先日(4/30)、「龍野城」「龍野古城」「姫路城」を訪城してきました。

 

前回までのブログでは「龍野城」と「龍野古城」をご紹介しました。JR「本竜野駅」から「姫路駅」まで乗車して、ランチを「姫路駅」の専門店ビル内で取ってから14時にお城巡りの再開です。

 

「姫路駅」からお城までの大手道には、外人を含めた多くの観光客が歩いていたので、「天守」入城には待ち時間があるかもと話しながら「大手門」まで行きました。

 

やはり「姫路城」(兵庫県姫路市)と言えば美しい「天守群」に視線が注がれるので、今回も綺麗に見えるポジションからの写真を投稿していきます。

 

更に、今回は、今までブログでは掲載してこなかった「姫路城」のマニアックな見所を中心に紹介していきたいと思います。同伴の「城友」から今回教わったモノも含めてお届けしたいと思います。

 

「姫路駅」構内から見える大手道真正面の「天守群」は、やはり「姫路」の街の顔であることを印象付けます。

 

「JR姫路駅」構内から大手道突き当りに建つ「天守群」

 

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「内堀」を橋で渡った所に建つ復興「大手門」越しには「天守群」が見え、この姿は「JR姫路駅」から見た姿と同じですが、「大手門」を潜って「三の丸」跡広場からは、右から並ぶ「チの櫓」「リの一櫓」「リの二櫓」が「天守群」を盛り立ててくれます。

 

復興「大手門」越しの「天守群」

「天守群」を盛り立てる「チの櫓」「リの一櫓」「リの二櫓」(右から)

 

マニアックな所では、高麗門の「大手門」手前の「内堀」に水を流す「排水溝」が、また門の左端の石には「斧(おの)」の形をした刻印石が見られます。

 

「三の丸」跡から口を開く「排水溝」

「大手門」脇の石垣最上段に「斧」の形をした刻印

 

「大手門」に入るまでには、まだまだ「三の丸」石垣の南面に面白いものがありますよ!

 

まず手前から、「三の丸石垣の積み増し」「三の丸石垣の車軸積み」そして「三の丸石垣の継ぎ足し」の三連発があります。

 

「三の丸石垣の積み増し」

「三の丸石垣の車軸積み」(「落し積み」の一種で、この部分が補修されたものと思われます)

「三の丸石垣の継ぎ足し」

 

危惧していた入城制限は無く、スムーズに入ることができました。私達、「好古園」も入城できる共通券(1,050円)を購入して入場しました。

 

入って直ぐに重文「菱の門」がありますが、その横から望む「天守群」は、「菱の門」に遠慮したように佇みます。

 

「菱の門」と「天守群」

 

「菱の門」を潜ると目の前には「三国濠」が水一杯貯めています。そこから見える「天守群」は、少し見上げるようですが、「乾小天守」「西小天守」も良く見えます。

 

「三国濠」前からの「天守群」

 

 

 

 

 

この「三国濠」周辺にもマニアックな見所が幾つかありますよ。

 

まず「濠」の北石垣を見ると筋が付いているのが分りますが、これは、この「三国濠」の奥にも「濠」があったのを石垣で埋めた痕跡だとのことです。

 

「三国濠」の北石垣に残る筋は「濠」を埋めた痕

 

また、「土塀」に石垣が喰い込んだ形に見えますが、ここも何らかの補修痕だと思います。更に、「三国濠」の南西壁には受け口が付いた「(水桶)排水溝」が見られます。

 

「三国濠」周囲の「土塀」に石垣が喰い込んでいる箇所

「三国濠」の南西壁には受け口が付いた「(水桶)排水溝」

 

「三国濠」からコースとしては「西の丸」跡へ上がります。この左途中にある「武者隠し」は説明書きもあって分かり易いです。

 

「西の丸」入口の「武者隠し」

 

「西の丸」には、「カの櫓」「ワの櫓」そして「西の丸百間廊下」があります。それに入る前に多くのお客さんが写真を撮っているビューポイントがこちらです。

 

「西の丸」跡ビューポイントからの「天守群」

 

「西の丸百間廊下」は「ワの櫓」から入城して、最後に「化粧櫓」で終わります。

 

現在「化粧櫓」内の見学をさせてくれますが200円の入城料が必要です。中を見たことが無かったので入りましたが、「千姫」とその旦那の「本多忠刻」の複製衣装が展示されているだけで、建物の内装の詳細については触れられず、更に奥のもう一室は襖が閉められていて見れませんでした。

 

「化粧櫓」内部(数寄屋風)

「化粧櫓」

「化粧櫓」南側の「武者隠し」

「化粧櫓」横から見た「天守群」

 

