2023年7月7日から『北から南へ「天守」シリーズ』をスタートさせ、初回の「プロローグ」では「天守」についてのエピソード等をお話をしました。
そして2回目以降は、具体的に「天守(御三階櫓含む)」があるお城を、北から順次、現存・復元・復興・模擬の「天守(御三階櫓含む)」を織り交ぜて掲載し、「天守(御三階櫓含む)」の構造など特徴を始め、藩主だった大名や城主、訪城しやすいようにアクセスや最寄駅等も記載しています。
本日は、RC造り模擬「田原城」(愛知県田原市田原町)の天守代用「二の丸隅櫓」をお届けします。
〇アクセス
・「名鉄名古屋駅」から名鉄本線特急で「豊橋駅」まで約50分、「新豊橋駅」から豊橋鉄道渥美線に乗換え35分乗車して「三河田原駅」へ、下車後徒歩15分
〇RC造り模擬「天守代用二の丸隅櫓」
・二重二階、望楼型(古写真では層塔型)、独立式
・屋根は「瓦葺」
・壁は「白漆喰総塗籠め」(古写真では「下見板張り」)
・破風は一重目が「入母屋破風」で一階に「唐破風」の庇(古写真では「唐破風又は千鳥破風」付きの出窓)
・軒裏と軒垂木は「白漆喰総塗籠め」
・内部はコンクリート造り、資料展示
・天守台は「野面積み・乱積み」
〇「天守代用二の丸隅櫓」の歴史
・1644年の「正保城絵図」には「二の丸隅櫓」の記載なし
・1765年の「田原城補修絵図」で「二の丸隅櫓」が確認
※上記の間に建造されたようだ。
・1872年に取り壊し
・1958年に再建
〇城主
・1480年に「戸田宗光」が築城
・1547年頃に「今川氏」家臣の「天野景貫」らが城代
・1566年までに「徳川家康」の支配下の城
・1590年に「池田輝政」の重臣「伊木忠次」が城代
・1601年に「戸田尊次」が1万石で入城
・1664年に「三宅康勝」が1万2千石で入城、以降「三宅氏」が幕末維新まで統治
RC造り模擬「田原城 天守代用二の丸隅櫓」(左は「桜門」、「二の丸」東側から)↓
RC造り模擬「田原城 天守代用二の丸隅櫓」(「二の丸」東側から)↓
RC造り模擬「田原城 天守代用二の丸隅櫓」(「入母屋破風」が見える、「桜門」側から)↓
RC造り模擬「田原城 天守代用二の丸隅櫓」(「唐破風」の庇)↓
RC造り模擬「田原城 天守代用二の丸隅櫓」(「二の丸」西側から)↓
古写真「天守代用二の丸隅櫓」(層塔型、下見板張り、唐破風か千鳥破風の出窓付き)↓
古写真に基づき作られた「天守代用二の丸隅櫓」の模型↓
「ポチ」をどうぞよろしくお願いいたします。
「フォロー」の方もどうかよろしくお願いいたします。
もしよろしければこちらにも「ポチ」をお願いいたします。