お城紀行第二弾は、「水戸城」です。

 

8月3日(火)の16時前にJR「水戸駅」に到着し、滞在予定はレンタサイクルで約2時間です。

 

北口レンタサイクルの場所が判らず、人に聞いたり、スマホでグーグルナビを操作するも拉致があかず、地図をじっくり見てようやく探し当てたものの地下深く入らないといけませんでした。

 

電動サイクルでようやくスタートできたのは16時20分頃で、「大銀杏」が植わる所からのスタートとなり、当初予定のルートとは逆方向で進みました。

 

「水戸学の道」散策マップより

 

その前に、少し「水戸城」の藩主と歴史に触れておきます。

 

古くは、12世紀最後に「馬場資幹(しげもと)」が、現在の「本丸」跡に「馬場城」を築きます。しかし1426年に「佐竹家」配下であった「江戸通房」が占拠し「江戸家」が支配します。

 

「佐竹家」は、「豊臣秀吉」による「小田原平定」にいち早く反応し「秀吉」に近づいて自分の領土固めを行いますが、「江戸家」は「水戸城」の明け渡しを拒否した為に「水戸城」を攻撃して追い出します。そして、本格的な城普請を行い、現在の4つの大きな曲輪を増築します。

 

関ヶ原の戦いでは東軍に組しなかった「佐竹家」は出羽秋田へ国替えとなり、「家康」の息子「新吉」「頼宣」を経て「徳川頼房」が入城します。その後幕末・維新迄、「徳川御三家」の一角ではあるものの、本家や他の二家とは違うスタンスで存続することとなります。

 

それでは進めていきますが、「冠木門」と白壁が続く道路を北上した所が丁度左手に「弘道館」正門があり、右手には「大手橋」と「大手門」がありました。

 

「三の丸小学校」の「冠木門」

「冠木門」から「弘道館」沿いの白壁

「弘道館」正門

 

「弘道館」の見学は予定内でしたが、以前来ているし時間を費やすので今回はパスをして、「大手橋」前に進みました。橋の袂には、幕末の烈公と言われた「徳川斉昭」像が立ちます。NHK大河ドラマ「青天を衝け」で名演だった「竹中直人」さんの青筋を立てた顔が浮かびました。

 

幕末の烈公「徳川斉昭」像

 

立派な木造復元の「大手門」は今回見たい建造物の一つで、周辺の風情は以前訪れた時の面影が全くありません。

 

木造復元の「大手門」と「大手橋」

 

「大手門」は、「佐竹家」が城主だった1601年頃に建てられ、その後何度かの建て替えがあったものの明治時代まで残り、古写真の中にも納められていますが、江戸時代初期の様式を残す古風な外観であり、今回の復元でもそれが踏襲されています。

 

「大手門」の古写真(城内の説明板に掲出)

 

桁行9.5間、梁行3間というかなり大きな規模の櫓門で、柱が見える「真壁造り」で「連子窓」が付きます。また、土塁と土塁の間に建てられているので門と土塁の間には「瓦塀」が繋ぎとなっています。

 

大きな規模の「大手門」

「大手門」の門扉と門内部

桝形内から見上げる「大手門」

土塁と大手門との間に「瓦塀」

 

「大手橋」の下は、「二の丸堀」で深い「空堀」となり、現在は車道になっています。この堀沿い「二の丸」跡側には、「大手門」から新たに「土塀」が復元されその先端には木造復元された「二の丸角櫓」が建っていますがそこからは見ることが出来ません。

 

道路になっている「二の丸堀」跡

「大手門」から「二の丸角櫓」に繋がる復元「土塀」

 

そして門を潜ると、左手に折れて「二の丸」跡に入ります。

 

「大手門」桝形から「二の丸」跡方向

「水戸学びの道」から見る「大手門」と「土塁」

 

「二の丸」跡の中心道路は「水戸学びの道」として整備され、その名前に相応しく「水戸城二の丸展示館」が「大日本史編纂之地」である「彰考館」跡に建ち、そこから道の両脇には「付属小学校・幼稚園」「水戸第二中学校」「水戸第三高校」が白壁塀の中に並びます。文教地区と「二の丸」跡が一体化された素晴らしいゾーンになっていると思いました。

 

「水戸学びの道」と「白壁」

「水戸城二の丸展示館」(「大日本史編纂之地」である「彰考館」跡)

安積澹泊(たんぱく)像(助さん、格さんの「格さん」のモデルとなった人)

 

「大手門」とともに楽しみにしていた「二の丸角櫓」の開城時間が16時半ということで、既に5分過ぎていたことで近くまでも行けずに写真撮影もできず非常に残念でした。仕方なく、ここでは説明板に掲出されていた写真を掲載しておきますが、後段「二の丸」跡下から撮った写真を掲載します。

 

「二の丸角櫓」(城内の説明板に掲出写真)

 

「二の丸御殿」跡には、「水戸第三高校」が建っていますが、その敷地の南崖付近には天守代用の「御三階櫓」が戦前まで建っていました。

 

「二の丸御殿」跡に建つ「水戸第三高校」

「二の丸御殿」平面図(城内の解説板に掲出)

 

「御三階櫓」は三重五階で、一重目の内部は三階となり、その外壁の下部には海鼠壁が施されていて、地上から直に立ち上がっていました。

 

戦災で焼失してしまった「天守(代用含む)」7城の内、復元されていないのは「水戸城」のみで、特異な形をした「御三階櫓」の復元に期待したいと思います。

 

「御三階櫓(天守代用)」(城内の解説板に掲出写真)

 

「水戸第三高校」前には「水戸城跡の大シイ」が植わり、木造復元された「杉山門」が建ちます。

 

「大シイ」

 

「杉山門」は、藩主御殿のあった「二の丸」曲輪に繋がる重要な「杉山坂」から入城する「二の丸」の北口に当たり、「土塁」を設けて「桝形」になっていましたが、現在は門のみが復元されています。ただ、解説板には、規模が4間1尺だったとのこと、約7.5mもの大きさは無いので厳密な復元ではないような気がします。

 

「杉山坂」

木造復元「杉山門」

木造復元「杉山門」(高麗門)

 

「水戸学びの道」の突き当りが「本丸堀」を渡る「本城橋」となります。「本丸堀」も険しいV字の「空堀」となっていますが、現在はその底を単線のJR「水郡線」が走っています。

 

「二の丸」跡から「本城橋」と「本丸」跡方向

「本丸堀」底を走るJR「水郡線」(左側が「本丸」跡)

「本丸堀」底を走るJR「水郡線」と「本城橋」(右側が「本丸」跡)

 

本日のブログはここまでとします。次回ブログでは、「本丸」跡内からお届けします。

 

 

 

「ポチ」をどうぞよろしくお願いいたします。

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ
にほんブログ村

 

「フォロー」の方もどうかよろしくお願いいたします。

シロスキーのお城紀行 - にほんブログ村

 

もしよろしければこちらにも「ポチ」をお願いいたします。


お城巡りランキング

 

PVアクセスランキング にほんブログ村