2023年7月7日から『北から南へ「天守」シリーズ』をスタートさせ、途中中断もありましたが、本日は第60回目で、現存重要文化財「高知城」(高知県高知市丸ノ内)の「天守」をお届けします。 

 

初回は、「プロローグ」ということで「天守」についてのエピソード等をお話をし、2回目以降は、具体的に「天守(御三階櫓含む)」があるお城を、北から順次、現存・復元・復興・模擬の「天守(御三階櫓含む)」を織り交ぜて掲載してきました。

 

 

「天守(御三階櫓含む)」の構造などの特徴を始め、藩主だった大名や城主、訪城しやすいようにアクセスや最寄駅等も記載しています。

 

・JR土讃線「高知駅」から徒歩25分

・JR土讃線「高知駅」からバス約10分乗車し「高知城前」下車

・JR土讃線「高知駅」からとさでん交通(路面電車)「はりまや橋」で乗換えて「高知城前」下車

 

〇現存重要文化財「高知城 天守」

・四重六階、望楼型、独立式

屋根は「瓦葺」

は「白漆喰総塗籠め」、「石落とし」、北面に鉄串「忍返(しのびがえし)」が並ぶ、最上階に「廻縁・高欄」

は「開き戸」で外側は漆喰塗、内側は木を張った「土戸」

破風は桁側二重目「入母屋破風」、妻側二重目「千鳥破風」、三重目桁側「軒唐破風」

軒裏と軒垂木は「白漆喰」

入口は「御殿」から入る構造で二重扉(外扉は漆喰の開き戸、内扉は木製引き戸)      

内部は木造で、一階二階は中央に「身舎」、周囲は「武者走り(入側)」、「身舎」と「武者走り」の間には敷居無し、三階~六階は一室構造、四階だけが「真壁造り」、五階は窓無し、六階の天井は「格天井」

天守台は無く「天守」は「本丸石垣」の上に直に建つ

 

「高知城 天守」の歴史

・1603年頃に完成

・1727年に大火で焼失

・1747年に現在の天守が再建

 

城主

・1601年に「山内一豊」が20万2600石(表高は24万石2000石)で土佐国に入国

・1603年に「高知城」の本丸と二の丸ができて入城、以降「山内家」が幕末維新まで領有

 

現存重要文化財「高知城 天守」(「追手門」から)↓

現存重要文化財「高知城 天守」(「鉄門」跡から見上げる)↓

現存重要文化財「高知城 天守」(「三の丸」跡から、北東方向から)↓

現存重要文化財「高知城 天守」(二重の「望楼」、北面、「二の丸」跡から)↓

現存重要文化財「高知城 天守」(北面の壁下に鉄串「忍返(しのびがえし)」が並ぶ)↓

現存重要文化財「高知城 天守」(南面で「本丸御殿(懐徳館)」入口後方、「黒鉄門」前から)↓

現存重要文化財「高知城 天守」と重要文化財「本丸御殿(懐徳館)」↓

現存重要文化財「高知城 天守」入口(「本丸御殿(懐徳館)」取り合いの間」↓

現存重要文化財「高知城 天守」一階の「武者走り」(「身舎(もや)」との間には「敷居」は無し)↓

現存重要文化財「高知城 天守」一階の「身舎(もや)」↓

現存重要文化財「高知城 天守」一階の「石落とし」↓

現存重要文化財「高知城 天守」一階の「狭間」↓

現存重要文化財「高知城 天守」一階から二階への階段↓

現存重要文化財「高知城 天守」二階の「武者走り」↓

現存重要文化財「高知城 天守」二階の「身舎」↓

現存重要文化財「高知城 天守」三階は一室構造↓

現存重要文化財「高知城 天守」三階の「破風の間」↓

現存重要文化財「高知城 天守」四階の上がり口↓

現存重要文化財「高知城 天守」四階の壁は柱が見える「真壁造り」↓

現存重要文化財「高知城 天守」四階の「真壁造り」の壁に「狭間」↓

現存重要文化財「高知城 天守」五階から六階の階段(五階は窓が無く真っ暗)↓

現存重要文化財「高知城 天守」六階の壁も「真壁造り」↓

現存重要文化財「高知城 天守」六階の「格天井」↓

現存重要文化財「高知城 天守」六階の「廻縁・高欄」と東方向の遠景↓

現存重要文化財「高知城 天守」六階から「天守」と「本丸御殿」の屋根を見下ろす↓

現存重要文化財「高知城 天守」の「鯱」と「鬼瓦」↓

現存重要文化財「高知城 天守」六階から見下ろす重文「西多聞、廊下橋門櫓、詰門廊下橋、東多聞」↓

 

 

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