1/6(土)に「青春18きっぷ」5回目を使って白浜方面へ「お城巡り」に出かけ、「紀伊田辺城」「安宅八幡山城」「安宅本城」「安宅大野城」へと計画通りに訪城した後は、一気に大阪まで戻る予定でした。

 

5回目のスタンプを押した「青春18きっぷ」↓

 

しかし、前回のブログでも記載したように、長時間乗車して座っていると足腰の疲れが回復してきて、「和歌山駅」に着くころにはすっかり疲れが癒され、しかも16時半だというのに外はまだまだ明るかったので、「和歌山駅」で下車して、「和歌山城」へ久々に寄ってみようという気力が湧いてきました。

 

当初予定ではこの「紀州路快速」に乗り換える予定でした↓

 

ということで、急遽予定外の「和歌山城」(和歌山県和歌山市一番丁)へ訪城を断行しました。バスで三つ目の「和歌山城前」で下車して「大手門口」から入城しました。

 

なぜ急に「和歌山城」に行きたくなったかというと、「天守曲輪」の石垣で見られるという「転用石」を私はまだ見たことが無かく、この目で確かめたかったからです。

 

復元「大手門口」から入ってからは、「天守曲輪」まで急ぐべく、通り道の撮影ポイントは手早くカメラに収めて進みました。

 

復元「大手門口」↓

復元「大手一の橋」から「北堀」を望む↓

 

「一中門」の「亀甲崩しの石積み」は、ハッキリした「亀甲積み」にはなっていないのでこのように呼ばれています。「一中門」跡を抜けた真ん前には「伏虎像」が寝そべっています。像の後ろの天守が建っている山全体は、虎が寝そべっているように見えることから名づけられたそうです。

 

「一中門」跡の「亀甲崩しの石積み」↓

「一中門」跡裏側(二の丸側)の「亀甲崩しの石垣」↓

「伏虎像」↓

 

「伏虎像」の後ろに積まれている石垣は、緑泥片岩でできた石が緩やかな角度で積まれていて、かなりの面積を占めています。角部分は「鎬(しのぎ)積み」と言われ、直角(90度)を越える角度になっています。

 

「伏虎像」の後石垣は全面的に緑泥片岩の「野面積み」↓

「伏虎像」の後石垣の角は「野面積み」で「鎬(しのぎ)積み」↓

「岡中門」跡の「喰い違い石垣」↓

「岡中門」跡の礎石↓

「岡中門」跡越しの「松の丸櫓」台(石積み方式が異なる、手前は「打込接」奥は「切込接」)↓

「松の丸櫓」台の「切込接・布積み」の石垣↓

 

撮影ポイントでこれまで全くキッチリと写真を撮っていない「巽櫓」跡から重文「岡口門」までの東堀沿いの現存「土塀」を外側から(「巽櫓」台上から)と内側から撮影をしました。しかし外側の壁の漆喰が崩落している部分が多く確認できました。こういう箇所を見ると寂しくなりますね~

 

「巽櫓」台と両脇の「雁木」↓

現存「土塀」(「巽櫓台」上から)↓

現存「土塀」(「岡口門枡形内」から)↓

 

重文「岡口門」を観察しその大規模な枡形から「松の丸櫓台」等を眺めた後、「表坂登り口」から坂道の両脇に積まれた各種の石積みを見ながら「松の丸」跡へ上がりました。薄暮近くなっていましたが、下城してくるお客様も多く見られました。

 

重文「岡口門」(切妻になっているのは、「多門櫓」が繋がっていたから)↓

重文「岡口門」(「門扉」上部は格子戸という古いタイプ)↓

「岡口門枡形」内の「会坂」(V字の石段)↓

「表坂登り口」(「野面積み」「打込接」「切込接」各種の石垣の積み方が見られる)↓

「表坂登り口」の正面に「松の丸櫓」台↓

「松の丸」跡の北側にも「野面積み」石垣の「鎬(しのぎ)積み」が見られる↓

 

「本丸表門(本丸一の門)」から曲がりくねった石段を上がるところにも「野面積み・乱積み」の石垣が二段に見えてきます。

 

「本丸表門(本丸一の門)」跡石垣↓

「本丸表門(本丸一の門)」から折り返し石段を上がると二段の「野面積み・乱積み」↓

 

上りきった真正面の石段上が「本丸御殿」跡で現在は給水場となっています。ここからの「天守群(大天守・小天守)の眺めが一番綺麗に見える所で、夏場は木々に邪魔されるのですが冬場の今が最も写真写りが良いのでそこから薄暮の中の「天守群」を撮影しました。

