「篠山城②」(兵庫県丹波篠山市)をお届けしていきます。
「篠山城①」↓
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復元「大書院」
それでは、「篠山城」の主要部へ入城していきます。主要部の北側にも「北馬出」がありましたが、現在はその一部土塁だけが残っています。
「北馬出」の土塁の一部
その前の信号を渡り左右にある「外堀」を越した辺りが「大手門」跡ですが、特に遺構はありません。
大手門跡
更に「本丸跡」に入る入口方向へは斜めに道が誘導してくれます。「史跡 篠山城跡」碑が立つ場所が「北廊下橋門」でそこから坂道となっていますが、ここに「廊下橋」が「北内堀」の上を跨いでいた所です。
北廊下門跡と廊下橋跡
廊下橋跡西側の内堀
「廊下橋」の先には、高い両脇を石垣で固めた「表門」があり右に折れ曲がると「中門」の石垣が立ち二つの門によって枡形を形成します。更に、左に折れ曲がった所には「鉄門」が置かれて「中門」と枡形を形成しています。
表門跡から廊下橋跡方向
表門跡から枡形で奥の中門跡へ続く
表門跡から枡形
中門跡から左へ鉄門跡に枡形
中門跡から右へ枡形
二重の枡形によって、「本丸」の入口を堅固にしています。現在の「鉄門」は、管理用として簡単な模擬「冠木門」を設けています。
既に、「表門」跡を抜けた辺りから「大書院」の立派な大屋根が見えていましたが、いよいよ「鉄門」跡の冠木門を抜けると正面に入口が、右側には「井戸屋形」が目に入ります。
大書院入口脇の井戸屋形
城内最大の建造物だった「大書院」は、1944年に焼失してしまいましたが、2000年に、古写真や学術調査に基づいて復元されたものです。
大書院の古写真(表門跡から)
以前訪問したことがありますが、内部の各部屋を詳細に見学していませんでしたので、今回はジックリと見ました。
大書院の間取り
天下普請で建築されたこの「大書院」は、28m×26mとのサイズで「二条城の御殿」を参考にして建築されているようです。内部も豪華に内装されています。
大書院内の葡萄の間
次の間と葡萄の間の間の襖
板襖(二の丸御殿で使用されていた襖)
形がスクエアですので、部屋数は「虎の間」だけが2室分のサイズですので8室取られ、周囲は「広縁」という廊下になっていました。北側には「車寄」が設けられていました。
「大書院」は、藩主の公式行事を行う場所であり、「上段の間」には床、違い棚、帳台構えを設けています。また「虎の間」は大広間として使用されていたようですが、当日は、紙で作成したとは思われないような多くの種類の「紙兜」が展示されていました。
上段之間と次之間
障壁画(江戸時代初期の狩野派の屏風絵の手法を採り入れて再現)
虎の間に並ぶ紙兜
「大書院」を見学している間に、空が時雨れて霙(みぞれ)が降っていたようで、玄関を出て空を見上げると、北の空には、クッキリと描かれたまさに「虹」の架け橋を眺めることができました。こんなに、美しく完全な虹は見たことがなく、他の見学者共に暫くの間観賞していました。すごくラッキー!!でした。
大書院前にクッキリと現われた虹
大書院前にクッキリと現われた虹(完璧のアーチ)
まだ、少し時雨れていましたが、「大書院」の南側に拡がる広場に出ますと、そこには「二の丸御殿」跡の平面表示がされています。
二の丸御殿の平面表示
この表示された場所に立って北側を振り返ると、「大書院」の大きさと立派さが実感できます。よく写真で撮られるアングルで私も写真を一杯撮りました。
二の丸御殿跡から見る大書院
古写真に写る大書院(上と同じ場所から)
二の丸御殿跡から見る大書院
「二の丸御殿」の平面図面によると、西側から「奥御殿」「中御殿」「小書院」が繋がって並んでいたようです。そして、「中奥御殿」の南側には、築山を伴う「中奥御殿庭園」が拡がっていました。
二の丸御殿平面図
中奥御殿庭園跡付近
「二の丸」の周囲には、多聞櫓がグルっと囲い、丁度西側の中間ぐらいに「三重櫓」が、東南端には「二重櫓」が建っていました。
二の丸周囲の多聞櫓跡と三重櫓跡付近
「二の丸」南側には、「埋門」が置かれていて「三の丸」へ下りることができるようになっていますが、当時使用されていたのでしょうか。
二の丸南端の埋門跡
埋門跡(三の丸側から)
この「埋門」跡の両石垣には、この門を担当した大名の刻印が見られ、特に西側の「鏡石」には、「三佐之内」の文字の彫りが薄っすらとみられます。これは、「池田三佐之内輝政」のことらしく、この門の西側を「池田輝政」が担当した証です。
「三佐之内」との文字の彫り
次回ブログは「篠山城③」へ続きます。
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