水戸城」(茨城県水戸市)の後編で、前回のブログでは「二の丸」跡までお届けしましたので、本日は「本丸」跡からのスタートです。

 

前編は↓

 

「水戸学の道」散策マップより

 

「本城橋」を渡った所が「本丸」跡で、その入口には「本丸橋詰門」が構えていました。現在はその門の「土塁」と右折れする「桝形」が残されていて、そこを抜けると「水戸第一高校」の敷地になっていますが、正面に迫る大きな「薬医門」は、「水戸城」内で現存する唯一の城郭建造物となっています。

 

「本丸」跡入口の「橋詰門」跡(桝形、「本丸」跡内から「本城橋」方向)

「薬医門」(県重文、正面)

 

この「薬医門」ですが、「佐竹家」時代のモノで、「橋詰門」跡に構えていたものが他所へ移築されていましたが、1981年に現在の場所へ再移築されました。

 

「薬医門」(県重文、横から)

 

門は、三間一戸で両脇に潜り戸を設け、屋根下の大きな「蟇股」や「化粧垂木」の先の反り増し等が特徴で、県指定有形文化財となっています。

 

「薬医門」の大きな蟇股

「薬医門」の「化粧垂木」先の反り増し

「本丸」跡周囲の「土塁」(「水戸第一高校」敷地入口付近)

「本丸」跡(西面、「二の丸」跡から)

 

「本丸」跡から更に南東に向かう国道51号線沿いに「東二の丸」跡が続いていて、その先端には「浄光寺門」が設けられていました。現在は、「水戸第一高校」のグランドになっています。

 

国道51号線沿いの「東二の丸」跡

「東二の丸」跡の先端

「東二の丸」跡は現在「水戸第一高校」のグランド

 

「二の丸」跡に沿って坂道を降りる途中に初代水戸藩主の「徳川頼房」像が立ち、木造復元された高麗門の「柵町坂下門」が建ちます。当門は、二の丸南口でこれを潜ると坂上に「柵町門」があったそうです。

 

初代水戸藩主の「徳川頼房」像

木造復元「柵町坂下門」

木造復元「柵町坂下門」(高麗門)

「柵町坂下門」の古写真(現地の解説板に掲出の写真)

 

坂道を下りきった所には、「義公生誕の地」碑と「水戸黄門神社」があります。ここは、「水戸光圀」の生誕地で4歳まで過ごした場所だそうです。

 

「水戸黄門神社」

 

その辺りから少し北側にかけて、先程入館できなかった復元「二の丸角櫓」が見上げる形で目にすることができる場所でしたので写真撮影をしました。青空に映えた真っ白な櫓は浮き上がったように見えます。

 

木造復元「二の丸角櫓」(東側に続櫓、南東方向から)

木造復元「二の丸角櫓」(東側に続櫓、南方向から)

木造復元「二の丸角櫓」(北側に続櫓、西方向から)

木造復元「二の丸角櫓」(北側に続櫓、北西方向から)

 

ここから、駅前を通過して「銀杏坂」を電動サイクルで軽く上りながら「三の丸空堀」に向けて進みました。

 

「三の丸」跡は、東半分に「弘道館」「鹿島神社」「八卦堂」が建ち並び、西半分には「県三の丸庁舎」「茨城県立図書館」「水戸警察署」等の行政施設が集まっていますが、その西側に「南堀」「中堀」「北堀」の3つの「空堀」が残っています。

 

「三の丸南堀」(北方向)と「土塁」

「三の丸中堀」(U字型、北方向)と「土塁」

「三の丸北堀」と「土塁」(北方向)

 

以前訪城した時は冬であったこともあり、空堀のU字型が綺麗に見ることが出来ましたが、今回は夏草に阻まれて底まで見れなかったのが残念でした。しかし、「空堀」に沿って連なる「土塁」の雄大さには目を見張るものがありました。

 

「三の丸」跡に建つ「県三の丸庁舎」

「三の丸」跡の西側を守る「土塁」(向こう側が「三の丸堀」)

「三の丸」跡の西側を守る「土塁」(向こう側が「三の丸堀」)

 

「三の丸」跡の東半分に位置する「弘道館」は既に閉館していましたので、「孔子門」は見ましたが「孔子廟」は屋根だけ、その他の建造物は周囲の土塀に阻まれて見えませんでした。

 

「弘道館」内の配置図(現地で掲出)

「弘道館」正面

「孔子廟」門

屋根だけ見える「孔子廟」

学生警鐘

 

しかし今回初めて「八卦堂」や「鹿島神社」を訪れることができて良かったです。

 

「八卦堂」とは、「弘道館」の建学の精神を示す「弘道館記」の碑が収められている建物で、見るからに古い建造物でしたが、帰宅してから資料で知ったのは戦災に会って1953年に復元されたものでした。木造も、70年近く経過すると木の良さが出るものだと思いました。

 

復元「八卦堂」

復元「八卦堂」

「弘道館 鹿島神社」

 

さて、列車時刻が近づいてきましたので、最後に「水戸東照宮」へ立ち寄りました。ここは、初代「徳川頼房」が父親であり神君の「家康」を祀る神社として創建したもので、地元の方は「権現(ごんげん)さん」と呼んでいるそうです。

 

太平洋戦争で焼失したことで1962年に再建されたそうで、既に、色鮮やかな唐門が閉められていて中を見ることが出来ませんでしたが、「銅灯篭」や「徳川斉昭」が作らせた日本最古の「戦車」もあるそうです。

 

「水戸東照宮」

「水戸東照宮」唐門

 

急ぎ、スタート地点の北口レンタサイクルへ電動サイクルを返却し、JR「水戸駅」へ向かいました。

 

18時発のJR「常磐線」で「友部駅」へ、そこからJR「水戸線」に乗換え「小山駅」へ向かいました。以前、「宍戸陣屋」「笠間城」に行ったときに乗った線ですので懐かしく各々駅から風景を眺め、車中では「佐倉城」「水戸城」の速報ブログを投稿しました。

 

「小山駅」には19時23分着で、ここで乗換え時間が約40分あったので、改札出た飲食街で食事を取りました。コロナ禍であるので、営業時間も20時迄とせわしい夕食でした。

 

さ~、ここから「高崎駅」までJR「両毛線」で約2時間の乗車です。読書したり、うたた寝したり、おやつを食べながら、しっかり冷房で身体が冷やされ体力が戻ってくる感じがしました。

 

JR「高崎駅」着22時04分、ホテルは駅前の「高崎アーバンホテル」で短い時間ですが一晩お世話になります。

 

本日「青春18きっぷ」の使用距離336km、更に「東京モノレール」と「東武鉄道」を含めると374kmの鉄道乗車距離でした。

 

本日は「お城巡り」及び「のり鉄」を充分に満喫できる1日となりました。

 

 

 

「ポチ」をどうぞよろしくお願いいたします。

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ
にほんブログ村

 

「フォロー」の方もどうかよろしくお願いいたします。

シロスキーのお城紀行 - にほんブログ村

 

もしよろしければこちらにも「ポチ」をお願いいたします。


お城巡りランキング

 

PVアクセスランキング にほんブログ村