2023年7月7日から『北から南へ「天守」シリーズ』をスタートさせ、途中中断もありましたが、本日は第51回目で、RC造り外観復元の「広島城」(広島県広島市中区基町)の「天守」をお届けします。 

 

初回は、「プロローグ」ということで「天守」についてのエピソード等をお話をし、2回目以降は、具体的に「天守(御三階櫓含む)」があるお城を、北から順次、現存・復元・復興・模擬の「天守(御三階櫓含む)」を織り交ぜて掲載してきました。

 

 

「天守(御三階櫓含む)」の構造など特徴を始め、藩主だった大名や城主、訪城しやすいようにアクセスや最寄駅等も記載しています。

 

アクセス

・JR山陽本線(山陽新幹線)「広島駅」下車、路面電車で15分乗車して「紙屋町東」電停を下車、そこから徒歩15分

又は、バスで15分乗車して「紙屋町」バス停を下車、そこから徒歩15分

 

〇RC造り外観復元「広島城 天守」

・五重五階、望楼型、当初は南と東に廊下(走櫓)で三重三階の「小天守」が繋がる連結式

屋根は「瓦葺」

は「下見板張り」、最上階は柱が見える「真壁造り」、「廻縁・高欄」付き

は「竪格子窓」(「突上げ窓」には復元されず)、最上階は東西南北の各面に2箇所づつの「華頭窓」

破風は南北面は二重目「比翼千鳥破風」、三重目「千鳥破風」、東西面は二重目「入母屋破風」、三重目「千鳥破風」、破風内に装飾を兼ねた「扠首(さす)」(屋根を支える扠首材が露出)

軒裏と軒垂木は「白漆喰総塗籠め」 

内部はRC造りで資料等展示  

天守(櫓)台は「野面積み・乱積み」

   

「広島城 天守・小天守」の歴史

・1598年頃に完成

・1945年に太平洋戦争の原子爆弾に爆風により倒壊

・1958年にRC造りで外観復元

 

城主

・1591年に「毛利輝元」が入城

・1600年に「福島正則」が49万8千石で入城

・1619年に「浅野長晟(ながあきら)」が42万6千石で入城、以降幕末維新まで「浅野家」が領有

 

RC造り外観復元「広島城 天守」(南東方向から)↓

RC造り外観復元「広島城 天守」(当初は南面で「走櫓」と「南小天守」を連結していた、南面)↓

RC造り外観復元「広島城 天守」(当初は東面も「走櫓」と「東小天守」を連結していた、東面)↓

古写真「広島城 天守」(東面の「走櫓」が残る姿、これに「東小天守」を連結していた、東面)↓

RC造り外観復元「広島城 天守」(北東方向から)↓

RC造り外観復元「広島城 天守」(二重目の「入母屋屋根」が良く分かる、北面)↓

RC造り外観復元「広島城 天守」(西面)↓

RC造り外観復元「広島城 天守」(三重~五重の望楼部分)↓

RC造り外観復元「広島城 天守」(最上階の「真壁造り」の壁面、「華頭窓」、「廻縁・高欄」)↓

RC造り外観復元「広島城 天守」(破風内の「扠首(さす)材」が露出)↓

RC造り外観復元「広島城 天守」(最上階の中)↓

RC造り外観復元「広島城 天守」(各階の階段回り)↓

RC造り外観復元「広島城 天守」(コンクリート造りは否めない)↓

RC造り外観復元「広島城 天守」(最上階の「廻縁・高欄」と「華頭窓」)↓

RC造り外観復元「広島城 天守」台(野面積み・乱積み)↓

「広島城 南小天守」台↓

「広島城 南小天守」台(「天守」より見下ろす)↓

「広島城 東小天守」台↓

「広島城 東小天守」台(「天守」より見下ろす)↓

 

 

 

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