すでに「速報」でお届けしていますように、8/2(火)~4(木)の二泊三日で、「夏好例のお城巡り一人旅」に出かけました。

 

6城目は「白河小峰城」(福島県白河市)の「後編」です。

 

今回は、木造復元された「御三階櫓」の外壁についてと内部からお届けします。

 

「付櫓」のような「張出玄関」から靴を脱いで入ります。木造復元されて31年経過しますが、木の光沢は失せることなく暖かみを提供してくれます。やはり木の壁面はいいものです。

 

復元「御三階櫓」(西面、手前の「張出玄関」から入館)

 

復元にあたっては、発掘調査は勿論の事、1808年に当時の藩主「松平定信」が命じて作成させた「三重御櫓建絵図」の立面絵図も参考にしながら実行に移されました。

 

「三重御櫓建絵図」(城内に掲出分)

 

「御三階櫓」は三重三階で、外観特徴は「下見板張り」で、1階南側、1階北側、2階東側に切妻屋根の「張出し」があり、下には「石落とし」を装備しています。

 

復元「御三階櫓」の2階東側に切妻屋根の「張出」

復元「御三階櫓」の1階北側に切妻屋根の「張出」、下は「石落とし」

復元「御三階櫓」の1階南側に切妻屋根の「張出」

 

1階の周囲は「入側(武者走り)」で「身舎(もや)」の中央に「階段」があります。

 

1階の周囲は「入側(武者走り)」

1階「身舎(もや)」中央に急な階段

 

壁面には、「矢狭間・鉄砲狭間」「石落とし」が装備されている一方で、「竪格子」窓の内側は「障子」が嵌められ、壁の上部は白壁になっているので居住性を感じさせられます。また、四隅の天井には「火打梁」の耐震構造が見られます。

 

1階「張出」部分の「鉄砲狭間」と「石落とし」

1階「張出」部分の「矢狭間」と「鉄砲狭間」、その上の窓には「障子」が嵌る

壁は白壁、各階隅部には耐震構造として「火打梁」

 

2階も同様で、梁の「手斧(ちょうな)」の跡が綺麗です。

 

「手斧仕上げ」の梁

 

最上階3階の天井は天井板の無い「小屋組み」になっていて1階、2階と内装は変わりません。

 

小屋組みの天井

 

「御三階櫓」を下りて「清水門」跡まで戻り、これから自転車で堀周囲をサイクリングです。

 

櫓と門の位置絵図(左が北、城内で掲出)

 

その前に「二の丸」跡にある「小峰城歴史館」東側の窪んだ所が「堀」の跡地で古地図で確認できました。

 

「二の丸」跡に残る「堀」跡

 

また北側には、「大手門」の礎石が展示されています。ここも「松平定信」の命による「大手御櫓建絵図」が残されていて、凄く立派な櫓門が建っていたことが分かります。

 

「大手門」の礎石展示

「大手御櫓建絵図」(城内にて掲出)

 

「大手門」は、「外郭」南側に位置していて城内へのメイン入口でしたが、現在は街中になっていて全く遺構はありません。近くには「外堀の土塁・石垣」跡が民家内に現存しています。

 

現在の「大手門」跡付近(なんの遺構もありません)

「大手門」跡近くの民家に残る「外堀の土塁・石垣」跡

 

話が飛びましたが、「小峰城歴史館」の西側にあった「会津門」跡から「西水堀」を眺め、北へ自転車を漕ぎます。北西隅に差し掛かった所からお城を見ると「帯曲輪」跡と「本丸」跡の二段石垣が望めます。

 

「会津門」跡

「会津門」跡から望む「西水堀」

「帯曲輪」跡と「本丸」跡の二段石垣

 

続いて「北水堀」沿いに進んでいくと「御三階櫓」の北面が見られます。1階の「張出し」が良く目立ち、南面からとはまた違った趣のある姿です。

 

「北水堀」(東方向)

復元「御三階櫓」(北面)

復元「御三階櫓」(北面、2階東と1階北の「張出」が見える)

 

「帯曲輪」跡の北側の石垣が見事にズラリと繋がっています。学生たちが「水堀」に糸を垂ら釣りを楽しんでいる「堀」と「堀」の間の「土橋」のような所を入っていくと、「搦手門(尾廻門)」の石垣が桝形になって残っています。

 

「搦手門(尾廻門)」跡

 

そこから、南に自転車を進めていくと、多分城域であり今後発掘調査を行う予定地でしょうか、ロープで囲った広大な敷地が続き、その奥にはなんと、以前は目にしなかった石垣の壁が延々と続いていているのを目にしました。林だった木々を伐採したことによって見える化した石垣群ではないでしょうか。帰って、絵図と照らし合いながらどの箇所か探すも「三の丸」跡の石垣なのかどうかが良く分からずです。

 

木々が伐採されて現れた石垣群

お城の東側の石垣の壁面が続く(手前は立入禁止区域)

石垣群の途中にあるのは櫓台か?