 

「西の丸百間廊下」の「カの渡櫓」下の石垣の石に、「奈良村」と刻まれた刻印石があります。姫路周囲には「奈良村」という村が存在しないので、この刻印の意味がわかっていないそうです。

 

「奈良村」と刻まれた「刻印石」

 

「西の丸」跡の東側にも「土塀」が続きますが、その土塀下には、瓦を並べた水路が造られていて、水が溜まらない工夫が施されています。

 

「土塀」下には瓦を並べた工夫

 

「西の丸」跡からもう一度「三国濠」まで下りていよいよ「天守群」に向かって多くの門を抜けながらの進軍となります。

 

高麗門形式「いの門」を抜けた所から見上げる「天守群」は、前に二段の高石垣に阻まれて全体が見えません。その高石垣にも雨水抜きの排水溝が大きな口を開けています。

 

「いの門」を抜けた所から見上げる「天守群」(高石垣が邪魔をします、排水溝の大きな口)

 

「はの門」までの土塀沿いの坂道は、少し前まではコロナ禍で来城客数も少なく簡単に写真が撮れましたが、今回は人で一杯でした。「はの門」の門柱下には「転用石」が礎石として使用されています。

 

「はの門」の門柱下には「転用石」の礎石

 

「はの門」を潜り、右手方向に進むと真前には「西小天守」と「乾小天守」が「大天守」前に立ちはだかるように見えます。そして、左手の石垣と上の「土塀」は「にの門・ロの櫓」に通じる通路の防御箇所ですが、石垣の中ほどを凹ませた「平ノスキ」が見られ、圧を両脇に分散しています。

 

「はの門」を上がった所から見上げた「天守群」

「平ノスキ」が見られる

 

埋門「ほの門」を抜けると正面には北側を守る「渡櫓群」と「櫓」が並びますが、現在は通行止めで、手前の「ロの渡櫓」内にある「井戸」だけが見られます。

 

従って「天守群」入城には「水一の門」から「水二の門」~「水六の門」を経て「西小天守」の地階経由で「大天守」に入ります。その途中、あまり人目に触れない所で、「水三の門」手前の右石垣に五輪塔か墓石の基部を使用した「転用石」が見られます。

 

「水三の門」手前の右石垣の「転用石」

 

この後「天守群」の中に入りましたが、今回のブログでは館内は割愛して、そのまま「備前丸」跡へ進みます。

 

「備前丸」跡から見上げる「天守群」はやはり圧倒的な圧を感じるポジションです。真前から見るのも良し、斜め下から見上げるのも良し、です。

 

「圧」を感じる「大天守」正面(「備前丸」から)

「西小天守」と「大天守」(「備前丸」から)

「西小天守」と「大天守」を「備前丸」から斜めに見上げる

 

「備前丸」跡から「備前門」を抜けるとその両脇には「石棺」を利用した「転用石」が見られます。また、出た所から南に構える「太鼓櫓・りの門」までの通路右の石垣にも「転用石」が貼り付きます。更に同じ石垣の壁の「りの門」手前にも「刻印石」があります。

 

「備前門」両脇に「石棺」

「太鼓櫓・りの門」までの通路右の石垣にも「転用石」

「リの門」手前の石垣に「刻印石」

「ぬの門」手前から「備前丸」跡石垣越しの「天守群」

 

「ぬの門」を抜けた所にある高石垣には「人の顔」の様な石配置になった所があると「城友」に言われましたが、全く判りませんでした。言われてみると「人の顔」に見えてきます。皆さんもジ~と見つめてください。

 

眉毛の横石、目の丸石、鼻は縦長石、口は楕円形の横石です。

 

最後に、埋門「るの門」には、マニアックな素材が詰まっています。

 

まず、門両脇に積まれた「石棺」、石段に刻まれた「刻印」、そしてそれを抜けると左手の石垣の積み方が上下異なる「継ぎ足し」が見られます。この「継ぎ足し」は、左は「池田輝政時代」のモノ、右は「羽柴秀吉」時代のモノだそうです。

 

埋門「るの門」

「るの門」の石棺

「るの門」に下りる石段には「刻印」

「るの門」に下りる石段には「刻印」

「継ぎ足し」(左は「池田輝政時代」のモノ、右は「羽柴秀吉」時代のモノ)

 

以上、今回は「天守群」を各場所から見るとともに、城内にあるマニアックな箇所をテーマにお届けしました。マニアックな箇所は、私は「城友」にかなり教えて貰いましたが、まだまだ探せば発掘できると思いますので、皆さんも探してみては如何でしょうか。

 

 

 

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