すでに「速報」でお届けしていますように、8/2(火)~4(木)の二泊三日で、「夏好例のお城巡り一人旅」に出かけました。
5城目の「二本松城」(福島県二本松市)の「後編」です。
「前編」は「搦手門」まで見てきました。そこから急な山道を上がった所が「本丸」跡です。
これを上ると「本丸」跡
「本丸」跡の南側に位置する幅広い「桝形虎口」の石段を上がると突当りを右に折れ更に「東櫓台」の下を左に折れて「本丸」跡に出ます。
「本丸」跡は、1991年(平成3年)に発掘調査が行われ、1993年8月~1995年6月にかけて修築・復元工事が行われました。
「本丸跡平面図」(現地に掲出)
「本丸桝形虎口」跡
「本丸桝形虎口」跡の桝形内から「東櫓台」を見る
「東櫓台」から見下ろした「本丸桝形虎口」跡
標高345mの丘陵に聳える「天守台」を中心に「連結式天守」を想定していたようで、「西櫓台」「東櫓台」が「多門櫓」台によって繋がります。「天守台」には「天守」が築かれたという記録はないそうです。これらは、1995年に復元されています。
「天守台」(「本丸桝形虎口」を上がった所から)
「天守台」から「多門櫓台」の先に「東櫓台」
「天守台」から「多門櫓台」の先に「西櫓台」
「西櫓台」
「天守台」は広く、五重天守が建てられそうな面積ですが前述のように「天守」の記録はありません。そして「本丸」跡はそんなに広い面積は取られていませんでした。
「天守台」上
「本丸」跡(「東櫓台」前から西方向)
「天守台」の西側下には、「二本松城」落城に際して割腹自刃した城代の「丹羽和左衛門」と勘定奉行の「阿部井又之丞」両氏の「自刃の碑」が立ち、二人が落城の責任を取ったことに涙をそそります。
城代「丹羽和左衛門」と勘定奉行「阿部井又之丞」両氏の「自刃の碑」
「本丸」跡を降りて下から見上げる「東櫓台」はそそり立ち、「東櫓台」西側の隅部は「鎬積み(しのぎつみ)」になっているので広角が見られますし、南東隅部の「算木積み」は完成度が高いです。
「東櫓台」
「東櫓台」西側隅部の「鎬積み(しのぎづみ)」
「本丸」跡の東面の先には「天守台」が、これまたそそり立っていますが、この「天守」北面(⑥面)の下方からは慶長期時代の「野面積み」石垣が検出されたので、その部分を切り取って少し北側に離れた箇所で移築展示しています。
「天守台」(「東櫓台」下から)
「天守台」(北側から)
「天守」北面(⑥面)の下方から検出された慶長期時代の「野面積み」石垣の切取り展示
そこから、少し山道を下ると「土塁」と「空堀」が有り、「天守台」西直下の方へ入っていきます。そこには二段の「野面積み」石垣が横たわり、下から見上げると「天守台」とのコラボ写真で三段積みに見えます。
立派な「土塁」が残ります
「天守台」西直下の二段の「野面積み」石垣
「天守台」西直下の二段の「野面積み」石垣と「天守台」
そこから「西櫓台」の下まで上がり、「本丸」跡の周囲を一周したところで、ガスが山頂付近に垂れ込んできて一気に「天守台」が霧の中に霞んでいきます。
「西櫓台」下から「天守台」をのぞむ
「本丸」跡南西隅石垣(内部は旧石垣が残る)
ガスに覆われた「東櫓台」
「本丸」跡から東に少し下った所にある広場が、「乙森(おともり)」跡という「本丸」を補完する曲輪です。
城跡案内図(城内各所に掲出)
「乙森(おともり)」跡
また「本丸」跡の南直下には「大石垣」が斜面に貼りついていて、必ず「二本松城」では紹介される写真です。これは、「野面石」と「荒割石」の両方を用いた「野面積み」で、「会津領」の支城となった慶長期初期に「蒲生氏郷」によって召し抱えられた「穴太衆」によって積まれた当城最古の石垣です。
「本丸」跡の南直下の野面積み「大石垣」
「本丸」跡の南直下の「荒割石」による野面積み
「本丸」跡の南直下の「荒割石」による野面積み
ここから、「三の丸」跡に向けて下っていきますが、途中には日本三大井戸(※)の一つ「日陰の井戸」、「煙硝蔵」が置かれた曲輪跡、物見的な場所で物見用の掘立櫓跡や礎石を用いた防御用の塀跡が見つかっている「蔵屋敷」跡、二段になっていて掘立柱の建物が建っていたという「松森館」跡を経て「三の丸」上段まで戻ってきました。
(※)千葉県印西市の「月影の井戸」、神奈川県鎌倉市の「星影の井戸」
日本三大井戸の一つ「日陰の井戸」
「煙硝蔵」跡
「蔵屋敷」跡
「松森館」跡
「霞ケ池」の畔を通り、最後に「洗心亭」へ向かいました。
「洗心亭」は、茅葺の屋根で内部は上座敷・中座敷・下座敷を一文字で並べた「数寄屋風の茶亭」です。1837年に背後の崖崩れによって、建物は「阿武隈川」沿いの河原に移築して藩主の釣り小屋として使用されました。しかし、1907年(明治40年)に当初の場所に再移築されて現在に至っています。
「数寄屋風の茶亭」の現存「洗心亭」
「数寄屋風の茶亭」の現存「洗心亭」
「数寄屋風の茶亭」の現存「洗心亭」
「洗心亭」奥の「切岸」
雨が再び強くなり暫くの間、三度目の雨宿りをしました。
雨の勢いが少し収まったところで、「三の丸」下段跡の土塀の南側まで辿り着きました。
3度も雨宿りをしたおかげで時間的にもタイトとなったので周辺の門跡巡りは断念して、雨も少し小康状態の内に「二本松駅」へ大急ぎで向かいました。着いたら、汗と雨でグシャグシャ、リュックの中も雨が浸み込んで中のモノも湿気ていました。一番ひどかったのは、電車内で読もうと持参した文庫本のページの1/3がフニャケテしまっていました。
「二本松駅」(この写真は着いた時のモノ)
さー、当日最後「6城目」のお城は「白河小峰城」です。
「二本松駅」待合所でアイスクリームで身体を冷やし、14時2分発「白河行」普通列車に乗り込みました。「白河駅」まで1時間20分超ありますので、充分休養できると思っていましたが、「郡山駅」付近から前日に生じた両足の痙攣発作が再発しました。
座っていても痛いし、立って伸ばしても痛くて、屈みこんだり立ったりを繰り返していると、前に座っている若い女性が「大丈夫ですか?」と声掛けをしてくれました。「足がこむら返りなので大丈夫です」と返事したものの、暫くは痛みに耐えていました。
でも、若い人なのに心配してくれて非常に嬉しいでした。
多分、早朝よりかなり歩いていたことが原因ではないかと思います。ただ、「白河」に着いてレンタサイクルだけれどもペダルが漕げるのかな~との心配をしながら「白河駅」まで乗車しました。
次回ブログでは「6城目」の「白河小峰城」をお届けします。
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