2023年7月7日から『北から南へ「天守」シリーズ』をスタートさせ、途中中断もありましたが、本日は第58回目で、現存重要文化財「宇和島城」(愛媛県宇和島市丸之内)の「天守」をお届けします。
初回は、「プロローグ」ということで「天守」についてのエピソード等をお話をし、2回目以降は、具体的に「天守(御三階櫓含む)」があるお城を、北から順次、現存・復元・復興・模擬の「天守(御三階櫓含む)」を織り交ぜて掲載してきました。
「天守(御三階櫓含む)」の構造などの特徴を始め、藩主だった大名や城主、訪城しやすいようにアクセスや最寄駅等も記載しています。
・JR予讃線「宇和島駅」下車、登城口まで徒歩15分
〇現存重要文化財「宇和島城 天守」
・三重三階、層塔型、独立式
・屋根は「瓦葺」
・壁は「白漆喰総塗籠め」窓の上に「長押(なげし)」
・窓は「格子窓(五角形の武者窓)」
・破風は桁側一重目「比翼千鳥破風」、二重目「千鳥破風」、三重目「向唐破風」、妻側一重目「千鳥破風」、二重目「向唐破風」
・軒裏と軒垂木は「白漆喰」
・玄関は正面右、屋根は「唐破風」付
・内部は木造で、一階二階は中央に「身舎」、周囲は「武者走り(入側)」、「身舎」と「武者走り」の間は障子が入る、二階四隅には「火打梁」、三階は一室構造で天井は「猿頬天井」
・天守台は「切込接・布積み」
〇「宇和島城 天守」の歴史
・1601年に完成(「望楼型」で「付櫓」が付随した「複合式」)
・1666年に老朽化により建て直し完成(「層塔型」で「独立式」に改築)
〇城主
・1575年に「西園寺宣久」が居城
・1584年に「長宗我部元親」の攻城で「西園寺家」が降伏
・1585年に「豊臣秀吉」の四国攻めで「小早川隆景」の属城で「持田右京」が城代
・1595年に「藤堂高虎」が入城
・1608年に「富田信高」が12万石で入城
・1613年に「幕府直轄」で「藤堂高虎」が代官で「藤堂良勝」が城代
・1615年に「伊達秀宗」が10万石で入城→分知で7万石→石直しで10万石、以降「伊達家」が幕末維新まで領有
現存重要文化財「宇和島城 天守」(正面右が「唐破風」付き「玄関」)↓
現存重要文化財「宇和島城 天守」(正面右が「唐破風」付き「玄関」)↓
現存重要文化財「宇和島城 天守」(東面、妻側から)↓
現存重要文化財「宇和島城 天守」(南西下から)↓
現存重要文化財「宇和島城 天守」(「二の丸」跡から、北方向から)↓
現存重要文化財「宇和島城 天守」(JR「宇和島駅」から、東面)↓
現存重要文化財「宇和島城 天守」(一階の壁には窓の上下に「長押」)↓
現存重要文化財「宇和島城 天守」(「玄関」の「唐破風」内には、「伊達家」の三つの「家紋」が並ぶ)↓
現存重要文化財「宇和島城 天守」(「玄関」の「唐破風」内の「蟇股(かえるまた)」)↓
現存重要文化財「宇和島城 天守」台(切込接・布積み)↓
現存重要文化財「宇和島城 天守」一階の「武者走り(入側)」(「身舎」との間には「障子戸」)↓
現存重要文化財「宇和島城 天守」一階から二階への階段↓
現存重要文化財「宇和島城 天守」二階の「身舎」(「武者走り(入側)」との間には「障子戸」)↓
現存重要文化財「宇和島城 天守」二階の「武者走り(入側)」↓
現存重要文化財「宇和島城 天守」(二階の上下の「障子戸」)↓
現存重要文化財「宇和島城 天守」二階から一階への階段↓
現存重要文化財「宇和島城 天守」二階四隅の「耐震梁(火打梁)」↓
現存重要文化財「宇和島城 天守」三階最上階↓
現存重要文化財「宇和島城 天守」三階から二階への階段↓
現存重要文化財「宇和島城 天守」(五角形の「武者窓」)↓
現存重要文化財「宇和島城 天守」最上階の窓(閉めた状態)↓
現存重要文化財「宇和島城 天守」の「桃瓦」(邪気払い)↓
現存重要文化財「宇和島城 天守」最上階からの遠望(宇和島湾)↓
現存重要文化財「宇和島城 天守」(天守の雛形)↓
現在の「層塔型天守」(左)と「藤堂高虎」が築いた「望楼型天守」(右)↓
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