1/14(日)の9時前に東海地方の城友と合流し、予約してあった「姫路駅南口」の「タイムズカーシェア」でスタートしました。

 

「タイムズカーシェア」は駅前のタイムズの駐車場に置いている予約車を会員用の専用カードでドアを開けて、中の収納ボックスに収めているキーで車をスタートします。専用カードは月々880円ですが、今回のように9時間借りると5,500円+保険料330円で、借りることができます。返却時のガソリン注入も必要ないので非常に便利なシステムです。

 

まず向かった目的地の1城目は「楯岩(たていわ)城」(兵庫県揖保郡太子町)です。本来なら25分位で到着するのですが、登城口が分らずナビであちらこちらに移動しているうちに着いた登城口が、本来の場所(若王子神社)ではなく「秀吉コース」と表示があった所からの登城となりました。

 

「楯岩城登山口 秀吉コース」↓

 

「まあいいっか-」とスタートしましたが、かなりの岩石が転がる直登コースが続きました。

 

「秀吉コース」途中は岩だらけ↓

「秀吉コース」(「竪堀」のように畝っている)↓

 

暫くすると、石でできて中にも出入り出来るほどの立派な「古墳」があり、更にその少し上には岩盤・岩石の塊部分がありましたので、やっと本来の「若王子神社」からのコースに合流したと思いました。

 

「秀吉コース」途中の「古墳」↓

「秀吉コース」の「土塁」↓

「秀吉コース」の「古墳」より上の「岩盤」(当初ここが「磐座」と勘違いしていた場所)↓

「秀吉コース」の「古墳」より上の「岩盤」(当初ここが「磐座」と勘違いしていた場所)↓

 

暫くすると「竪堀」がありそれが「縄張図」記載の「木馬道」だろうと想定しました。その後は、岩石と岩盤が斜面至る所に転がり、ここに来る前に見た「楯岩城登城動画」で案内人の方が「スイスイと歩いていく姿と全然違うな~」と思いながらも上り続けました。

 

「秀吉コース」中の大きな石の「石列」↓

「秀吉コース」中の「石列」↓

 

石列が見えて、やっと「主郭」に着いたと思った場所に、既に先客のご夫婦がお弁当を食べられていたので「楯岩城」の「主郭ですか?」と確認したところ、「ここは城山の三角点がある場所ですよ」と教えてもらい、ここでやっと違う山頂に辿り着いていたことに気が付きました。私たちが、上ってきた「秀吉コース」は「城山一等三角点」経由だったんです。

 

「城山一等三角点」↓

 

「楯岩城」の山頂は、南側の山頂だとのことで、そのピークからどんどん下っていきました。

 

ここで「楯岩城」の歴史と城主をお話しておきますと「赤松刑部少輔」が築城してその後五代が相続して天正年間(1573~92年)の中頃まで続きますが、「羽柴秀吉」が播磨国を治めると廃城となりました。

 

楯岩城」の縄張りは、北東に「主郭」を置き「二の丸」「三の丸」が南西方向へ長く伸び、「主郭」から南東方向へは6段の段郭が延びます。

 

「縄張図」(「西播磨ツーリズム振興会」のパンフより)↓

私達は、「城山」から下ってきて南東方向にテレビ塔のアンテナが見えてやっとホッとしましたので、先に「南郭」跡を攻めることにしました。

 

「南郭」跡は6段の段郭になっているようで、その二段目と三段目の南隅に「石積み」が認められました。かなり崖っぷちに「石積み」があったので足元に気を付けながら攻めました。

 

「南郭」跡二段目南隅の石積み↓

「南郭」跡三段目南隅の石積み↓

「南郭」跡三段目南隅の石積み↓

「南郭」跡四段目より下を見下ろす↓

 

「主郭」跡の周囲には「土塁」「石列」が見られ、中央よりやや西寄りにテレビ塔とともに「楯岩城」の幟がはばたき、北西方向の遠景も楽しむことができました。

 

