10月26日(火)より3日間、JR四国の企画切符「JR四国くるりきっぷ」を使用して四国8名城巡りをしてきました。

 

プロローグで触れましたように、訪城したお城を順番に、今回自分で設定した見所ポイントを中心に投稿していきたいと思います。

 

最終日(10/28)の初っ端は「高知城」(高知県高知市)です。

 

前日に続き7時半前に、ホテルで借りた自転車でいざ出陣です。「高知城」の見学テーマは、①~③です。

①    現存の城郭建造物を詳細に見ること

②    「本丸」「二の丸」跡等の北側の高石垣を見ること

③    「旧山内家下屋敷長屋門」を見ること

 

5分程で重文「追手門」前に到着し、ここからはウオーキングで登城します。

 

まず「高知城」の城主の歴史を簡単に触れておきます。

 

「長宗我部元親」が、この地に城を築こうとしましたが水の影響が大きくて断念し「浦戸城」を築城しました。

 

「関ヶ原の戦い」後に「浦戸城」に入城した「山内一豊(かつとよ)」は、普請奉行に築城家「百々安行」に命じて「元親」の時にできなかった水の克服をさせて築城させました。1603年に入城して「河中山(こうち山)城」と名付けました。

 

名前が「高知城」となったのは、二代「忠義」の時で、幕末・維新まで「山内家」が城主として君臨します。

 

 

さて私は、重文「追手門」越しに見える定番の写真スポットで撮影し、予習してきた「追手門」の色々な見所をチェックしていきました。

 

城内曲輪及び建造物、遺構絵図(城内に掲出分)

重文「追手門」と重文「天守」が写る定番スポット

 

まずは「追手門」の黒い部分ですが、これは下見板張りでなくて、平板張を嵌板(はめいた)として継目に横材を渡す構造の「嵌板壁仕上げ」を採用しているとのこと、またその板塀に付く銃眼には枠を組んで目立たせているとのことでしたので、良く観察しました。

 

重文「追手門」の「嵌板壁仕上げ」

板塀に付く銃眼には枠を組みこむ

 

門は「渡櫓門」で、高麗門とのセットにはなってなくて右折れで門を潜ります。「門扉」には銅板を竪格子状に張っているので少し緑がかって見えます。

 

「追手門」前の桝形と「板塀」

重文「追手門」の銅板貼り「門扉」

 

内側は石垣から大きくはみ出た懸け造り風になっているのが特徴です。また、櫓部分の妻側の壁の扉は城門としては珍しい「観音開き」になっています。

 

重文「追手門」の城内側

重文「追手門」裏側の「懸け造り」

重文「追手門」の櫓部分扉が「観音開き」

 

門を入ると左手に見えるのが「板垣退助像」で、その横から見上げた重文「天守」は上昇感があります。

 

「板垣退助像」

 

脇の石段を上がると正面には「打込接」の石垣面が見え、石垣内の水で孕みが生じないように「石樋い」が出ています。

 

「打込接」の石垣面

「石樋い」

 

長い石段を上がるとそこは「杉の段」跡で広場になっていて、右手に「山内一豊の妻像」が、左手には「三の丸」跡の石垣が出張っています。「杉の段」は、元々杉の木が覆い繁っていたらしく、そこには長崎から取り寄せた品々を保管しておく「長崎蔵」が建っていたそうです。

 

「杉の段」跡

「山内一豊の妻像」

「三の丸」跡石垣

 

更に、途中から右に折れる石段を上がった所が「鉄門」跡で二階建て「櫓門」が建っていました。桝形となっていますので左手に折れると正面に二階建ての重文「詰門」が控えています。

 

「鉄門」跡

重文「詰門」

 

詰門」は、「二の丸」南の空堀を東西に分断する役割を果たし、この西側は「梅の段」跡になります。

 

「詰門」の構造は複雑かつ多様性に富んだ門で、1階は塩蔵に使用、そして1階の出入口はずらして設置されています。

 

