を採り上げていく「御殿シリーズ」を再開します。
御殿については、「はじめに」の中で、軽く触れましたのでどうぞご覧ください。
全国「御殿」を巡る”はじめに” ↓
今回は、「岩崎陣屋」の「御殿の一部」をお届けします。
■「岩崎陣屋」(秋田県湯沢市)
元々は、「久保田藩」の「新田藩」として領地は持たずに2万石を蔵米として「久保田藩」から与えられていた藩で、藩主は江戸定府大名として江戸内に屋敷を構えていました。
江戸時代末期になると、「久保田城」の防衛ラインとして「椿台陣屋」を構えましたが戊辰戦争時に陣屋は焼失、その後、岩崎村から村挙げての陣屋誘致があって1870年に「岩崎藩」が立藩されて「岩崎城」があった南麓に「岩崎陣屋」が造られました。
しかし1871年に廃藩置県が出されると、「陣屋」の建物は「岩崎県」の県庁舎となり、更に「秋田県」と合併すると県庁舎は廃止されました。
現在は、その県庁舎として使用されていた「陣屋玄関屋根の唐破風」が「岩崎八幡神社の拝殿向拝」として移築され僅かに当時の名残が見られます。
「陣屋玄関屋根の唐破風」(現在は「岩崎八幡神社」の拝殿向拝) ↓
「陣屋玄関屋根の唐破風」(現在は「岩崎八幡神社」の拝殿向拝) ↓
「陣屋玄関屋根の唐破風」(現在は「岩崎八幡神社」の拝殿向拝) ↓
「陣屋玄関屋根の唐破風」(現在は「岩崎八幡神社」の拝殿向拝) ↓
この陣屋の例にもあるように、「城」や「陣屋」の御殿の「玄関・式台」は、格式を持たす為に屋根には大きな「唐破風」を用いられるケーズが多く、廃城後は、その格式の高い「玄関・式台」部分だけを切り取って再利用しているケースが非常に多いので、採り上げたいと思います。
「陣屋」跡 ↓
「陣屋」跡 ↓
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