「主郭」跡の周囲の「土塁」↓

「主郭」跡の周囲の「石列」↓

「主郭」跡に立つテレビ塔↓

「楯岩城幟」↓

「主郭」跡から見える眺望↓

 

先に別コースで「主郭」へ上がってきてしまったので、ここからは逆に下って見ていきたいと思います。

 

「若王子神社」からの本来の登城ルート(「西播磨ツーリズム振興会」のパンフより)↓

※私達はこの地図の右下方向からあがってきたようです。

 

「主郭」跡から南西に向かって3段ぐらいの段郭となっていて2段目の南側には「石列」と「石積」が見られました。この段郭は下から見上げると「切岸」が施されていて、綺麗な饅頭型に見えます。

 

「主郭」跡から南西にかけての段郭 ↓

「主郭」跡南西の巨石の郭壁↓

「主郭」跡下南西の「段郭」にある「石列」↓

「主郭」跡南西面を見上げる(厳しい「切岸」が施されている)↓

「主郭」跡南西下の「段郭」↓

 

少し下りると、岩盤が固まっている「磐座(いわくら)」がありました。「城山の三角点」へ上る際に「磐座」と間違った岩盤より立派でした。

 

「磐座(いわくら)」↓

「磐座(いわくら)」付近の「石積み」↓

「磐座(いわくら)」を見上げる↓

 

そしてその脇から落ちていく「木馬道」と呼ばれる「竪堀」は結構な幅があり、「縄張図」通りに二本が下へ落ちていきます。

 

「木馬道」と呼ばれる「竪堀」↓

「木馬道」と呼ばれる「竪堀」↓

 

その下は緩やかな「分水」と呼ばれる尾根状の土地が続き、「古墳」のような石積みに遭遇しました。こちらは「城山」へ上がる途中に遭遇した「古墳」よりも小さめでした。この辺りが「二の丸」跡のようでした。

 

「分水」↓

「古墳」跡↓

 

少し南へ進んだ所には台状になった楕円形の大きな郭があり、その西側には上部が固められて白くなった「土塁」が前述の郭との間に「横堀」を形成していました。この「土塁」上には土塀が建てられていたようですが、この時代に「土塀」ってあったのかどうか・・・

 

台状になった楕円形の大きな郭↓

台状になった楕円形の大きな郭の西側↓

「横堀」(左)と「土塁」(南方向)↓

「土塁」(北方向)↓

 

台になった大きな郭の南東には「水源」があったらしく少し窪みがみられました。その後2段の細長い郭が続き薄い「堀切」があるようでしたが、殆ど分からず状態でした。

 

「水源」跡↓

                                                                                                                                                                                                                                                         

城域の南端へは、「若王子神社」をスタート地点とすると、かなりの山道を登ってこないといけなかったようで、我々は「秀吉コース」の方が直登ながらも楽だったのではないだろうか話しながら下山しました。

 

小さな祠のある「若王子神社」脇には「楯岩城」の解説や縄張り図の掲出がありましたので、それを見て登ると分かりやすかったと思います。

 

「若王子神社」↓

「楯岩城址遊歩道」の表示板↓

「獣柵(鹿柵)」を入ると神社↓

 

我々が車を置いた場所は「秀吉コース」の入口で、「若王子神社」の場所から山麓を半分くらい、時間にして約30分の場所でしたので、黙々と歩くうちに、左手に「楯岩城主郭」に立つテレビ塔やその前に辿り着いた「城山」が良く見えるポジションに出会えることができました。青空に映える山頂は美しい眺めでした。

 

山頂に「楯岩城主郭」(テレビ塔アンテナが微かに見える)↓

中央のテレビ塔が見えるのが「楯岩城」、右側が三角点のある「城山」↓

 

12時15分くらいに車に辿り着き、ちょっとお菓子でお腹を満たしてから、次に向かう目的城「香山(こうやま)城へ向かいました。次回のブログでお届けします。

 

※「西播磨ツーリズム協議会」のパンフは「若王子神社」からのルートを推奨しています。

 

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