いよいよビリー・ジョエルのたぶん最後の来日公演が明日2024年1月24日東京ドームで行われますね。還暦、定年直前にビリーを日本で見ることができるなんて、叶わぬ夢かと思ってたので、いまだにちょっと信じられない気分です。人生のサウンドトラックの1枚ともいえるビリー・ジョエル。明日は思い残すことなく見届けたいと思います。

 

一回自分の人生の中でのビリー歴をまとめておこうと思ったので、ちょうどいい機会ということで。Part1はイチファンというか、会社で仕事としてかかわる前まで。(全く個人的な思い出をちょこちょこ思い出しながら単に書いてるだけですのであしからず)

 


といいつつ一発目の出会いがはっきり思い出せないんですよね。たぶん一番最初に聞いたのは中学時代で曲は「素顔のままで」だったのは間違いないけど。ぎんざNOWのPOPTEEN POPSだったか、もしくはラジオで聞いたのか。アルバムでいくと77年の『ストレンジャー』が初めて聞いたアルバムですがもうちょっとあと。『ニューヨーク52番街』も1978年というと中学3年ですから、大島にいた頃。でも大島にいた中学の頃はこの2枚のアルバムは買えなかった。いずれにしてもビートルズの次に大好きになったアーティストがビリーだったんですね。

 

 

初めてビリーのLPを買ったのは1979年に高校で東京に出てきてから。中古盤屋で買いました。『ストレンジャー』と『ニューヨーク52番街』は本当によく聞きましたね。「素顔のままで」「オネスティ」「マイ・ライフ」など大ヒットシングルはもちろん大好きだったですけど、それ以外のアルバムに入ってる曲がみんなよかった。『ストレンジャー』では「イタリアン・レストランで」「若死にするのは善人だけ」そして「シーズ・オールウェイズ・ア・ウーマン」。『52番街』では「Until The Night」が大好きだったなあ。「夜のとばり」という邦題がついてましたよね。

 

「シーズ・オールウェイズ・ア・ウーマン」は、時代は違うんですけど、このCMが素晴らしすぎて

 

 

 

高校1年、1979年の"52nd Street Tour"の武道館でビリー・ライヴ初体験。想像以上にロックでした。武道館の上の上から見たビリーは豆粒くらいで手が届かないほど遠い距離だったけど、お客さんとのやりとりも親密で、ビリーに一気に近づいた感じです。「スーベニア」で静かに終わるあの感じ、素敵でした。初来日のサンプラは見ていないんですが、この2回目の来日公演以降毎回ビリーの来日公演は見ています。

 

 

初めて予約して国内盤を発売日に買ったのは1980年の『グラス・ハウス』。なんの前情報も知らなかったので、ガラスが割れたあの瞬間「ガラスのニューヨーク」のロックなビリーにびっくりしたものです。でも今聞いても最高のロック・アルバムですよね。ポップな「ドント・アスク・ミー・ホワイ」も好きでした。これも聴きまくりました。

 

ライヴがこれまたカッコ良かった。高校3年、1981年の"The Glass Houses Tour"の武道館。これまた思い出深い。池袋の西武のプレイガイド赤木屋に徹夜で並んで(麻雀やりながら朝が来るのを待ってたかも)。当時は並んでる人たちが自主的に点呼制でやってました。ライヴではピアノで手癖みたいにちょろっとポールの「幸せのノック(Let em in)」をやってくれたり、ビートルズの 「I'll Cry Instead」もやってましたかね。ある種一番脂ののった時期のビリー。来日公演の中でも最高のパフォーマンスはこの時のライヴじゃないかと思ってます。

 

 

1981年の『ソングズ・イン・ジ・アティック』。これで完全なビリーの虜になっちゃった。屋根裏部屋に眠ってた名曲たち。これがもうたまらなかったんですね。特に「夏、ハイランドフォールズにて / Summer, Highland Falls」「僕の故郷 / You're My Home」「楽しかった日々 / I've Loved These Days」この3曲がたまらなく大好きで(今でも大好き)。ここから過去のカタログにも遡って聞くようになるわけです。『ストレンジャー』から『ソングズ・イン・ジ・アティック』までのソニーの担当は小野さん。この時期の奮闘や来日した時の話を聞いて、とっても面白かった。『ストレンジャー30周年記念盤』のライナーとかでも読めますので、もしよろしければ。

 

