譜代大名のお城シリーズを続けています。

 

本日は、「椎谷(しいや)陣屋」(新潟県柏崎市)を訪問します。「椎谷陣屋」は、譜代大名「堀直政」の四男「堀直之」が大坂夏の陣で手柄を立てたことから、この地に5,500石を与えられました。その後「直景」の代で加増されて諸侯に列して、1715年には「椎谷陣屋」を築きます。

 

この「堀家」は、参勤交代のない「定府大名」で、城主(藩主)は江戸在住であったことから、「陣屋」の規模も大きくなく、武士の数も少なかったようです。

 

「陣屋」の図面が、陣屋跡に掲出されていましたが、南側から「大手門」を入ると「表門」があり、そこを入ると「砲術稽古場」と広い「馬場」がありました。「神社」横には「藩主邸」と「勤番所」があり、その北側が「裏門」となっていました。

 

椎谷陣屋建物配置図

椎谷陣屋の案内表記

陣屋入口跡

陣屋表門跡

砲術稽古場跡

馬場跡

藩邸跡(左に井戸跡)

藩邸跡 (北東から表門方向)

 

「裏門」の北側には、「武器庫」や「籾蔵」が置かれ、「役所」の周囲には、「陣屋」を守っていた武士達数家の「武家屋敷」と「長屋」が並んでいたようです。

 

裏門跡

役所跡

長屋跡(長屋跡に維新後再建の士族長屋が残る)

武家屋敷跡

 

現在は、「新潟県指定文化財・史跡」となっていることもあり、前掲の「陣屋図面」の掲出の他に、「陣屋各所」の案内立札が立てられているので、陣屋構成やその跡地の場所が良く判るようになっています。

 

椎谷陣屋図面

 

「陣屋」跡の北側山上には「椎谷観音堂」があります。こちらは、811年に海中から「聖観音菩薩像」を引き上げてそれを安置したことが始まりとのことで、江戸時代に入り「椎名藩主」からも庇護されました。現在の本堂は1770年に建てられた建物で、戊辰戦争にも戦火から免れ現存し、「柏崎市文化財」に指定されています。

 

椎谷陣屋跡から観音堂方向

椎谷観音堂(1770年築の建物)

 

「椎谷観音堂」付近から南側をのぞむと、日本海海岸沿いには「柏崎刈羽原発」が身近に見ることができます。

 

観音堂に至る石段の途中から見える刈羽原発方向

椎谷陣屋跡から柏崎刈羽原発

 

「椎谷藩」の飛地に、長野県の「六川陣屋」があります。

https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12477812879.html#_=_

 

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