5/9(木)に「和田岬砲台」「明石藩舞子台場跡」を見学した後、「舞子」からすぐ近くの「明石藩」の「明石城」(兵庫県明石市)へ登城しました。

 

前回のブログ「前編」では、「三の丸」跡から高石垣上の「本丸」「二の丸」「東の丸」の各跡を見てきましたので、本日のブログ「後編」では、「東帯曲輪」跡から見ていきたいと思います。

 

「前編」は下をクリックしてご覧ください ↓

 

「東帯曲輪」跡は坂になっていて南に向かって西側には「東の丸」跡の石垣が築かれていて、良く見ると石に「刻印」が見られました。「刻印」はここだけでなくて城内でもいろんな箇所で見られるそうですが、目にできたのはここだけでした。

 

「東の丸」跡の石垣沿いに「東帯曲輪」跡 ↓

「東の丸」東側の石垣に刻まれた「刻印」 ↓

「東の丸」東側の石垣に見られる「矢穴」 ↓

坂状態の「東帯曲輪」跡(左が「東の丸」跡) ↓

 

一方左側にも石垣が見られ途中に「雁木」があるので登ってみると、その先には「箱掘」が鬱蒼とした木々の中に水が少し溜まっているのが見えました。

 

「箱掘」淵に上がる「雁木」 ↓

「箱掘」を覗く ↓

 

「東帯曲輪」跡の坂を下り切った所を右(西方向)に曲がると真直ぐに細い「南帯曲輪」跡が「本丸」跡下まで続いています。そこからもまた、手前に「巽櫓」奥に「坤櫓」が並んで見えます。

 

手前「巽櫓」、奥「坤櫓」(「東帯曲輪」跡の坂を下り切った所から) ↓

「南帯曲輪」跡(西方向) ↓

 

「天の門」跡まで戻り「東の丸」跡に入って、今度は「真の門」跡を抜けると、右手には「薬研堀」が拡がっているのが草むらの間から見えます。

 

「天の門」跡(「出の門」跡側から) ↓

「真の門」跡(「北の丸」跡方向から) ↓

「薬研堀」 ↓

 

真直ぐ進むと「北の丸」跡に建つ「自転車競技場」になるので、まずは「真の門」跡の石垣裏側から「桜堀」の方へ下りていきました。

 

「北の丸」跡に建つ「自転車競技場」 ↓

 

「東の丸」「二の丸」の各跡の「高石垣」が迫ってくる感じで、「桜堀」は木々に覆われて鬱蒼としています。

 

「東の丸」「二の丸」の各跡の「高石垣」 ↓

「東の丸」「二の丸」の各跡の「高石垣」 ↓

「高石垣」の石に「矢穴」が沢山 ↓

「桜掘」(「土橋」の東側) ↓

 

その中に架かる「土橋」を渡って北側に移動すると、更に北側の斜面には「桜堀北側樹林地」と呼ばれる、まるで「山城」の中のような雰囲気を持つ樹林地帯があってその先が見えない位の幅があります。この裏手(北側)が「北の丸」跡になっているようですので後から行ってみましょう。

 

「桜掘」に架かる「土橋」 ↓

「桜堀」北側斜面の「桜堀北側樹林地」 ↓

 

「桜堀」の畔には「黄しょうぶ」が満開で新緑の中に華やかさを演出していました。「桜堀」の南側は、「二の丸」跡から更に「本丸」跡にかけて「高石垣」が壁となって貼りついています。

 

「桜堀」の畔に咲き乱れる「黄ショウブ」 ↓

「桜堀」越しに見える「高石垣」 ↓

 

「桜堀」から南へ石段を上がった所に「万の門」跡の石垣があり、左手の坂道を上って行くと「本丸」跡の「本丸北の門(埋見門)」に繋がります。私は真直ぐ進み「稲荷曲輪」跡へ入りました。「稲荷曲輪」跡は、「本丸」跡から約10m弱くらい段下で、「本丸」跡の石垣が良く見えると共に「天守台」の「武者返し」も良く観察でき足元に拡がっています。

 

