高松城」(香川県高松市玉藻町)の「中編」です。本日の目玉は、「太鼓櫓台」に移築されている重文指定の「艮櫓」です。

 

前編 https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12568621989.html

 

「艮櫓」(重要文化財)

 

前回のブログ(前編)では、「三の丸」跡に建つ「披雲閣」及び「三の丸」跡北側の「新曲輪(北の丸)」」跡に建つ、「月見(着見)櫓」「続櫓」「水手御門」「渡櫓」まで見てきました。

 

「三の丸」内の「披雲閣」南側には、太平洋戦争前まで、下見板張りの櫓門「桜門」が建っていましたが、現在は櫓台の石垣と礎石が残り、将来的にも門の復元ができるようにと石垣整備が進んでいるようです。

 

「桜門」跡の櫓台

「桜門」跡の礎石

「桜門」跡石垣のすだれ仕上げ加工

 

当門の特徴は、もし侵入してきても「三の丸御殿」には直進できないように、「桜門」内側には一直線の「一文字石垣」(又は、勢留石垣)が横たわります。このような仕掛けがある門は珍しく、「五稜郭」の「一文字土塁」が頭に浮かびました。

 

「桜門」跡内側の一文字石垣

 

「桜門」跡の西側には「多門櫓」が延びていますが、東側には「龍(たつ)櫓」跡と「多門櫓」跡が見られます。

 

「桜門」跡の西側に延びる「多門櫓」跡

「桜門」跡東側に延びる「多門櫓」跡とその先には「龍(たつ)櫓」跡

 

「桜門」跡の前の土橋を渡った広い敷地が「桜の馬場」と呼ばれ、且つては現在の2倍の広さがあったそうです。当広場の南側から東側と北東側にかけて「中濠」が取巻いています。

 

「桜の馬場」跡

琴電琴平線の車両内から写す「桜の馬場」跡と天守台

 

「桜の馬場」東側には、櫓門の「太鼓門」と「旭門」が枡形を形成していて、松平時代はそこが「大手門」の役割を担っていました。

 

「旭門」は現存の高麗門で、「大手道」があった「東の丸」へは「旭橋」が斜めに架かっています。これは、戦術的に大手からの侵攻に対して直線的に攻められないように敢えて斜めにしているそうです。

 

「太鼓門」跡の櫓台

「太鼓門」跡と「旭門」跡の間の枡形

現存「旭門」(高麗門形式)

現存「旭門」(高麗門形式)と旭橋(松平時代は大手口)

現存「旭門」(高麗門形式)と旭橋(斜めに架かっている)

 

前述の「太鼓門と「旭門」枡形内北側の石垣の間には「穴門」が設けられていて、イザという時の脱出用とのことです。

 

「太鼓門と「旭門」枡形内北側の石垣の間にある「穴門」

 

この枡形を監視する目的があった「太鼓櫓」が「桜の馬場」の南東隅に建っていましたが、現在はその櫓台の上に、「東の丸(米蔵曲輪)」の北東隅に建っていた「艮櫓」が移築されて聳えています。

 

1967年「太鼓櫓」台跡に移築された「艮櫓」(重文)の北東側

「艮櫓」(重文)の東面

「艮櫓」(重文)の南東側(琴電車内より写す)

 

「艮櫓」は、1677年築の三重三階で一重目に大きな千鳥破風があるのと四隅には大きな石落としを備えているのが特徴で、重要文化財に指定されています。1967年にこの場所に移築されました。

 

「艮櫓」(重文)の北面に付く大きな千鳥破風

「艮櫓」(重文)の四隅に備わる石落とし

 

さて、まだ見ていなかった「二の丸」跡と「本丸」跡に向かいます。

 

「二の丸」跡は、現在広い広場となっていて、「内濠」沿いの「二の丸」側は石垣が積まれた石塁となっています。

 

一方、屋島から乗車してきた「琴平電鉄」の「築港高松駅」から見た「文(ふみ)櫓」跡と「弼(ゆみだめ)櫓」跡の櫓台を内側からも観察ができます。

 

「二の丸」跡(南側から海方向)

「二の丸」跡東側内側の石垣

「二の丸文櫓」台

 

いよいよ「本丸」跡への登城です。「二の丸」跡からは「鞘橋(さやばし)」という復元廊下橋を渡ります。藩主が中を行き来するが、濠の外から見えないようにする為に、橋に屋形が被せられています。「廊下橋」は、「和歌山城」「福井城」「府内城(大分城)」でも復元されています。

 

復元「廊下橋」

復元「廊下橋」(三の丸丸跡からのぞむ)

復元「廊下橋」(天守台から見下ろす、二の丸跡方向)

 

「内濠」を「鞘橋」で渡ると、「本丸」跡の虎口には「中川櫓」が建ち、北西隅には「矩(かねの)櫓」が、南西隅には「地久(ちきゅう)櫓」が建っていました。

 

特に「地久櫓」は、城内でも大きな櫓であり、しかも「本丸」内にあったので、格付けの高い櫓だったことが、遺構の櫓台の大きさからも想定できます。

 

「本丸中川櫓」台

 

「本丸中川櫓」台(奥に天守台が見える)

「本丸矩(かねの)櫓」台

「本丸地久(ちきゅう)櫓」台

 

「内濠」側から見る「天守台」は、両側に拡がるスマートな形をしています。また、「本丸」跡側から見上げる「天守台」は二段構造になっています。

 

「天守台」東面

「天守台」北東隅

 

本日のブログはここまでとします。次回ブログでは、「天守台」の中、そしてそこからの遠望を見て、主郭以外の現存している遺構を見ていきたいと思います。

 

 

 

 

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