また、2階に上がる階段も設えていますが、2階は「二の丸」と「本丸」を繋ぐ「渡廊下」であり且つ廊下両端には「家老」「中老」「小姓」達の部屋が設けられていました。

 

重文「詰門」の2階は「廊下橋」

 

「鉄門」跡の北側に拡がる「三の丸御殿」跡の広場を一周しました。そこから見る重文「天守」の姿は均整が取れて美しいので一番好きです。

 

「三の丸」跡から見た重文「天守」

「三の丸」跡

「三の丸御殿」の見取り図

 

またここには、「長宗我部時代」の石垣が展示されています。

 

「長宗我部時代」の石垣

 

「二の丸」跡に上る前に、「天守」の足元が良く見える所まで近づいて、「高知城天守」の特徴でもある「忍び返しの鉄串」の写真を至近距離から撮りました。これでは、確実に串刺しになりますね。

 

重文「天守」北面1階の「忍び返しの鉄串」

 

「二の丸」跡への石段を上がり途中で左手に折れて上がると、目の前に拡がるのが「二の丸御殿」跡です。枝ぶりの良い松の木があちらこちらに生えていて南西隅には当時の庭園跡の「築山」と「池」が確認できます。その南側下は「梅の段」跡となります。

 

「二の丸」跡に上がった所から見る重文「天守」

「二の丸御殿」跡

「二の丸」跡に残る「築山」と「池」

「二の丸御殿」の見取り図

「梅の段」跡

 

「築山」からは、「本丸」内の天守を始め各種の城郭建造物群が一同に見える場所なのですが、現在「詰門」と「廊下橋門櫓」の西側が工事中のブルーシートが被せられているのが残念でした。

 

「詰門」の上の「廊下橋」はまだ閉まっていますので、先に周辺を探索しました。「二の丸」跡からは「水の手門」跡から降りて、「二の丸」跡北側の石垣沿いに進みます。

 

「水の手門」跡

「二の丸」跡北面の「高石垣」

 

「野面積み石垣」の「高石垣」が続きその先端には「二の丸乾櫓」台がありそこを進んだ所の開けた敷地が「梅の段」跡です。

 

「二の丸乾櫓」台

「二の丸」跡の「高石垣」

「太鼓櫓」台辺りから「本丸」跡石垣の「平ノスキ」

ここからは、「二の丸」跡と「本丸」跡を下から見上げることができるビューポイントです。「本丸」跡に建つ重文「西多聞櫓」や重文「黒鉄門」が裏から眺められます。

 

重文「西多聞櫓」(西面)

重文「黒鉄門」

 

またその周囲を守る「土塀」には、沢山の銃眼の「狭間」や「石落とし」、「覗き窓(与力窓)」更には「横矢掛り」を採用されている箇所が見られます。

 

「石落とし」と「狭間」

「横矢掛り」と「石落とし」

「与力窓=物見窓」と「狭間」 

 

その東端に建つ「鐘撞堂(かねつきどう)」は、元々は「二の丸」にその後「太鼓丸」へ移され戦後に現在の場所に移築されてもので貴重な遺構です。

 

移築現存「鐘撞堂」

 

「梅の段」跡から緩やかな坂道を下って西方向に進むと、右手に広い敷地が有りそこが「御台所屋敷」跡になります。中世の頃からこの場所を使用していた発掘物があり、一時期「長宗我部元親」も居住していたらしいです。

 

「梅の段」跡の石垣

「御台所屋敷」跡

ジンジャーの花

「御台所屋敷」跡

 

「桜山口」へ向かい「下屋敷」跡に建つ「高知県庁」の一部を見ながら東屋が3棟置かれて遊興場所として使用されていた「御桜山」跡前を通りました。

 

「下屋敷」跡に建つ「高知県庁」

「御桜山」跡

 

この時間は、多くの県庁職員が急ぎ足で県庁内に吸い込まれていきますので、優雅に見学しながら写真を撮っている私は、少し恥ずかしい想いをしました。

 

文字制限がかかりますので、「後編」は藩校「致道館表門」から始めます。

 

 

 

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