2023年7月7日から『北から南へ「天守」シリーズ』をスタートさせ、初回の「プロローグ」では「天守」についてのエピソード等をお話をしました。

 

 

そして2回目以降は、具体的に「天守(御三階櫓含む)」があるお城を、北から順次、現存・復元・復興・模擬の「天守(御三階櫓含む)」を織り交ぜて掲載し、「天守(御三階櫓含む)」の構造など特徴を始め、藩主だった大名や城主、訪城しやすいようにアクセスや最寄駅等も記載しています。

 

本日は、重要文化財「丸岡城」(福井県坂井市丸岡町-日本100名城)をお届けします。

 

アクセス

・JR北陸本線「福井駅」西口より京福バス丸岡線の丸岡城行に乗車し約60分で「丸岡城」で下車

・JR北陸本線「芦原温泉駅」から京福バス芦原丸岡永平寺線・芦原丸岡線に乗車し約20分で「丸岡城」で下車

 

現存重要文化財「天守

・二重三階、望楼型、独立式

屋根は「石瓦葺」(「笏谷石」を使用)、現在の鯱は「木芯銅張」(「石製鯱」は階段下に保存)

は「下見板張り」の下に「腰屋根」を設け雨水侵入を防止、窓は「出格子窓」(下が石落とし)と「付上げ窓」、最上階の「廻縁」は装飾化(外へ出られない)

破風は一重目に「入母屋破風」、南北面に「切妻破風」の出窓付き 

軒裏と軒垂木は「素木(しらき)造り」

内部は一階が「身舎」「武者走り」区別無しで「出格子」から採光、二階は「入母屋屋根」の裏側で採光窓あり、三階は窓4箇所あるが出られない、三階天井は「小屋組み」

天守台は「野面積み・乱積み」

  

「天守」の歴史

・1613年に創建(1576年築との説もある)

・1871年払い下げ

・1910年に購入者の維持管理費負担増により町に寄付

・1941~43年に解体修理

・1948年の福井地震で倒壊大破

・1966年に倒壊材を使用して復元完成

 

城主

・1576年に「柴田勝豊」が築城

・1582年に「勝豊」が「長浜城」へ移り「安井家清」が城代に

・1583年に「丹羽長秀」の家臣「青山宗勝」が城主

・1585年に「宗勝」は「秀吉」の家臣になり引続き城主

・1600年に「結城秀康」が越前入りして「今村盛次」が2万6千石で城主に

・1613年に福井藩付家老「本多成重」が4万3千石で入城

・1624年に「成重」は福井藩から独立して丸岡藩が成立

・1695年に「有馬清純」が5万石で入城、以降「有馬家」は「外様」から「譜代大名」となり幕末維新まで統治

 

重文「丸岡城天守」(南東方向から)↓

重文「丸岡城天守」(南東方向から)↓

重文「丸岡城天守」(入母屋屋根が良く見える、西方向から)↓

重文「丸岡城天守」(「出格子窓」と「狭間」が見える、その上には「切妻破風出窓」、東方向から)↓

重文「丸岡城天守」(「出格子窓」と「狭間」が見える、その上には「切妻破風出窓」、西方向から)↓

重文「丸岡城天守」(装飾用の「廻縁」が見える、南方向から)↓

重文「丸岡城天守」の「出格子窓」(下は「石落とし」)↓

重文「丸岡城天守」(「狭間」と「付上げ窓」と「出格子窓」)↓

重文「丸岡城天守」(雨水漏水防止の「腰屋根」)↓

重文「丸岡城天守」最上階の飾り用の「廻縁」↓

重文「丸岡城天守」(笏谷石の「石瓦葺」)↓

重文「丸岡城天守」の石の鯱↓

 

重文「丸岡城天守」一階の「入側(武者走り)」↓

重文「丸岡城天守」一階(「格子窓」内側)↓

重文「丸岡城天守」(天守1階の身舎、4室)

重文「丸岡城天守」二階の「身舎と階段」↓

重文「丸岡城天守」二階の「切妻窓の出窓」↓

重文「丸岡城天守」二階の「天井」↓

重文「丸岡城天守」三階の部屋↓

重文「丸岡城天守」三階の部屋↓

重文「丸岡城天守」三階天井は「小屋組み」↓

重文「丸岡城天守」の急な階段↓

重文「丸岡城天守」三階窓からの遠望↓

重文「丸岡城天守」の「天守台」(野面積み・乱積み)

古写真 福井地震で倒壊した「丸岡城天守」(館内に掲出)↓

 

 

 

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