今日(2/13)の午前中に大阪市内の都島で用事を済まし、マクドで簡単ランチをした後に「天満橋」まで足を伸ばし「大坂城」(大阪市中央区)に訪城しました。

 

天気予報は、快晴で最高気温も15度予想でしたので、この時期としては「大坂城」の写真が綺麗に撮れるだろうと思い、カメラを用意して用事にでかけました。

 

案の定、天満橋に着いた時の天候は、雲一つなく真っ青な空で、太陽がサンサンと照っていたので、「大坂城天守」の金装飾も光輝いて非常に美しい光景でした。

 

私は今日の鑑賞テーマは何にしようかと考えていましたが、折角の青空で太陽が降り注ぐ中で映える「天守」を各方角から撮ることにしました。勿論、それ以外の写真も一杯撮って全部で200枚にもなっていました。

 

本日の訪城ルートは、いつもとは異なる「京橋口門」跡からの「天守」を見てから、「筋鉄(すじがね)門」跡から「外曲輪(三の丸)」跡を歩くという少し遠巻きながら「天守」の写真を撮って歩きました。

 

この地図の上部から攻めました↓

 

「京橋口門」跡枡形内には、城内NO.2の大きさを誇る「肥後石」(NO.1は、桜門内の「蛸石」)が嵌め込まれている所です。まずは、その少し中に入った所から北西方向からの「天守」を撮りました。

 

「京橋口門」跡枡形内の正面に城内NO.2の「肥後石」↓

「京橋口門」跡内から見える「天守」北西↓

 

「筋鉄(すじがね)門」跡は、「外曲輪」跡の入口ですが、江戸時代には「鴫野(しぎの)方面」への通路となっていたので、「鴫野弁財天」詣でをする庶民の為にこの門を通ることが許されていたそうです。

 

「筋鉄(すじがね)門」跡↓

「筋鉄(すじがね)門」跡を抜けた辺りから見える「天守」↓

「伏見櫓」台と「大阪ビジネスパーク」とのコラボ↓

 

「外曲輪(三の丸)」跡から「北外堀」沿いに歩くと「新鴫野橋」があって、江戸時代にも「鴫野橋」がこの辺りを渡していたそうで、それを渡ったところに「京橋口定番下屋敷」がありました。現在、「下屋敷」を囲っていた石垣の一部を保存、借景にした状態で石を積んでいます。

 

「新鴫野橋」を渡ったエリアは「京橋口定番下屋敷」跡、そこの石垣をモニュメントに↓

「新鴫野橋」を渡ったエリアは「京橋口定番下屋敷」跡、そこの石垣をモニュメントに↓

 

「新鴫野橋」から見える「天守」は、逆光ながらも全貌が見られます。

 

「新鴫野橋」から見える「天守」↓

 

「外曲輪(三の丸)」跡の北東まで「北外堀」沿いを進むと「青屋口門」の「外枡形」に着きます。

 

「北外堀」の突き当りに「青屋口門」の「外枡形」↓

復元「青屋口門」の櫓部分↓

 

ここからの入城客が非常に多いのは、「青屋口門」を入ってすぐ左側に「大阪城梅林」があるからで、今日の天候の良さと暖かさで一気に開きそうな「梅の花」を愛でる方々が来園しているからでした。

 

「大阪城梅林」青屋口入口↓

 

「梅林」は「市正(いちのかみ)曲輪」跡に植えられた梅です。「市正(いちのかみ)」というのは、「豊臣秀頼」の後見人となって重要な役割を担った「片桐市正且元」のことです。「片桐且元」の屋敷地跡は、江戸時代通じてその名前を残した曲輪となっていたようです。

 

 

 

 

 

梅林は、全体的には私の見立てですが五分咲きぐらいでしょうか、しかし白やピンクや赤等の花が咲き乱れて綺麗で「天守」とのコラボが少しできました。

 

「天守」は東面↓

「天守」は東面↓

「天守」は東面↓

「天守」は東面↓

 

「市正曲輪」跡の南面石垣には、多くの刻印が付いた石が積まれているのを知っていたので、梅の鑑賞後は刻印の鑑賞を始めました。梅を見に来た人にとっては、私が石に向かって写真を撮っている姿は如何にも滑稽だったでしょうね~

 

各種「刻印」↓

各種「刻印」↓

各種「刻印」↓

各種「刻印」↓

各種「刻印」↓

各種「刻印」↓

 

「雁木坂」を上がり、久々に「豊国神社」へ入りました。この中は、12年くらい前に息子がここで結婚式を挙げて以来の訪問です。当時、社殿に上がり神主さんに式を執り行ってもらう間、社殿外から外人の方々が物珍しく写真を一生懸命撮っていたのを思い出しました。

 

「雁木坂」(江戸時代には、「雁木」の階段がありました)↓

「高石垣」と「大阪ビジネスパーク」(いつも撮るポジション)↓

「豊国神社社殿」↓

「豊臣秀吉像」↓

 

この記念すべき神社から見えた「天守」を再現して撮ってみました。

 

「豊国神社」から見える「天守」↓

「豊国神社」から見える「天守」↓

 

神社の北側が「桜門」でそこから「本丸」に入りますが、インバウンドの影響で凄い人・人・人です。

 

「桜門」前の人混み↓

 

「本丸」跡に入るともっとえげつない程の人で、カメラをかなり上向きでないと観光客の頭が写ってしまう程です。

 

「本丸」跡内からの「天守」の写真はテッパンですが、真正面から、やや斜めから、真下からと色々な方向から撮りました。この時期の写真としては、青空に「天守」の金装飾などが映えて本当に美しいです。

 

真正面からの「天守」(「本丸」跡から)↓

「真正面下」からの「天守」↓

やや南西寄りからの「天守」↓

「小天守台」手前から見上げた「天守」↓

 

「本丸」跡内で「天守」を撮る隠れたスポットが、「本丸」跡南西隅にある「庭園」と「天守」のコラボができる場所です。私がそこに行くと、既に多くの外人観光客が写真を撮っていました。ガイドにでも掲載されているのでしょうか、或いはSNSで発信されて多くの観光客に知れ渡っているのでしょうか。もはや、隠れたスポットではなくなっていました。

 

「本丸庭園」と「天守」のコラボ↓

 

とはいうものの、私もそこで何枚かの写真を撮った後、「数寄屋前櫓」台跡の脇を通り、「天守」の南西隅下からや、真西下からも数多く撮りました、そして最後に「姫門」跡(北西方向から)から見上げた「天守」を撮って、今回の「天守シリーズ」を打ち止めしました。

 

「数寄屋前櫓」台跡辺りから見上げた「天守」↓

「腰曲輪」跡↓

「南西」隅下から見上げる「天守」↓

「天守」最上階(西面)↓

西面真下から見上げる「天守」↓

「姫門」(北西)下から見上げた「天守」↓

 

帰りは、「極楽橋」を渡り、スタート時点の「青屋口門」を通り抜けて、「大阪城公園駅」は向かいました。

 

「極楽橋」手前の枡形↓

 

良い天気に恵まれた2時間半、コートなしでジャケットだけでのいでたちでしたが、暑くもなく寒くもなく丁度いいコンディションの中で「大坂城」訪問ができて良かったでした。

 

昨日のブログ「清水山城館」の次に「清水山城」をお届けする予定を変更して、本日訪城「大坂城」を先行してしまいすみませんでした。次回ブログでは、「清水山城」をお届けします。

 

 

 

 

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