 

「本丸御殿」跡から見る「天守群(大天守、小天守)」↓

 

「大天守」の破風内の「銅板青海波」、丸みを帯びた「石落とし」、二重目の出張り部分(出窓)が良く見えます。

 

「大天守」の破風内の「銅板青海波」↓

「大天守」の丸みを帯びた「石落とし」↓

 

「本丸」跡を下りて「天守曲輪」跡に入る「天守一の門」跡が真正面に構えていて、坂が「天守曲輪下段」へ続きます。もうこの頃になると日没も過ぎて廻りがかなり暗くなってきていました。

 

「天守一の門」跡↓

復元「楠門(天守二の門)」(ここから有料エリア)↓

 

「天守曲輪」内(有料部分)は、17時半で終了していましたので既に入ることができませんでしたが、「天守曲輪」石垣で見られるという「転用石」を探しました。しかしながら、もう暗くて探し当てることができませんでした。これを目的にここまできたのですが、途中やはり色々見ながら、写真を撮りながら登城したものですから、間に合わずでした。帰宅して「転用石」の在りかを調べると「天守曲輪下段」跡の逆方角、北側の「乾櫓」台にあったようで、事前の予習不足が祟った、というよりも計画外で登城したことで調べ無しだったことが反省点でした。

 

「二の門櫓」台と「楠門」前の石垣↓

復元「二の門櫓」↓

「二の門櫓」台上に佇む「ネコちゃん」↓

復元「大天守」(「楠門」前から)↓

復元「大天守」と「天守台」↓

 

この後、城内でもう一つ重要文化財建造物である「追廻門」の写真を撮りたく、「新裏坂」から下城しましたが周囲は写真を撮っても照度不足で真っ黒にしか映りません。

 

しかし「追廻門」はライトアップされていたので、赤い門が暗闇にひと際目立つ姿で写真が撮れました。

 

重文「追廻門」(赤門で「高麗門」形式)↓

重文「追廻門」(赤門で「高麗門」形式)↓

 

「追廻門」北側は「砂の丸」跡で、ここは「藤堂高虎」が築いた曲輪です。西側には「堀」を築かずに非常に背丈のある「高石垣」で守備をする造りになっていて、その石垣写真をなんとか収めることができました。

 

「砂の丸」跡西側を守る「高石垣」↓

 

「砂の丸」跡を横切り「鶴の門」跡を抜けると「西の丸庭園」ですが既に閉園済み、真直ぐに進んで「西の丸」跡へ出ました。「西の丸」跡は勿論真っ暗でしたが、そこから「伏虎山」上にライトアップで浮かび上がった「天守曲輪」内の城郭建造物群が幻想的に見えてきます。

 

ライトアップで暗闇に浮かび上がる「天守群」↓

ライトアップで暗闇に浮かび上がる「連立式天守群」↓

 

私は、最も綺麗に見え、また「西の丸庭園」と「二の丸」跡を繋ぐ「廊下橋」とのコラボ写真が撮れるスポットへ移動して、そこからの写真をしこたま撮りましたが、夜間で望遠、手振れ等でバッチリ撮れた写真はごく僅かでした。

 

「天守群」と「廊下橋」↓

ライトアップされた「天守群」↓

 

しかし、この幻想的な光景を自分の眼で確かめることができて大満足、思い立って「和歌山駅」で下車した甲斐がありました。

 

小雨が降ってきてバスで「和歌山駅」へ移動しました。「和歌山駅」発「大阪」行き「紀州路快速」は通勤時間帯なので本数が結構あるようで18時発の電車に乗れたのですが、まだ空いている後発18時10分発の「大阪」行に乗り込みました。和歌山駅のコンビニでカレーパンとドーナツ、缶コーヒーを買ってクロスシート座席でゆっくりと食事ができましたが、発車間近になると通勤客で多くなり早く食べておいて正解でした。

 

18時10分発の「大阪」行き「紀州路快速」で帰りました↓

 

この後、スマホの電源切れで使用できず、仕方なく暗い車窓を眺め、時々ウトウトしながら「大阪駅」までの1時間30分を過ごしました。

 

「紀伊日置」駅で乗車してライン仲間に今から大阪へ戻ると発信したのに、急遽途中下車して「和歌山城」へ行ったことを告げると、みんなに呆れられました。

 

お城好きは、体調が戻り元気になり、しかも近くにお城があるとすぐにでも「お城」を目指したくなるものなんだよ-と強調しておきました。

 

 

 

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