一番東端にも「櫓台」が

 

「北小路門」跡辺りでしょうか、移築された「太鼓櫓」が建つ所へ向かいました。これは「二の丸」南端にあった「太鼓門」西側に建っていた櫓でした。民間払い下げ後当初は紅葉土手にありましたが1930年に現在地に移築されたそうです。前回訪れた時は、民家の中に建っていたようでしたが、現在は区画がされてかなり手を施されて綺麗になっていました。

 

移築現存の「太鼓櫓」

紅葉土手時代の「太鼓櫓」(現地にて掲出)

 

これで一応主郭部分を1周してきましたので、「城郭風のふれあい通り」を再び抜けて外曲輪の西側へ走ります。

 

JR「白河駅」の南側に拡がる芝生に覆われたイベント広場には、「道場門」跡の石垣と「外堀」沿いの石垣を見ることが出来ます。主郭内の跡に比べると立派な石垣ではなく、発掘調査で出てきた石垣群を並べたモノです。

 

「道場門」跡

「道場門」跡の桝形跡

「外堀」跡の石垣

 

丁度この南方向にある「関川寺(かんせんじ)」では、中世戦国時代の「関川城館」跡の「土塁」と「空堀」が見られますのでそこまで足を延ばし、そこから東側にある「戊辰戦争」関連の遺構巡りを最後にしました。

 

「関川(かんせん)城館」跡の「土塁」と「空堀」

「関川城館」跡の「土塁」

左へ折れる「鉤型道路」(途中何か所も遭遇)

 

「長寿院」の境内には、「新政府軍戦没者の墓地」が有り、新政府軍として戦い命を落とした諸藩の藩士の90基ものお墓が並びます。入口には、明治天皇が東北巡行した時に随行した「岩倉具視」「大久保利通」が奉納した灯篭が残ります。

 

「長寿院」の境内の「新政府軍戦没者の墓地」碑

「長寿院」の境内の「新政府軍戦没者の墓地」(中に「岩倉具視」「大久保利通」が奉納した灯篭)

「長寿院」の境内の「新政府軍戦没者の墓地」(灯篭には、明治9年と刻まれている)

 

その近くには、「脇本陣柳屋」があり、「戊辰戦争」時に「新選組」の「斎藤一(はじめ)隊長」らが宿泊してそこから出陣したそうで、また1881年の「明治天皇」の東北巡行時には宿泊した際の「玉座」も残されているとのことでこの界隈は歴史を感じるエリアでもありました。

 

「脇本陣柳屋」

「脇本陣柳屋の蔵座敷」

 

「白河駅」からは、宿泊地である「会津若松」へ向けて18時2分の列車で「郡山駅」へ向かいました。

 

JR東北本線「白河駅」

「白河駅ホーム」から見た「白河小峰城」

 

列車途中、白河であんなに晴れていた空がドンドン暗くなり雨が降り出してきています。35分で「郡山駅」に着き、「会津若松駅」へはJR「磐越西線」の乗継時間まで40分位あるので、さっと食べれるロッテリアでハワイアンバーグの夕食を取り、駅ホームへ降りました。

 

「郡山駅」構内

 

先程降り出した雨足が強くなりだし、出発時間の19時15分になっても列車が入線しないな~と思っていたら、構内放送で雨が強くて遅延しますとのこと。仕方なく、待合室で待機していると「磐越西線」が不通になる可能性があるとのアナウンスがあり、不通になった場合の対応を駅員に尋ねに行きました。

 

すると回答は、代替手段は各自に任せる個別対応とのこと、「会津若松」への代替手段は「高速バス」しかないとの返事でした。

 

暫く待機していましたが結局、構内アナウンスで終日不通に決定、さてどうする?

 

駅構内で宿泊するか、高速バスで会津若松へ向かうか? やはり、風呂に入ってベッドで寝たい気持ちの方が勝り、20時30分発の「会津若松駅」行の「高速バス」に乗り込みました。

 

所要時間約1時間、1,200円の持ち出しになりましたが、ホテルに連絡を入れていたので21時45分頃にチェックインできました。

 

さて、この大雨の中、翌日はどうするか? 既に「向羽黒山城」は諦めていましたので、「会津若松城」と「猪苗代城」の予定です。

 

次回のブログをお楽しみに!

 

 

 

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