「伏見城」(京都府京都市伏見区)の遺構と謂われている城郭建造物が、各所へ移築して再利用されたり、その資材や部材を使用して建てられている建造物を写真で紹介しています。第9弾では、京都府の隣接県「滋賀県」にも多く移築されている建造物を紹介します。

 

<第4弾 全国に残る「伏見城」の遺構巡りで空想を膨らまそう!>

 https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12587173830.html#_=_

<第5弾 全国に残る「伏見城」の遺構巡りで空想を膨らまそう!>

 https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12587341199.html

<第6弾 全国に残る「伏見城」の遺構巡りで空想を膨らまそう!>

 https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12587598208.html

<第7弾 全国に残る「伏見城・聚楽第」の遺構巡りで空想を膨らまそう!>

 https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12587818402.html

<第8弾 全国に残る「伏見城・聚楽第」の遺構巡りで空想を膨らまそう!>

 https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12588059566.html
 

現存や伝説などの真偽は別にして、少しでも謂い伝えられているモノまでピックアップしていますが、桃山時代から江戸時代初期にかけて建てられた「伏見城」の姿を思い浮かべることができてワクワク感が募ります。

 

写真の中には、随分古い写真もありますことを御了承お願いいたします。

 

㊳「大通寺本堂大広間」(滋賀県長浜市元町)は、元々は、「伏見城書院」を京都の「東本願寺」に移築されていましたが、その後再移築されたと謂われています。

 

 

 

 

桃山風の建造物で、室内には「円山応挙」「狩野山楽」「狩野山雪」の蒼々たるメンバーによって描かれた襖絵や障壁画が残されています。

 

当寺の山門は、桃山時代の総欅造りの立派な門が建ち、敷地内西側には、「長浜城追手門」だった門が脇門として移築されています。

 

「大通寺脇門(台所門)」は「長浜城大手門」を移築

 

重文西教寺客殿(滋賀県大津市坂本)は、「伏見城旧殿」を使用していると謂われています。

 

 

 

 

 

「客殿」は、「桃山御殿」と言われ、質素で落ち着いた桃山様式が採り入れられています。柿葺重屋根で、南面が「入母屋造り」、北面が「切妻造り」となっています。そして内部「上座の間」の床と違い棚は、古式の左側に位置する配置となっています。また、室は二列に並び、各間の襖絵や壁絵は、「狩野永徳」等の狩野派によって描かれています。

 

秀吉時代の「伏見城」にあった旧殿を、1598年に「大谷吉継」の母が寄進したと謂われているそうですが、当時最高権力者のお城の一部を配下である者、しかもその母親が他所へ寄進するというのが、少々理解し難いものがあります。伏見城下に建られていた「大谷家」の邸を移築したものなのでしょうか。

 

「西教寺」には、「信長」による比叡山焼き討ちで焼失した後に「坂本城」主となった「明智光秀」が復興したことから、「明智一族」の墓が残っていたり、「総門」と「時鐘」は「坂本城」から移築された建造物であると謂われています。

 

「西教寺総門」は「坂本城城門」を移築

 

㊵重文盛安寺客殿(滋賀県大津市坂本)は、「伏見城書院の一部」を使用していると謂われています。

 

 

この「客殿」は、「伏見城」の遺材で建築されたそうで、内部の障壁襖絵は、狩野派絵師によって描かれています。

 

当寺は、「光秀」「秀吉」の保護を受け、「光秀」ゆかりの「陣太鼓」が残ります。

 

㊶国宝都久夫須麻(つくぶすま)神社本殿(滋賀県長浜市早崎町)は、「伏見城日暮御殿」を使用していと謂われています。

 

内部は撮影禁止

周囲は彫刻が施されている

「舟廊下」方向から

裏の唐破風屋根

建物裏側

 

当神社の本殿は「国宝」指定されていて、総桧皮葺、入母屋造りで、正面には向殿を設けています。

 

豊臣秀頼が「伏見城」の「日暮御殿」(「豊国廟」から移築とも)を移築させ、その時に改修をしていますので、前後の軒に「唐破風」、周囲に「庇(ひさし)」をめぐらした複雑な建築になっています。

 

中は豪華絢爛で桃山形式の「狩野永徳・光信」筆の襖絵や格天井絵があるそうですが、外からは、外陣の正面と上部に施された緻密な彫刻しか見ることができません。本堂前から内部の写真撮影が禁止とされていましたので、遠くからの撮影しかできませんでした。

 

重文井寺(園城寺)三重塔(滋賀県大津市園城寺町)は、「伏見城三重塔」を移築したと謂われています。

 

「豊臣秀吉」が、奈良の「比曽寺(ひそでら)」の塔を「伏見城」に移築したものを、1601年に「徳川家康」によって当寺へ寄進して移築されました。

 

塔内の須弥壇には、1623年の「後陽成天皇」の七回忌に併せて造られた「木造釈迦三尊像」が本尊として安置されています。

 

重文三井寺(園城寺)大門・仁王門(滋賀県大津市園城寺町)は、「伏見城城門」を移築したと謂われています。

 

「豊臣秀吉」が、甲賀にあった「常洛寺」の山門を「伏見城」に移築したものを、1601年に「徳川家康」によって当寺へ寄進して移築されました。

 

門は、入母屋造り、檜皮葺で、三間一戸の八脚楼門形式の非常に立派な門です。

 

㊷㊸の「三井寺(園城寺)」には訪れたことがありますが、この二つの建造物が、「伏見城」の遺構であることを知らず写真を撮っていません。

 

次のブログでは、奈良県、大阪府、兵庫県に移築された建造物を紹介したいと思います。

 

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