「デッドマン・ウォーキング」
ショーン・ペン、スーザン・サランドン 他出演
ティム・ロビンス監督作品
1995年公開のアメリカ映画にして、その年のアカデミー賞主演女優賞獲得
で
いきなり、結論っ
大傑作‼︎
先ずは予告映像貼る
以下はYahoo!映画からのあらすじな
>ニュー・オリンズ。“希望の家”で働くシスター・ヘレンは死刑囚マシューからの手紙を受け取り、彼と接見する事になった。マシューは相棒が無期懲役なのに自分が死刑になる事に憤りを感じている。ヘレンは特赦を得ようと弁護士の協力を仰ぐが嘆願は却下され、残るは州知事への直訴だけとなった。被害者の両親たちからは敵と見なされ非難を浴びるヘレン。しかし毎日、アドバイザーとしてマシューと会い話をしていくうちに二人の心は繋がっていく。が、やがて処刑の日が訪れた……。
…ってことなんですが
ちょーっとうろ覚えな部分あるけど
当時、映画館で観てさ
かなり、かな〜り「沁み」ましたわ
ズバリ「ディス・イズ・ヒューマンドラマ」と言いますか
ちなみに、僕は「死刑制度」は必要…という立場です
犯罪抑止の観点からも、被害者の方や被害者のご遺族や関係者方々の無念を鑑みても、極悪非道には真っ向から厳しく対処すべき、と考えます
しかし
この映画を撮ったティム・ロビンスがどういう立場なのかは探ってないけど、もしかしたら「反対派」なのかもな
アメリカは州によって「あり・なし」がバラバラだと記憶してますが、もちろん、難しい問題だとは思います
Wikiによれば、やっぱり監督は「死刑廃止論者」とあります
さて
あ
監督のティム・ロビンスは名作「ショーシャンクの空に」や「ザ・プレイヤー」の主演で有名な俳優でもあり、さらに、主演女優のスーザン・サランドンはティム・ロビンスの奥様…だったかと
離婚しちゃってたかな⁇
でね
そういう社会的な制度と倫理観の問題もシリアスに描かれながら、しかし、「死刑囚」と「シスター」の「心の接近と揺れ動き」の描かれ方、さらに、「演技」の火花とその白熱の凄みに圧倒されましたわ
若い頃、僕はエンターテイメント映画にかなり否定的だった
けど
この「デッドマン・ウォーキング」は芸術性とエンターテイメント性、その両方を兼ね備えていた、と
サスペンスを通じて、社会の在り方と倫理観の圧倒的なる問題提起に、僕は電撃的に痺れました
さらに
名俳優ショーン・ペンの、その人間の本質を露わにする名演技がそれを「神域」に高めるわけ
極悪非道の殺人者もまた人間として「人権」を認めるべきか、否か⁇
「救う」べきか、否か⁇
で
スーザン・サランドンがまたたまらないのよ
法律と倫理の壁に激突するのよ
しかし
どうにもならない…という「極限」が現れ、われわれは、ただ、見届けるしかくなるわけだけど…
でも
さらに思索は深まってゆき…
「人間」が「人間」の「命」を裁く…ということはなんなのか⁇
さらに、さらに…
「魂の救済」とはなんなのか⁇
というか、もう何が何やら決めきれない場所まで映画は行き着く…という感覚あったかなぁ
でさ
若い僕はわからなかったわけ
何が正しくて、自分がどういう立場に立つべきか…⁇ ということがさ
そう
ものすごく考えさせられた、ということなんだ
映画とは、ただ、与えられるもの、見せつけられるもの… という感覚に逆らいたい時期だったのもある
けど
この「デッドマン・ウォーキング」に引き摺り込まれた時、なにかわかった気がしたか、と…
映画が、僕の中で「響く」という感じ、味わえたなぁ、と
つまり
映画の「余韻」と「思索」が長い長い波紋の広がりのような感覚あったわけ
まぁ、今の僕は「死刑制度」存続止むなし…の立場だけど
でも、懲役300年とかで絶対に社会に出さない…というのはなくもない、かなぁ、とか、一瞬、考えちゃうけど…
でもさ
社会は絶対に極悪非道を許さない…という決意と覚悟を示す意味でも
また、犯罪行為に対する抑止力という意味においても
さらに
被害者の方が押しつけられた恐怖と絶望、さらに、その被害者のご家族や関係者の方々が永遠に背負わされる悲痛と不条理を想うと、やっぱり、止むなし…なんだ
もちろん
これは僕の意見…
違う考えがあるのは承知しております
でさ
そういうさまざまな意見があって然るべき、だとも思うし、それが民主主義でありますな
さて
しかし、素晴らしい傑作映画だと思う
確か、主題歌がブルース・スプリングスティーンだったかなぁ⁇
懐かしいなぁ
映画館でさ
しばらく立てなかった記憶あるよ
いやぁ
今観直したらさ
「考え」変わるかなぁ⁇
どうでしょうか
試してみたい気もするけど、果たして…⁇
御愛読感謝
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