昨日、”あじさい寺「頼光寺」”(兵庫県川西市)に「あじさい」鑑賞に出掛け、その帰宅の際に、一駅歩いて着いた「一の鳥居駅」の正面に聳える城郭形式の建造物が、「大阪青山歴史文学博物館」であることを、昨日のブログ最後に1枚の写真で報告しました。
昨日、「一の鳥居駅」から見た城郭形式の「大阪青山歴史文学博物館」(「山下城」の模擬天守?)
あじさい寺「頼光寺」
https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12602824090.html
この博物館は、「大阪青山大学」(大阪府箕面市)が古文書や典籍等の文化財を調査・収蔵・展示する目的で建てられたもので、あの歴史教科書や古文教科書に記載されている「紀貫之」筆の国宝「土左日記」や、「藤原定家」筆の重文「明月記」等を所蔵しています。
そして、以前当博物館を見学した時の情報として知ったのが、この近辺に清和源氏「源満仲」の末裔で「織田信長」と親交のあった「塩川長満」の居城「山下城」があったということで、それに因んでこの博物館も建てられたようでした。
帰宅後「山下城」についてネットで調べますと、確かにこの場所から「能勢電」の駅にして二駅目の「山下駅」北側丘陵地帯の二つの山からなるお城だったようです。
戦国時代後半には、前述の「塩川家」は、「三好家」に包囲されたり、「能勢家」との領地争いをして、「能勢家」の居城「地黄(じおう)城」を攻めるなど勝手な戦を仕掛けたことから、「豊臣秀吉」の怒りをかって当時の城主「塩川国満」は切腹となり「山下城」は廃城になったそうです。
現在でも、堀切や土塁、櫓跡などが残っているそうですので、一度登城してみたいと思いました。
さて、この城郭形式の博物館は、四層六階地下二階で、正面から見ると二層の入母屋屋根に二層の望楼が乗っている形で、二層目には「比翼千鳥破風」が三層目には「軒唐破風」が付いていて、外観は「犬山城」天守、或いは模擬天守の「長浜城」にもよく似た形となっています。
昨日は休館日で、敷地内に入場できませんでしたが、以前入場時(2010.4)に撮影した写真が豊富にあり、昨日見直していると、かなり複雑で立派な外観をしていることをあらためて知りました。以下、少し前の写真ですが掲載しますので、凄さをご覧ください。
春は枝垂桜が満開、模擬天守最上階の廻縁の赤色が奇麗
四層六階、望楼型、比翼千鳥破風と軒唐破風が付く
模擬天守台の石垣も立派
西側付櫓入口付近から、どこかのお城の様
模擬天守入口にも唐破風を使用
北西側から、北面に天守が出っ張っている
北西側から望む、大城郭に見える
最上階の巡縁、華頭窓
また、お城の前には「織田信長」「森蘭丸」「塩川長満」が鷹狩をしている像が立ちますが、これは、三人の蜜月ぶりを描いていて、「信長公記」にもその鷹狩りとその後「蘭丸」が「信長」の使いで「長満」に金子を運んだとの記述もあるそうです。
戦国三将の像について
「織田信長」「森蘭丸」「塩川長満」像
近くにあった「山下城」がありそれに因んで建てられているということであれば、「山下城」の「模擬天守」と言えなくもないので、ここに紹介させていただきました。
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