高知城」(高知県高知市)の「後編」です。

 

「前編」は、「追手門」から「杉の段」「三の丸」「二の丸」「梅の段」「御台所」の各跡を廻ってきました。

 

「前編」はこちらから↓

 

「後編」は、お城の西側から、「三の丸」の北側を通り重文「天守」をはじめ数々の城郭建造物が建ち並ぶ「本丸」跡へ向かいたいと思います。

 

城内曲輪及び建造物、遺構絵図(城内に掲出分)

まず、埋め立てられた「西堀」跡を通り抜けて藩校「致道館表門」へ行きました。現在は、「高知県立武道館」の正門として利用されていますが、「袖塀」と「番所」が付随した堅固な門です。

 

藩校「致道館表門」

藩校「致道館表門」

 

すぐ近くには、当時「櫓門」であった「搦手門」跡が石垣を残しています。

 

「搦手門」跡

 

私はそこから、更にお城の外回りの道を進みました。「城内鎮座神社」跡の後ろに立て掛けるように「野面積みの石垣」が目に入り、その続きの先には「三の丸乾櫓」台の「高石垣」が聳えます。

 

「城内鎮座神社」跡後ろの「野面積みの石垣」

「三の丸乾櫓」台

「三の丸乾櫓跡」(野面積み)から北面の石垣

 

「三の丸」跡北面の石垣沿いに東へ真っすぐ進んだ所で突き当たるのが、「二の丸」跡へ上がる「綿倉門」跡への石段です。石段を上がり更に先程降りてきた「水の手門」跡から「二の丸」跡へ戻りました。

 

「二の丸」跡へ上がる「綿倉門」跡への石段

「綿倉門」跡への石段上り口の高石垣の櫓台

「綿倉門」跡

 

「二の丸」跡から「本丸」跡を繋ぐ「詰門」2階の重文「廊下橋」の入口が開館少し前で開いていたので中に入りした。

 

「廊下橋」の両脇は、「中老溜間」「家老溜間」「大御小姓」の部屋だったようで、嘗ては間仕切りがあったのでしょうか、現在は開放されています。

 

重文「詰門」2階の「廊下橋」内部

重文「詰門」2階の「廊下橋」には「狭間」もある

 

突当りの階段部分が重文「廊下橋門櫓」の1階でそこを上がると右手に「西多聞櫓」の前から「本丸」跡に出ます。

 

重文「廊下橋門櫓」の1階(「廊下橋」内から)

重文「廊下橋門櫓」の1階(「本丸」跡側から)

重文「廊下橋門櫓」(「本丸」跡側から)

重文「西多聞櫓」

重文「西多聞櫓」(「黒鉄門」側から)

 

まだ朝が早いので、東からの太陽の光が眩しくて、重文「天守」と重文「本丸御殿(懐徳館)」の写真を撮るにも光が差し込み綺麗に撮ることが出来ませんでした。

 

重文「天守」と重文「本丸御殿(懐徳館)」

重文「天守」と重文「本丸御殿(懐徳館)」

 

開館時間まで暫くありましたので、「本丸」跡内に建つ城郭建造物の写真を撮りました。全国のお城の中で、「本丸」跡にほぼ全ての城郭建造物が現存して重要文化財に指定されているのは「高知城」しかなく非常に貴重な遺構となっています。

 

重文「黒鉄(くろがね)門」(「搦手門」の役割)

重文「黒鉄(くろがね)門」(「搦手門」の役割)

 

重文「天守」は、1747年に慶長期と同じ形で再建されたモノで、今まででも触れましたが四重六階で「白漆喰総塗籠め」の望楼型「天守」で、最上階には「高欄・廻縁」を設けています。

 

重文「天守」(「本丸」跡東下から)

 

「天守」へは手前に建つ「本丸御殿」の「天守取合の間」から同じレベルで入ることができ、「本丸」内には「天守台」はありません。

 

日本で唯一完全な形で残る重文「本丸御殿(懐徳館)」は、そんなに広くはありませんが、「玄関」から「式台の間」に上がり、「九畳の間」から「四の間」「三の間」を抜けて「南入側」に進みます。

 

重文「本丸御殿」の部屋配置図(現地にて掲出分)

重文「本丸御殿」の「玄関」

重文「本丸御殿」の「式台の間」

重文「本丸御殿」の「九畳の間」

重文「本丸御殿」の「四の間」「三の間」

 

途中、「三の間」と「四の間」の間には小さな「御茶所」があり、黒潮或いは鯨の潮吹きをあしらった欄干がある「うちわけ波の欄間」を観察できます。

 

重文「本丸御殿」の「御茶所」

重文「本丸御殿」の「うちわけ波の欄間」

 

