2023年7月7日から『北から南へ「天守」シリーズ』をスタートさせ、初回の「プロローグ」では「天守」についてのエピソード等をお話をしました。
そして2回目以降は、具体的に「天守(御三階櫓含む)」があるお城を、北から順次、現存・復元・復興・模擬の「天守(御三階櫓含む)」を織り交ぜて掲載し、「天守(御三階櫓含む)」の構造など特徴を始め、藩主だった大名や城主、訪城しやすいようにアクセスや最寄駅等も記載しています。
本日は、「小田原城」(神奈川県小田原市-日本100名城)をお届けします。
〇アクセス
・JR東海道本線/東海道新幹線/小田急小田原線の「小田原駅」から徒歩約10分
〇RC造り外観ほぼ復元「天守」
・三重四階(一重目が二階建て)、層塔型、複合式天守(付櫓)
・屋根は「瓦葺」
・壁は「白漆喰総塗籠め」に「竪格子窓」が付き上下に「長押(なげし)」、最上階には「廻縁・高欄」
・破風は一重目の東側に「入母屋屋根で二階建ての出窓」、北側一重目に「切妻屋根の出窓」(いずれも下に「石落とし」)、二重目東西に「比翼千鳥破風」、二重目南北と三重目東西に「軒唐破風」
・軒裏と軒垂木も「白漆喰総塗籠め」
・内部は、県立中央博物館大多喜城分館として使用
・天守台は「打込接・布積み」
〇「天守」の歴史
・慶長年間(1596~1615年)には望楼型天守が存在
・寛永年間前後に層塔型天守へ再建
・1703年地震で倒壊
・1706年に再建
・1870年に廃城で取り壊し
・1960年に「天守雛形(模型)」と解体中の写真を元にRC造りで外観復元
・2021年に天守最上階に「摩利支天像等7体」の安置空間があることが解り再現
〇藩主(城主)
・1418年に「大森頼春」が築城
・1496年に「北条早雲」が入城し以降「北条家」5代が城主
・1590年に「徳川家康」の重心「大久保忠世」が4万5千国で入城(→後に6万5千石)
・1614年に「大久保忠隣」所領没収
・1619年に「阿部正次」が5万石で入城
・1632年に「稲葉正勝」が8万5千石で入城(→後に10万2千石)
・1686年に「大久保忠朝」が10万3千石で入城、以降(→11万3千石→7万5千石)幕末維新まで統治
RC造り外観ほぼ復元「天守」(手前は「付櫓」、東南方向から)
RC造り外観ほぼ復元「天守」(手前は「付櫓」、南方向から)
RC造り外観ほぼ復元「天守」(手前は「付櫓」、南面下から)
RC造り外観ほぼ復元「天守」(左は「付櫓」、東方向から)
RC造り外観ほぼ復元「天守」(一重目は二階建て、東面)
RC造り外観ほぼ復元「天守」(一重目から「入母屋屋根の出窓」、二重目は「比翼千鳥破風」、三重目は「軒唐破風」)
RC造り外観ほぼ復元「天守」(一重目の巨大な「入母屋屋根の出窓」、下は「石落とし」)
RC造り外観ほぼ復元「天守」(左は「付櫓」、二段の天守台、東面)
RC造り外観ほぼ復元「天守」(内部)
RC造り外観ほぼ復元「天守」(内部に展示の「鯱」)
「天守雛形」の調査結果について
RC造り外観ほぼ復元「天守」(最上階に再現された「摩利支天像の安置空間」)
RC造り外観ほぼ復元「天守」(最上階に再現された「摩利支天像の安置空間」)
古写真「明治時代初期の解体時の写真、館内に掲出の写真」
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