2023年7月7日から『北から南へ「天守」シリーズ』をスタートさせ、途中中断もありましたが、本日は第62回目で、RC造り模擬「唐津城」(佐賀県唐津市東城内)の「天守」をお届けします。 

 

初回は、「プロローグ」ということで「天守」についてのエピソード等をお話をし、2回目以降は、具体的に「天守(御三階櫓含む)」があるお城を、北から順次、現存・復元・復興・模擬の「天守(御三階櫓含む)」を織り交ぜて掲載してきました。

 

 

「天守(御三階櫓含む)」の構造などの特徴を始め、藩主だった大名や城主、訪城しやすいようにアクセスや最寄駅等も記載しています。

 

・JR筑肥線「唐津駅」から徒歩16分

 

〇RC造り模擬「唐津城 天守」

・五重五階地下一階、望楼型、独立式

屋根は「瓦葺」

は「白漆喰総塗籠め」、「石落とし」、最上階に「廻縁・高欄」

は「格子窓」

破風は妻側二重目「入母屋破風」、桁側一重目出格子窓に「軒唐破風」、桁側三重目に「千鳥破風」、桁側四重目に「軒唐破風」

軒裏と軒垂木は「白漆喰」    

内部はRC造り資料展示

天守台は「打込接・乱積み」

 

「唐津城 天守」の歴史

・「天守」があったかどうかは不明(絵図にも残らず)

※ただ、「名護屋城」の五重「天守」を移築する予定だったが幕府に遠慮して中止したとか。

・1966年に模擬「天守」を建築

 

城主

・1593年に「寺沢広高」が肥前唐津に入る、8万3千石→12万3千石→8万3千石

・1602年に「広高」が唐津城の築城開始

・1603年に「広高」が入城

・1647年に「幕府領」

・1649年に「大久保忠職」が8万3千石で入城

・1678年に「松平(大給)乗久」が7万石で入城→6万石

・1691年に「土井利益」が7万石で入城

・1762年に「水野忠任」が6万石で入城

・1817年に「小笠原長昌」が6万石で入城、以降「小笠原家」が幕末維新まで領有

 

RC造り模擬「唐津城 天守」(南西方向から、「名護屋城屏風」に描かれている「名護屋城天守」に外観が似ている)↓

RC造り模擬「唐津城 天守」(南西方向から)↓

RC造り模擬「唐津城 天守」(南西方向から)↓

RC造り模擬「唐津城 天守」(入母屋屋根に三重に「望楼」が乗る、南方向から)↓

RC造り模擬「唐津城 天守」(「本丸」跡内から、東面)↓

RC造り模擬「唐津城 天守」(「本丸櫓門」前から)↓

RC造り模擬「唐津城 天守」の館内↓

RC造り模擬「唐津城 天守」最上階から望む「虹の松原」↓

当初「名護屋城天守」を移築する予定だった(「肥前名護屋城図屏風」-名護屋城博物館内)↓

「肥前名護屋城 天守」模型(名護屋城博物館内の城内模型より)↓

「肥前名護屋城 天守」模型(名護屋城博物館内の城内模型より)↓

 

 

 

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