只今、「近畿地方」以西の西日本の「櫓門」をお届けしています。「櫓門」といえば、「門」と「櫓」を兼ね備え、特に「大手」等の重要箇所を固めた最強の門でした。

 

「東日本のお城の櫓門」の総集編及び「西日本のお城の櫓門」前半はこちらからご覧ください↓

 

 

 

 

本日第67弾は、「松山城 筋金門、内門」(愛媛県松山市)の二基の「櫓門」です。「松山城」には、他に「筒井門」「太鼓門」「乾門」「艮門」を含め計6基の「櫓門」が建っていますので、3回に分けてお届けしています。

 

「松山城 櫓門」(前編-筒井門、太鼓門)

「松山城 櫓門」(中編-乾門、艮門)

 

 

松山城 筋金門、内門」(各々は、木造復元)

 

重文「大天守」の両脇に繋がる木造復元の「筋金門」(右)と「内門」(左)

 

古くは、南北朝時代に南朝方の砦が置かれ、戦国時代には「河野家」が拠点とした場所で地名は「勝山」でした。

 

関ケ原の戦いで東軍に参加して戦功をあげた「加藤嘉明」が築城を許され「松山」と名も変えました。しかし建築途中の1627年に会津への転封があり、替わって入城したのが「蒲生氏郷」の孫である「忠知(ただちか)」でしたが、急死して嗣子無く断絶しました。

 

そして1635年に「(久松)松平定行」が15万石で入封し、以降幕末・維新まで統治をします。

 

 

筋金(すじがね)門」は「天守」がある「本壇」の中にあります。三の門」を潜り、右側に「三の門南櫓」に沿って「天守曲輪」に入城する門となっています。

 

「松山城天守」は、連立式天守で「天守」を中心に、「小天守」や各種「櫓」「門」が繋がっていて「天守曲輪」を一周しますが、「筋金門」はその中に組込まれて構成されていて、「大天守」と「小天守」を繋ぐ門で、櫓部分が廊下となっています。

 

木造復元「松山城 筋金門」(門奥は「天守曲輪」、右が「大天守」で「三の門」を入った所から)

木造復元「松山城 筋金門」(左が「大天守」、右が木造復元「小天守」)

木造復元「松山城 筋金門」の門扉

 

内門」も、「天守」がある「本壇」の中にあります。こちらは、「ニの門」を抜けて「天守外曲輪」を通り「仕切門」を潜って「天守曲輪」に入城する門となります。

 

当門も、連立式天守に組込まれた門で、「大天守」と「玄関多聞」とを繋ぐ門で、櫓部分が廊下となっています。

 

いずれも1968年に、現存だった「大天守」を中心に、「天守曲輪」の城郭建造物を木造復元した時に建てられました。

 

木造復元「松山城 内門」(門奥が「天守曲輪」、左が「大天守」)

木造復元「松山城 筋金門」(左が「玄関と玄関多聞」、右が「大天守」、「小天守」から見下ろす)

木造復元「松山城 筋金門」(「天守曲輪」内から)

 

「勝山」中麓の「二の丸」跡には現在「二の丸公園」があり、「二の丸奥御殿跡流水園」や「大井戸」跡、「番所」「米蔵」「北門」等が木造復元されていますが、その南東隅には木造復元された「多聞櫓」が建ちます。

 

その入口の門は、櫓部分が「多聞櫓」となっていますので「櫓門」のように見えますので、ここで紹介をしておきます。

 

木造復元「松山城 二の丸多聞櫓門」

木造復元「松山城 二の丸多聞櫓門」(「二の丸」跡内から)

 

 

 

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