本日も、「豊臣秀吉」の九州遠征時に、「秀吉」の傘下に入った大名についてです。「相良長毎(さがらながつね)」もその一人で、居城「人吉城」(熊本県人吉市)を持つことが許されます。
復元長塀(151m)、上部は漆喰壁、下部は海鼠壁
「人吉城」の歴史と城主について触れておきます。
「相良家」は、鎌倉時代に関東から人吉へ移住したようで、戦国時代には肥後国南部を治めていましたが、「島津家」に敗れてその傘下におかれました。
関ケ原の戦いでは、当初は西軍に属していましたが、途中で東軍についたので、戦後は領土を安堵され幕末・維新まで続きます。
「縄張り」は、「球磨川」と「胸川」の合流地点に築かれ、両川が北側と西側に対して天然の堀の役割を果たしています。
そして、東側と南側は、山の斜面と崖によって天然の城壁として利用されています。梯郭式の平山城で、山側に「本丸」が置かれ、その南側に「二の丸」を置き、更には球磨川沿いに「三の丸」を置きました。
「本丸」の敷地はそんなに広くなく、二階建ての「護摩堂」が「天守」の替わりに置かれていました。現在も、その礎石が見られます。
本丸(天守台に相当)-天守は建てられず護摩堂を建てた
「二の丸」は「御殿」が置かれて、藩主の側室や子供達が居住する私的空間であり、「三の丸」へは「御中門」が出入口になっていました。
二の丸(江戸初期に御本丸と呼ばれ藩主が住む御殿があった)
中御門跡(二の丸から)
中御門跡の高石垣
「三の丸」は、北側から西側にかけて「二の丸」を取り巻く広大の敷地を使用していて、「御下門」が主郭入口に相応しい高石垣の門で、今でもその雄姿を見上げることができます。
三の丸(自然の崖を城壁にし周囲は「竹茂かり垣」で防御していた
三の丸石垣と左上に見えるのが二の丸石垣
御下門跡の渡櫓台
御下門跡-本丸・二の丸・三の丸への唯一の登城口
御下門跡石垣を米蔵跡越しに見る
「御下門」の北側で球磨川沿いには、「水の手門」と「御館(みたち)」の裏門である「堀合門」が並んでいて、土塀が築かれていました。
「御館(みたち)」は、政庁であり藩主の生活の場所でもありました。幕末には、「御館」の北側の石垣を改修して、「跳ね出し石垣」として防衛を強化しています。
因みに、「跳ね出し」石垣を採用しているお城に、函館にある「五稜郭」と長野県龍岡市にある「龍岡城」しか見られない貴重な石垣です。
水の手門脇の球磨川に面した石垣
復元水の手門入口部
間米蔵跡と復元水の手門
手前から欠米蔵跡、大村米蔵跡
堀合門跡(御館の裏門)と武者返し石垣裏
城主の御館跡と相良神社
御館庭園跡
御館御門(みたちごもん)跡と御館御門橋(県重文-多脚式石橋で1766年築)
跳ね出し(武者返し)が続く(西洋式城郭に使用される工法)
跳ね出し(武者返し)
跳ね出し(武者返し)石垣の裏(火事前には長蔵があった)
「御館」の西側に拡がる「外曲輪」には、両川沿いに長塀が建てられ、南は「岩下門」跡付近から北は「水の手門」跡まで復元された土塀が続き、迫力を感じることができます。
間には「大手門」跡の石垣が残る他、その北側に復元された「多聞櫓」は、下見板張りと漆喰の壁との調和が美しいです。両川の合流地点の先端付近には復元された「角櫓」が建っています。
大手門跡石垣(渡櫓門)
大手門跡石垣(渡櫓門)
長塀と石落とし、多門櫓
復元角櫓(本瓦葺入母屋造り、漆喰壁と下見板張り)
「外曲輪」には、「相良清兵衛屋敷」があってその「地下室の井戸」が見つかったことから、整備復元されて見学できるようになっています。
「外曲輪」は、非常に広々した空間ですので、遠く東の先にある「二の丸」や「本丸」は小さく見えるほど、「人吉城」の大きさを実感することができます。
西外曲輪内の家老屋敷礎石
相良清兵衛屋敷地下室の井戸
城下には色々な史跡が残りますが、城内の「堀合門」が民家の門に移築されていて人吉市の重要文化財に指定されています。
その他にも茅葺の武家屋敷や、茅葺の楼門で桃山風建築様式を持つ重文の「青井阿蘇神社」は、城郭ではないですが、見るべき建造物であります。
人吉城堀合門(唯一現存建築、市重文)
茅葺の武家屋敷(明治12年に球磨郡錦町の御仮屋から移築)
青井阿蘇神社(茅葺の楼門、桃山風建築様式-重文)
「人吉駅」を通るJR「薩肥線」は、鉄道ファンでなくてもワクワクできる色々な鉄道の仕掛けが見られたり、経験できたりできます。
私は、「乗り鉄」ですので、「スイッチバック線」や「ループ線」が何か所もあり、途中の駅には明治時代の建築された最古級の駅が数か所あり、はたまた日本三大車窓でもあることから、我をも忘れて写真を撮りまくりました。
JR人吉駅前の天守風からくり時計
大畑駅からスイッチバック(左は人吉、右は矢岳)
真幸駅のスイッチバック線(矢岳から下ってきた)
ループ線の案内
ループ線から大畑駅のスイッチバック線を見下ろす
嘉例川駅(かれいがわ)明治36年1月開業、110年近くの木造駅舎
日本三大車窓(桜島が臨める)
乗車した列車が、丁度「観光列車 いさぶろう号」でもありましたので、見どころの場所では徐行運転を、また数分間の停車もあって、最高の経験を味わうことができました。
「いさぶろう号」展望席
特急「はやとの嵐」(吉松駅にて)
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