2023年7月7日から『北から南へ「天守」シリーズ』をスタートさせ、途中中断もありましたが、本日は第61回目で、RC造り復興「小倉城」(福岡県北九州市小倉北区城内)の「天守」をお届けします。
初回は、「プロローグ」ということで「天守」についてのエピソード等をお話をし、2回目以降は、具体的に「天守(御三階櫓含む)」があるお城を、北から順次、現存・復元・復興・模擬の「天守(御三階櫓含む)」を織り交ぜて掲載してきました。
「天守(御三階櫓含む)」の構造などの特徴を始め、藩主だった大名や城主、訪城しやすいようにアクセスや最寄駅等も記載しています。
・JR鹿児島本線「小倉駅」から徒歩約10分
〇RC造り「小倉城 天守」
・四重五階、南蛮造り望楼型(当初は南蛮造り層塔型)、連結式(「小天守」が連結)
・屋根は「瓦葺」
・壁は「白漆喰総塗籠め」、堀沿いに「石落とし」、最上階は庇屋根の下に戸袋付き「雨戸」を設置
・窓は「連子窓」、桁側一重目に軒唐破風付き「出格子窓」
・破風は妻側一重目「入母屋破風」、妻側三重目「軒破風」、桁側一重目出格子窓に「軒唐破風」、桁側二重目に「比翼千鳥破風」(当初は無破風)
・軒裏と軒垂木は「白漆喰」
・内部はRC造りで体験型と資料展示、EV設備あり
・天守台は「野面積み・乱積み」
〇RC造り復興「小倉城 小天守」
・二重二階(本来は「平櫓」)、望楼型(「多門櫓」から連結)
・屋根は「瓦葺」
・壁は「白漆喰総塗籠め」
・窓は「連子窓」
・破風は無し
・軒裏と軒垂木は「白漆喰」
・内部はRC造りで資料展示
・天守台は「野面積み・乱積み」
〇「小倉城 天守」の歴史
・1602年頃に完成
・1837年に城内より出火で焼失、その後再建されず
・1959年に復興「天守」が再建
〇城主
・1569年頃に「毛利氏」が築城
その後「高橋氏」が入城
・1586年に「豊臣秀吉」の九州平定で「黒田孝高」が攻城
・1587年に「毛利勝信」が入城
・1600年に「細川興元」が入城
・1632年に「小笠原忠真」が入城、以降「小笠原家」が幕末まで領有する
・1866年に「小笠原氏」が「小倉城」を自焼し、その後「長州藩」預かり
RC造り復興「小倉城 天守」(北東方向から)↓
RC造り復興「小倉城 天守」(南蛮造り部分で雨戸でカバー、北東方向から)↓
RC造り復興「小倉城 天守」(大きな「入母屋破風」の上に「軒唐破風」、東面)↓
RC造り復興「小倉城 天守」(南東方向から)↓
RC造り復興「小倉城 天守」(一階の「軒唐破風付出格子窓」、二重目の「比翼千鳥破風」、南面)↓
RC造り復興「小倉城 天守」(西面を見上げる)↓
RC造り復興「小倉城 天守」(桁側は妻側より二間も長いので最上階は直方体、北面)↓
RC造り復興「小倉城 天守」(北外堀越し)↓
RC造り復興「小倉城 天守」台(野面積み・乱積み、南面)↓
本来の姿の「小倉城 天守」(無破風層塔型の「南蛮造り」、館内に展示の模型)↓
本来の姿の「小倉城 天守」(無破風層塔型の「南蛮造り」、館内に展示の模型)↓
RC造り復興「小倉城 天守」城内(軍議の模様)↓
RC造り復興「小倉城 天守」(参加型イベント)↓
RC造り復興「小倉城 天守」(参加型イベント)↓
RC造り復興「小倉城 天守」(最上階のEVホール)↓
RC造り復興「小倉城 天守」(RC造りの階段)↓
RC造り復興「小倉城 天守」(最上階からの遠望、御下屋敷跡と御殿跡)↓
RC造り復興「小倉城 小天守」(二重二階だが、本来は「平櫓」だった)↓
RC造り復興「小倉城 小天守」(二重二階だが、本来は「平櫓」だった)↓
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