「南入側」からは、「二の間」越しに藩主(城主)が御座する「上段の間」を正面に見ることが出来ます。右から「付書院」「床の間」「違い棚」「武者隠し」が並びます。

 

重文「本丸御殿」の「南入側」

重文「本丸御殿」の「上段の間」

 

「東入側」からも、「上段の間」を覗けますし、「上段の間」の裏側は「雪隠の間」も残るので「藩主(城主)」の近さや生活感に触れることが出来ました。

 

重文「本丸御殿」の「東入側」から見た「上段の間」の「付書院」

重文「本丸御殿」の「東入側」から見た「上段の間」の「武者隠し」

重文「本丸御殿」の「北入側」奥にある「雪隠の間」

 

一方、「入側」沿いには「土塀」が囲っていて、そこには「与力窓=物見窓」や「狭間」も備わっているので、警戒感や緊迫感も併せ持つ御殿であったことが窺がえます。

 

重文「本丸御殿」の「土塀」には「狭間」「与力窓=物見窓」を施す

 

それでは、重文「天守」1階に入ります。「身舎」内は「高知城」の全体模型が展示されているので階の全体像が良くわかりませんが、周囲は「武者走り」になり室内は全て板張りです。「石落とし」や「狭間」は各所で見られます。

 

重文「本丸御殿」の「天守取合の間」から「天守」へ入る

重文「天守」1階「身舎(もや)」

重文「天守」1階「武者走り」

重文「天守」1階「武者走り」壁にある「狭間」

 

「天守」2階もほぼ同じ内装のようで、2階の梁材と桁材によって3階以上の望楼部分を支えるので柱は太い材を使用しているようです。

 

重文「天守」2階の柱は太い

重文「天守」2階の「武者走り」

 

「天守」3階も板張りで、大入母屋屋根の裏側を使用した「破風の間」があります。

 

重文「天守」3階

重文「天守」3階の「破風の間」

 

「天守」4階だけが、壁が「真壁造り」になっていて、窓下には大きな「狭間」が見られます。

 

重文「天守」4階の壁は「真壁造り」

重文「天守」4階の壁「真壁造り」に「狭間」が付く

 

「天守」5階は、全く窓も「狭間」もない部屋となり最上階への階段が付きます。

 

「天守」6階最上階は、天井は「格天井造り」で壁は「真壁造り」です。東西南北に「高欄・廻縁」への出入口が設けられ、高欄には黒漆塗りの宝珠が付きます。

 

重文「天守」5階から6階への階段

重文「天守」6階の最上階

重文「天守」6階最上階の天井は「格天井(こうてんじょう)造り」

重文「天守」6階の「高欄・廻縁」

 

暫しの間、「廻縁」からの遠望と本丸跡全景、城内を楽しみましたが、「本丸御殿」や他の「建造物」の重なり合う屋根瓦の凄さを楽しみました。また、「廊下橋門櫓」、「詰門」2階の「廊下橋」、「東多聞櫓」が羽根車のような形に見えるのも特徴的です。

 

「本丸」跡の全景

重なり合う重文「城郭建造物」の屋根(「天守」より)

重文「天守」の鬼瓦と鯱

「廊下橋門櫓」、「詰門」2階の「廊下橋」、「東多聞櫓」が羽根車のような形に見える

 

1階に下りて順路としては、展示品がある重文「東多聞櫓」、重文「廊下橋門櫓」の2階内を見学することができ、屋根部分が「小屋組み」になっているのを確認できました。

 

重文「東多聞櫓」

重文「東多聞櫓」内部

重文「廊下橋門櫓」の2階内部

重文「廊下橋門櫓」2階の小屋組み天井

 

「本丸御殿」の1階の「西廊下」からは重文「納戸蔵」に繋がっていていて一体になっています。また、その前には当時使用されていた「日時計」も残されていました。

 

重文「納戸蔵」

「日時計」

 

レンタカーを借りる時間が迫ってきましたので、急いで自転車を置いていた「追手門」前まで駆け下りました。

 

そしてただひたすら、今回見たかった「旧山内家下屋敷長屋門」までレンタサイクルで駆け抜けました。途中「朝市」を開催していて、色々

な名産品が並んでいて見たいと思う気持ちを振り捨てて向かいました。

 

「南堀」(「下屋敷」跡に建つ「高知県庁」の南側)

「旧山内家下屋敷長屋門」(1867.2.17に山内容堂と西郷隆盛が会見した場所)

「旧山内家下屋敷長屋門」

 

急ぎホテルまで帰って自転車を返し、「高知駅」へ向かいました。「高知駅」からはレンタカーで「岡豊城」へ出発です。

次回ブログは「岡豊城」からお届けします。

 

 

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