只今、「近畿地方」以西の西日本の「櫓門」をお届けしています。「櫓門」といえば、「門」と「櫓」を兼ね備え、特に「大手」等の重要箇所を固めた最強の門でした。
「東日本のお城の櫓門」の総集編及び「西日本のお城の櫓門」前半はこちらからご覧ください↓
本日第66弾は、「松山城 乾門、艮(うしとら)門」(愛媛県松山市)の二基の「櫓門」です。「松山城」には、他に「筒井門」「太鼓門」「内門」「筋金門」を含め計6基の「櫓門」が建っていますので、3回に分けてお届けしています。
「松山城 乾門、艮(うしとら)門」(各々は、木造復元)
木造復元「松山城 乾門」と「東続櫓」、正面は重文「乾櫓」
古くは、南北朝時代に南朝方の砦が置かれ、戦国時代には「河野家」が拠点とした場所で地名は「勝山」でした。
関ケ原の戦いで東軍に参加して戦功をあげた「加藤嘉明」が築城を許され「松山」と名も変えました。しかし建築途中の1627年に会津への転封があり、替わって入城したのが「蒲生氏郷」の孫である「忠知(ただちか)」でしたが、急死して嗣子無く断絶しました。
そして1635年に「(久松)松平定行」が15万石で入封し、以降幕末・維新まで統治をします。
「乾門」は、山麓の「北曲輪」から登城する入口に当たり、門の東側には「東続櫓」が併設して横矢を掛け、西塀続きには「乾櫓」を建てて監視を強めていました。
「乾門」は、元々は、「筒井門」と同様に慶長年間に「松前(まさき)城」から移築されたものと伝わりますが、その後焼失して現在の門は1982年に木造復元されたものです。
因みに、「乾櫓」は現存櫓で重文指定されています。
木造復元「松山城 乾門」と「東続櫓」(右側)
木造復元「松山城 乾門」の正面(片方に「潜り戸」付)
木造復元「松山城 乾門」と「東続櫓」(左側)(「本丸側」から)
左から「松山城 東続櫓」、「乾門」、重文「乾櫓」
「艮(うしとら)門」は、「本丸」北東隅の出入口ですが、門には右折れで入り、「本丸」へは左折れで石段を上がるという複雑な構造になっている上に、門の東側には二重の「東続櫓」を建て監視を強めています。
1984年に「東続櫓」と共に、木造復元されました。
木造復元「艮門」(「本丸」内から)
木造復元「艮門」(後ろに二重の「続櫓」が併設、「本丸」内から)
木造復元「艮門」と二重「続櫓」(「本丸」内から)
木造復元「艮門」と二重「続櫓」(「本丸」内から)
木造復元「艮門」と二重「続櫓」(「本丸」内から)
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