2023年7月7日から『北から南へ「天守」シリーズ』をスタートさせ、初回の「プロローグ」では「天守」についてのエピソード等をお話をしました。

 

 

そして2回目以降は、具体的に「天守(御三階櫓含む)」があるお城を、北から順次、現存・復元・復興・模擬の「天守(御三階櫓含む)」を織り交ぜて掲載し、「天守(御三階櫓含む)」の構造など特徴を始め、藩主だった大名や城主、訪城しやすいようにアクセスや最寄駅等も記載しています。

 

本日は、RC造り復興「福知山」(京都府福知山市内記)の「天守」をお届けします。

 

・JR福知山線、JR山陰本線「福知山駅」から徒歩約15分

 

RC造り復興「福知山城 天守」

・三重四階(地階天守台に入口)、望楼型、複合式(「小天守」が付随、当初は「渡櫓」で「菱櫓」が連結)

屋根は「瓦葺」

は一階と二階は「下見板張り」、三階以上は「真壁造り」、西側一階と二階が「張出し」、東側一階と二階は西側よりも大きめの「張出し」、最上階北側にだけ「手摺縁」が付く

は一階と二階は「付上げ窓」で上階は「格子窓」

破風は二重目の東西に「大入母屋破風」、三重目南面中段に「切妻破風」

軒裏と軒垂木は「白漆喰」      

内部はコンクリート造りで郷土資料館

天守台は多数の「転用石」を使用した「野面積み・乱積み」

※近年「古写真」が見つかり、「天守」の外観が現在のモノとほぼ同じであることが分かった。

 

RC造り復興「福知山城 小天守」

「福知山城 天守」

・1579年に「横山城」を改築して「天守」建造

・1873年の廃城となり取り壊し

・1986年に復興再建

 

城主

・1579年に「明智光秀」が築城して「藤木権兵衛」→「明智秀満」が城代

・1582年に「豊臣秀勝」が入城

・1600年に「有馬豊氏」が6万石で入城→8万石

・1621年に「岡部長盛」が5万石で入城

・1624年に「稲葉紀通」が4万5千石で入城、悪政により幕府が討伐する前に自殺し取り潰し

・1649年に「松平(深溝)忠房」が4万5千石で入城

・1669年に「朽木稙昌」が3万2千石で入城、以降「朽木氏」が幕末維新まで統治

 

RC造り復興「福知山城 天守・小天守」(「伯耆丸」跡から望む、西側から)↓

RC造り復興「福知山城 天守・小天守」(「本丸」跡から、西側の「張出し」)↓

RC造り復興「福知山城 天守」(「本丸」跡西側から、西側「張出し」と三重目南面中段の「切妻破風」が見える)↓

RC造り復興「福知山城 天守」(東側の「張出し」、「本丸」跡東南隅から見上げる)↓

RC造り復興「福知山城 天守」(東側の「張出し」と「大入母屋破風」、「本丸」跡東側)↓

RC造り復興「福知山城 天守・小天守」(東側の「張出し」、「本丸」跡東南隅から見上げる)↓

RC造り復興「福知山城 天守」の望楼部分(最上階北側にだけ「手摺縁」が付く)↓

RC造り復興「福知山城 小天守」(二重目は望楼になっている、「本丸」跡東側)↓

RC造り復興「福知山城 小天守」(北方向の下から見上げる)↓

RC造り復興「福知山城 天守」(珍しい形をしているのが良く分かる、南方向JR車内から)↓

RC造り復興「福知山城 天守」を支える「天守台」(「転用石」が多用された「野面積み・乱積み」)↓

RC造り復興「福知山城 天守」を支える「天守台」(「転用石」が多用された「野面積み・乱積み」)↓

 

 

 

 

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