2023年7月7日から『北から南へ「天守」シリーズ』をスタートさせ、初回の「プロローグ」では「天守」についてのエピソード等をお話をしました。
そして2回目以降は、具体的に「天守(御三階櫓含む)」があるお城を、北から順次、現存・復元・復興・模擬の「天守(御三階櫓含む)」を織り交ぜて掲載し、「天守(御三階櫓含む)」の構造など特徴を始め、藩主だった大名や城主、訪城しやすいようにアクセスや最寄駅等も記載しています。
本日は、RC造り復興「尼崎城」(兵庫県尼崎市北城内)の「天守」をお届けします。
・阪神本線「尼崎駅」から徒歩約6分
〇RC造り復興「尼崎城 天守」
・四重四階、層塔型、複合式(東と南に多門櫓が付随)
・屋根は「瓦葺」
・壁は「白漆喰総塗籠め」
・窓は「竪格子窓」
・破風は二重目の東西南北に「軒唐破風」、三重目の東西南北に「切妻破風」、四重目の東西には「軒唐破風」
・軒裏と軒垂木は「白漆喰総塗籠め」
・内部はコンクリート造りで歴史資料館
・天守台は「打込接・布積み」
〇「尼崎城 天守」の歴史
・1618年頃に「戸田氏鉄」が「四重四階」の「天守」を建造
・1873年に廃城で「天守」は取り壊す
・2018年に地元資産家「安保氏」による寄贈によってRC造り復興「天守」を建造
※元の「天守」の場所は学校などの施設が建つので、「西三の丸」跡に建造
※「分間(ぶんけん)城図付絵図」等を基に外観をRC造り復興する
〇城主
・1526年に「細川高国」が「尼崎古城」を築城して入城
・1558年に「三好長慶」が「尼崎古城」に入城
・1617~18年に「戸田氏鉄」が5万石で「新城」を築城して入城
・1635年に「青山幸成」が5万石で入城→5万4千石→4万8千石
・1711年に「松平(桜井)忠喬」が4万8千石で入城、以降「松平(桜井)家」が幕末維新まで統治(途中、4万石→4万5千石)
RC造り復興「尼崎城 天守」(手前南側と東側に二重多門が付随)↓
RC造り復興「尼崎城 天守」(手前南側と東側に二重多門が付随)↓
RC造り復興「尼崎城 天守」(破風が綺麗に並ぶ、二重目から上へ軒唐破風、切妻破風、軒唐破風)↓
RC造り復興「尼崎城 天守」(南側と東側に二重多門が付随)↓
RC造り復興「尼崎城 天守」(南東隅を下から見上げる)↓
RC造り復興「尼崎城 天守」(北東方向から)↓
RC造り復興「尼崎城 天守」(北面)↓
RC造り復興「尼崎城 天守」(北西方向から)↓
RC造り復興「尼崎城 天守」(北西隅)↓
RC造り復興「尼崎城 天守」(「打込接・乱積み」の「天守台」と南多門、西方向から)↓
RC造り復興「尼崎城 天守」(南西方向から)↓
RC造り復興「尼崎城 天守」(切妻破風と軒唐破風の丸瓦等に「戸田家」家紋「九曜紋」が付く)↓
RC造り復興「尼崎城 天守」に付随の「二重多門」と入口(東方向から)↓
RC造り復興「尼崎城 天守」から「鯱」を見る↓
RC造り復興「尼崎城 天守」の最上階からの遠望(阪神「尼崎駅」)↓
RC造り復興「尼崎城 天守」(最上階)↓
RC造り復興「尼崎城 天守」(最上階)↓
RC造り復興「尼崎城 天守」(各階のイベント場)↓
RC造り復興「尼崎城 天守」(各階の資料展示)↓
RC造り復興「尼崎城 天守」(徳川家康像)↓
「分間(ぶんけん)城図付絵図」(この外観が再現された)↓
「分間(ぶんけん)城図付絵図」(この外観が再現された)↓
「ポチ」をどうぞよろしくお願いいたします。
「フォロー」の方もどうかよろしくお願いいたします。
もしよろしければこちらにも「ポチ」をお願いいたします。