その後、やはり次に買ったのは『ピアノ・マン』。下記は紙ジャケの時に復刻した初版。邦題が『ジョエルの物語』だったんですね。1973年当時の担当の岡田了さんに聞いたら、全然売れなくて1000枚いかなかったそう。

 

『ストリートライフ・セレナーデ』『ニューヨーク物語』素晴らしいですよね。この時の担当はディランでおなじみの菅野ヘッケルさん。これも当時は全然売れなかったそう。この2枚も中古版盤で買ったんですが、派手じゃないけど本当にいい曲ばっかで、『ストリートライフ・セレナーデ』の「スーベニア」、『ニューヨーク物語』の「さよならハリウッド」「ニューヨークの想い」「夏、ハイランドフォールズにて」「楽しかった日々」「マイアミ2017」いや~いい曲ばっか!もっともっと多くの方に聞いてほしいんですけどね。

 

 

1982年『ナイロン・カーテン』。これは石丸電気で予約して、満を持して発売日に行って国内盤を買ったと思います(なんか特典がついてたのかな?)。1982年といえば大学1年、ベストヒットUSAも始まってて、個人的にむさぼるように最も洋楽聞いてた時期です。メッセージ性の高い作品と言われてましたけど、「プレッシャー」「アレンタウン」のシングルのせいかもですけど、ビリー・ファンにはスっと入ってきた気がします(ある種初めて『グラス・ハウス』聴いたときの衝撃に比べると)。聴いた瞬間から名盤だ!と思ったこと思い出します。ここからの担当は喜久野さん。先日のアナログ天国のイベントでのお話しもとっても興味深かった。喜久野さんの奮闘記はこちらでも。

 

 

ヘビーなアルバムだったけど、最も好きな作品の一つ。僕にとってはジョン・レノンが亡くなったあとに出たビリーの初のアルバムだったので、「ローラ」「スカンジナヴィアン・スカイ」聞いたときはびっくりしました!ジョンの声にそっくりだったり、ジョンを感じる節回しになんかジョンが乗り移ったんじゃないか?とか思ったほど。「僕にとっての『サージェント・ペパーズ』」だってフレーズもしっくりくるような、ビリーとビートルズを一番感じたアルバムでしたね。その時の感覚を思い出して、『Power To The Pop』(BeatleDNAコンピ)にも「ローラ」入れちゃいました。

 

 

1983年の『イノセント・マン』、最高なポップ・アルバムなんですけど、このあたりになるとあまりにも売れすぎちゃって。もちろん買いましたが、当時はあんまりにもヒットしちゃうとなんか引いちゃうような天邪鬼的な音楽ファンだったので、この辺から『ビリー・ザ・ベスト』あたりまでが希薄になっちゃうんですが・・・。

 

でも当時パンクやロック・バンドがカバーしたモータウンやスタックスのロックっぽいカバーが大好きで、ちょうどモータウンのトットットーのベースラインにはまってた時期。ちょい前の1982年にはフィル・コリンズの「恋はあせらず」とか、ジャムの「悪意という名の街」とかJガイルズ・バンドの「I Do」とかあって、その手のをよく探してました。そんな時ビリーは「あの娘にアタック」でやってくれて、そういった曲をカセットに並べて入れて聴いてた思い出が蘇ります。

 

1984年 "From a Piano Man to an Innocent Man Tour"は武道館行きましたね。あたりまえだけど滅茶苦茶楽しいコンサートでした。

 

 

1986年は就職して、いろんなことに忙殺されて、一番音楽から離れていた時期かもしれませんが、そんな中でも『ザ・ブリッジ』は買いました。これはもう「マター・オブ・トラスト」につきます。最初にこの曲聞いたときはガッツポーズでしたね。1,2~1,2,3,4で始まるギター・リフ大好きでした。


1987年 "The Bridge Tour"では代々木オリンピックプールで初めてビリーを見ましたが、この時も一発目が「マター・オブ・トラスト」でした。でも全体的にはなんかあんまり覚えておらず・・・。武道館でみてきたビリーがちょっと遠くなっちゃったような感じというか。でも1987年のツアーといえばこちらのソ連(当時)でのライヴですね。


1988年の東京ドームでのKIRIN DRY GIGSのあと10月にCBSソニーに中途採用で入って・・なんだかんだでビリーは初来日以外全部の来日公演見ておりまして、節目節目で思い出深いですね。

ここまでが一般ファンだった時代。このあと仕事としてビリーにかかわっていくんですが、それはまた追って。明日はどんなセットリストになるんでしょうね。思い残すことなく目に焼き付けよう!

(第一弾終わり。)