「桜堀」から「稲荷曲輪」上がる雁木  ↓

「万の門」跡」 ↓

「万の門」跡から東方向へ上って行くと「本丸北の門(埋見門)」 ↓

「本丸」跡西側の「石垣」(「稲荷曲輪」跡から) ↓

「天守台」(「稲荷曲輪」跡から) ↓

「天守台」(「稲荷曲輪」跡から見上げる) ↓

「天守台」脇に「坤櫓」西面が見える ↓

「稲荷曲輪」跡から「三の丸」跡へ下りる ↓

「稲荷曲輪」跡にも二つの櫓があったようで南西隅の「正の櫓」台は見た目でも分かりますが、北西隅の「文の櫓」台は草木に覆われて分からずでした。1周ぐるりと廻った後、再び「桜堀」側に下りて「北の丸」跡に上がって行きました。

 

「稲荷曲輪」跡南西隅の「正の櫓」台 ↓

 

坂を上がった所には「県立図書館」が建ち、その後ろに楕円形の「自転車競技場」があります。「北の丸」跡の西側には非常に大きい「剛の池」が横たわり、当時は「外堀」の役目を担っていた池です。現在は池を利用した「明石公園」の北側となっています。

 

「北の丸」跡に建つ「県立図書館」 ↓

外堀の役目を担う「剛の池」 ↓

 

「稲荷曲輪」跡の西面の石垣は、折れが何箇所もある「横矢掛かり」となり立派です。

 

「横矢」が掛かる「稲荷曲輪」跡西面の石垣 ↓

 

途中「植物園」を通り抜けようとしたら、職員の方に大木に生える蘭「セッコク」を見て行って!と言われたので、木を見るとあちらこちらにヤドリギの様に白やピンクの可憐な「セッコク」が咲き乱れていました。世界でもこれだけ開花している「セッコク」はありませんので良く見といてくださいね!と言われ、たまたま通りかかっただけだったのですが、素晴らしい蘭を見させていただきました。

 

木に「セッコク」という蘭が咲き乱れている(植物園内) ↓

「セッコク」 ↓

「セッコク」 ↓

植物園園内の「花手水」 ↓

 

次の予定の「西宮砲台」へ行く時間が迫ってきていたので、少しスピードアップして「三の丸居屋敷」跡の南西隅にある「西不明門」跡へ急ぎました。

 

「中堀」から出っ張っている「出枡形」の門で駐車場の出入口になっていますが、非常に良く石垣が残っていました。私はここを見るのは初めての事で、「西不明門」は城内一大きい桝形門だったそうで、高麗門と櫓門でセットになっていたようです。名前から普段は開けられない門にも拘わらず、南正面の「大手門(太鼓門)」よりも大きいのは何故なんでしょう。

 

「出枡形」の「西不明門」跡 ↓

「出枡形」の「西不明門」跡 ↓

 

「中堀」の「南東隅」にある「東不明門」へ急ぎますが、途中、堀に沿った車道越しに「長屋門」が目に入ります。これは歴代の家老等が居住していた邸宅の「織田家長屋門」で、「船上(ふなげ)城」から移築された門と伝わるそうで、門の留め金は室町時代後期のものを伝えているとのことです。

 

「織田家長屋門」(「船上(ふなげ)城」から移築) ↓

「織田家長屋門」(「船上(ふなげ)城」から移築) ↓

 

「東不明門」は「内枡形」で、ここには「高麗門」だけがあったそうですが、石垣は良く残っていました。

 

「内枡形」の「東不明門」 ↓

「東不明門」は「内枡形」 ↓

 

「明石城」を隅から隅まで見学したのは初めての事で大満足できました。文章中で「中堀」と記載しているのは現在「外堀」とも呼ばれていますが、本来は更に「外堀」が囲っていたようです。現在市街地になって全く失われているそうで、少しでも残っていたらと思うと残念なことです。

 

この後、「西宮砲台」へ向かいましたが、「砲台・台場」の投稿を固めて発信したかったので、順番を入れ替えて「明石城」の投稿は最後になりました。

 

 

 

 

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